束の間の日常

「これ、クリーニング出さないとダメだな」

「クリーニングでどうにかなるのか? 血、べっとりついてるけど」


 ブラウスもスーツも抄の血液に染まってしまっている。

 特に白いブラウスは赤が目立っており、せっかく外出用に買った一張羅は死ね神の手によって一日で駄目にされてしまった。


「現代科学ならきっといけるって。信じろ、タク。この染みは落ちる」

「仮に染みが落ちるとしても、そんな服をクリーニング店が受け取ってくれるかも怪しいけどな。その服、事件の匂いしかしてないぞ」


 傍から見れば、抄は殺人を終えた直後か、殺された直後のアンデッドだ。

 後者はあながち間違ってもいないというのが恐ろしい話である。


「あー……警察とか呼ばれたら面倒だなー……。っていうか、身元調べられたら詰みか?」


 身分証明が出来ず、調べようとも身元不明な抄に対して警察がどんな判断を下すのか。

 血の着いた服のせいで、警察も抄を放置なんてできないだろう。

 面倒なことになるのは間違いない。


「その服はもう捨てるしかないな……。はあ、また余計な出費が増えた」

「お、出費を気にするってことは、生きる気力が湧いてきたってことか?」


 抄に言われて気づく。

 確かに、明日死ぬのならボクが銀行の残高なんて気にする必要はない。


「……ただの貧乏性だよ。人の性は死んでも直らないって言うだろ? だからきっと、死ぬ直前でもボクは蓄えのことを気にしてるよ」

「性は変わらないかもしれないけど、思想は簡単にポンポン変わる。明日起きたら、タクが気前よく新しい服を買ってくれることを期待してるぜ」

「……うちの洗濯機を信じてみるか」

「おいおい、スーツまで洗濯する気か?」

「スーツは漬け置き洗いでなんとか……」

「なるといいな。とりあえず俺は風呂入ってくるわ」


 そう言うと、抄は風呂場へ行く前にスーツを脱ぎ始めた。


「っておい! 何してるんだよ!」

「何って……なに?」

「何でここで服脱いでるんだよ!」

「? 言ったろ、風呂入るって。入っちゃだめなのか?」


 抄が風呂を使うこと自体は何も問題が無い。

 今の抄はこの家に居候している状態であり、男性だった時も利用していたのだから。


「風呂入るのはいいけど、ここで脱ぐなよ!」

「は? いや、ここで全裸にはならないって。先にスーツだけ干すんだよ。シワになったら嫌だからな」

「あ、ああ、そ、そうか……まあ、そうだよな。長く使うなら、細かいケアが大事だよな」


 はたして血まみれのスーツの皺を気にすることにどれだけの意味があるのかはわからないが。


「親友の前とはいえ、いきなり全裸にはならないって。ほんとむっつりだよなー、タクは」

「うぐっ……」


 確かに抄はボクの部屋を全裸でうろつくような人間ではなかった。

 姿が女性なせいか、どうにも思考が過敏になっている気がする。

 もっと親友の常識と羞恥心を信用しなければ。


「まったく、もっと常識で物を考えて欲しいもんだ。それとも、本当は全裸を期待してたのか?」

「うるさいな……っておい!」

「今度はなんだ?」

「お前常識はどうしたんだよ常識は! 何でパンツ丸出しなんだよ!」

「そりゃあお前、ズボンを脱いだら下着が出てくるだろ。当然だ」


 考えてみれば、スーツを脱げばその中身が露わになるわけで。

 目の前にはブラウスと下着のみを着用した女性が現れていた。


「もうさっさと風呂場行ってこい! スーツはボクが干しておくから!」

「じゃあお言葉に甘えてそうさせてもらうわ。コーヒーでも飲んで待っててくれ」


 抄はのんびりとした足取りで、堂々と風呂場へと消えていった。


 美少女が自分の家の風呂を使っている状況はこれで三回目だ。

 一回目はボクは大学にいて。

 二回目は祖母の危篤を知ったボクが早々に寝た後に入っていたらしい。

 だから、居合わせるというのはこれが初めてだ。


 同じ家の、何枚かの薄い壁を隔てた先で、美少女が裸になっている。

 その素肌にシャワーを浴び、髪から水滴を滴らせ、水が下半身を滑り落ちている。


 考えてはいけないと思うほどに、脳内のシャワーシーンは官能的になってゆく。


「くそっ……そんなこと考えてる場合じゃないっていうのに……」


 大事なのはきっと心を無にすることだ。

 何も考えず、ただ時が過ぎるのを待てばいい。

 抄の淹れたコーヒーを口に運び、その苦味に集中していればいい。


 そうだどんな見た目だろうと中身は抄なんだ。

 そのことを忘れてはいけない。


 コーヒーの苦みを口の中に満たしては、胃へと流し続けて十分後。

 ボクは親友が風呂の後にはバスタオル一枚で部屋をうろつく人間だったことを思い出した。

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