病院のエントランス。

 その隅の、自販機の隣に設置されたベンチにスーツ姿の小柄な少女が座っていた。


「……」

「……」


 ボクが声をかけずに隣に座ると、少女は無言で缶コーヒーを差し出してきた。


「おごりだ。まあ遠慮せず飲め」

「……ボクの金だろ」

「確かにこの缶コーヒーはタクからもらったお小遣いで買った。しかし、もはやこれはただの缶コーヒーじゃない。美少女からの手渡し缶コーヒーだ。むしろお釣りをもらってもいいくらいだぜ」

「……ありがとな」


 受け取ると掌にじんわりとした熱さが広がって来た。

 このホットコーヒーは買ってからそれなりの時間が経っているらしい。


 一口コーヒーを口に含むと、熱く重い甘さが口の中にじわっと広がった。

 練乳入りの甘いコーヒーは、いかにも今の抄の好みの味だ。


 くどいほどの甘味が舌全体を包み込んで、喉を温めながら滑り落ちていく感覚が、今は少しだけ心地良い。


「悪かったな、待たせちゃって。一時間以上待たせちゃったか?」

「気にするな。俺が勝手にタクについてきたんだ」


 本来なら抄が祖母との面会についてくる必要なんてなかった。

 家族ぐるみの付き合いというわけでもなく、ボクの祖母と抄は他人なのだから。


 ボクが面会をしている間に待ちぼうけを食らうとわかっていてもついてきたのは、抄なりに気を遣ってくれたのだろう。


「それじゃあ帰ろうか」

「いや、あと三十分はここで休憩だな」

「なんでだ? ショウはただ待ってただけだし、疲れたってこともないだろ?」

「俺は平気だ。でも、このまま二人で外に出ると誤解されかねないからな」

「誤解?」

「病院の中なら、泣き腫らした顔も違和感はない。でも、街中じゃそうじゃない。今のタクと俺が並んで歩いてたら、女に捨てられかけたけど泣きついて回避した男だって思われるに違いない」

「……」


 これも抄なりに気を遣ってくれているのだろう。

 なんとも酷い言い方ではあるが、それくらい酷い顔をしているという自覚もある。


「ほら、これで応急処置でもしろ」


 抄はポンポンとボクに向けておしぼりと保冷剤を投げた。

 病院内に出店しているコンビニで調達していたのだろう。


 つまり、抄はボクが酷く泣いてから帰って来ることを予想していたというわけだ。

 これがモテる立ち回りというやつなのか。


 保冷剤を顔に当てると、泣き腫らした目元に鋭い冷たさが走った。

 痛いくらいの冷たさは脳まで届いているかのようで、溢れていた感情がどんどんと落ち着いていく。


「ふーっ……」

「落ち着いたか?」

「……おかげさまで」

「そりゃ良かった」


 病院のエントランスは病室とは打って変わって騒がしく、様々な音が聴こえてくる。

 電光掲示板には受付番号が表示され、機械音声が呼び出しを行なっている。

 エントランスで待つ人々は様々な会話で喧騒を作り出している。


 そんな中で、ボクと抄はただ黙っていた。

 抄は話しかけず、ボクも何も語らず。

 エントランスの喧騒に二人で呑まれている。


「……」

「……」


 抄はお喋りな人間だ。

 ボクと二人でいる時も、口火を切るのは大抵は抄だ。

 抄は多分話すのが好きな側の人間で、ボクは人の話を聞き続けることを苦としていない性格だ。


 だけど――


「あのさ……」

「……ん?」


 だけど今日だけは。

 抄に尋ねられたわけでもないのに。

 ボクは祖母の話をし始めていた。


 祖母とボクは仲が良いわけじゃない。

 だからといって悪いわけでもない。


 年に一回か二回、年始の挨拶と偶にお盆に会うだけの関係。

 電車で一時間もかければ会えるのに、自発的に祖母を訪ねたことは全くない。


 会えばそれなりに仲良く会話できていたと思う。

 互いの近況を話して、テレビに出ているタレントの話をして、共通の話題の少なさを実感して、やがてテレビの音だけが部屋に響く。


 ……正直に言うと、無理して話題を繋げていた。

 沈黙が嫌で、家族なんだから仲良くしなければならないという義務感で、どうにか会話を途切らせまいと苦心していた。

 白状すると、ボクは祖母と二人きりになるのは気まずかったのだ。


 だから、やはりボクと祖母の仲は良くもなく悪くもない。

 話題が合わないのは年の差を考えれば当然で、だからと言ってお互いに嫌悪したりもしない。

 ただ、仲良くできなかっただけの関係。


 そんな祖母の衰弱した姿を見て、ボクはボロボロと泣き出したのだ。

 この人はもうすぐ死んでしまうと考えただけで、嗚咽が止まらなかった。


 祖母の衰弱理由は老衰だ。

 医者の話だと長くても一か月、短ければ一週間以内らしい。


 祖母は幸福な死に方をするのだと思う。

 安らかに、家族に看取られながら、静かに息を引き取るはずだ。


 わかっている。

 祖母が決して不幸ではないことは理解している。

 それなのに、祖母の姿を思い返しただけでボクの目には涙が溜まり始めていた。


「ごめん、ショウ」

「……何が?」

「わからない。けど、なんか泣いてたら謝りたくなってきた」

「そうか……」


 その後、ボク達はエントランスを出るまで一言も交わすことはなかった。

 抄は何も言わず、ただボクの隣に座り続けていた。

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