第12話 魔王

 2026年9月、勝男は宇宙から日本に戻って来た。 

 ロケット燃料の製造が行われた。

 水星に行くことが勝男の次の目標だ。

 

 水戸飛鳥みとあすかは凄腕の殺し屋だが、3年前に目の前でひき逃げ事故に遭って死んだ妻の和泉いずみのことを忘れられず、事故のトラウマから車に乗ることができなくなっていた。そんなある日、飛鳥は偶然の事故で知り合った内海うちみという男から自分を殺すように依頼される。何度も自殺を試みたが死ねなかったという内海をその場でナイフで刺す飛鳥だったが、内海は何故か運良く助かってしまう。その後も何度殺しても死なない内海に飛鳥は興味を抱くようになり、次第に互いの過去を語り合うようになるなど、2人は自然に友人となる。ともに生きる喜びを見出し始めていた2人だったが、板橋にある飛鳥の家で和泉の写真を見つけたとき内海は激しく動揺し、2人の因縁が明らかになる。


 3年前、母親の悦子えつこを何者かに殺されたショックから立ち直れずにいた内海は、ある夜、飲酒運転でひき逃げ事故を起こしていたのである。亡くなったのが和泉だったのだ。

 事実を内海から告白された飛鳥は請われるまま内海を刺そうとするが、どうしても刺せずにその場から立ち去る。その後、飛鳥は内海が飛び降り自殺をしようとしている現場にやってくる。内海は涙ながらに飛鳥に許しを乞うが、飛鳥は断る。そして、飛鳥はハンマーで内海を殴り殺すことに成功した。

 内海は佐沼帝国にある研究所で体を強化する手術を受けた。金がかかるので頭は手術しなかったのだ。

 

 水星は、太陽系に属する惑星の1つで、惑星の中で太陽に最も近い公転軌道を周回している。岩石質の「地球型惑星」に分類され、太陽系惑星の中で大きさ、質量ともに最小である。

 太陽系で最小の惑星が、水星である。水星の赤道面での直径は4879.4 kmと、地球の38パーセントに過ぎない。木星の衛星の1つのガニメデや、土星の衛星の1つであるタイタンよりも小さい。なお、水星に衛星や環は無い。


 地球から水星を観測する場合、水星は太陽に非常に近いため、日の出直前と日没直後のわずかな時間しか観測できない。また、地球と水星と太陽の位置関係によっては、たとえ望遠鏡を使っても観測は難しい。これは地球から見た太陽と水星との離角が、最大でも28.3度に過ぎないためである。なお、天球上での見かけの明るさは、−0.4等から5.5等まで変化し、暗く見える時期には、より観測が難しくなる。


 1974年にNASAの探査機であるマリナー10号が初めて水星へ接近した。マリナー10号による観測によって、水星の地表の4割強の地図が作成できた。この際に撮影された写真から、水星の表面には多数のクレーターが有り、地球の衛星の月と類似した環境だろうと考えられた。地球からの直接観測だけでなく、地球から水星へと探査機を到達させる事も比較的難しいため、21世紀に入っても依然として判らない点の多い惑星ではあるものの、21世紀に入ってから再び探査機が水星へと送り込まれた事や、地球からの直接観測の技術の向上に伴って、次第に水星に関する知見が集積されつつある。


 水星には半径 1,800 km 程度の核が存在する。これは惑星半径の3/4に相当し、水星全体では質量の約 70 % が鉄やニッケル等の金属、30 % がケイ酸塩で出来ている。


 平均密度 5,430 kg/m3は地球と比べわずかに小さい。核の比率が大きい割に密度がそれほど高くないのは、地球は自重によって惑星の体積が圧縮され密度が高くなるのに対し、小さな水星は圧縮される割合が低いためである。地球中心部の圧力は366万気圧に達するのに対し、水星中心部は約25から40万気圧にとどまる。しかし、天体の大きさと平均密度の相関関係では、水星は唯一他の地球型惑星が示す傾向から60%程度重い方向に外れている。自重による圧縮を除外して計算された平均密度は、水星が 5,300 kg/m3、地球が 4,000-4,100 kg/m3となり、水星のほうが有意に高い値をとる。


 水星の体積は地球の 5.5 % に相当する。しかし地球の金属核は 17 % にすぎないのに対し、水星の金属核はその 42 % を占める。核は地球の内核と外核のように、固体と液体に分離していると見られている。2007年、電波観測によって水星の核に液体の部分が存在することを示す磁場が観測された。2019年には、メッセンジャーの観測データとモデル計算から、核の中心に直径2,000kmにも及ぶ固体の核が存在することが示された。


 核の周りは厚さ、600km程度の岩石質マントルで覆われているが、これは他の岩石惑星と比べごく薄いためマントルの対流が小規模となり、惑星表面に特有の影響を及ぼした可能性が指摘されている。地殻は、マリナー10号の観測結果から厚さ、100-300kmと推測されている。


 水星は太陽系の他のどの天体よりも鉄の存在比が大きい。この高い金属存在量を説明するために、主に3つの理論が提唱されている。


 1つ目は、水星は元々ありふれたコンドライト隕石と同程度の金属-珪酸塩比を持ち、その質量が現在よりも約2.25倍大きかったが、太陽系形成の初期に水星の 1/6 程度の質量を持つ原始惑星と衝突したために元々の地殻とマントルの大部分が吹き飛んで失われ、延性を持つ金属核は合体したために比率が高い現在の姿になったという理論である。これは地球の月の形成を説明するジャイアント・インパクト理論と同様なメカニズムであり、「巨大衝突説」と呼ばれる。また、このような現象は原始惑星形成時から起こり、水星軌道では選択的に金属が集まりやすかったという「選択集積説」も有力な仮説として唱えられている。


 2つ目は、水星が原始太陽系星雲の歴史のごく初期の段階に形成され、その時には未だ太陽からのエネルギー放射が安定化していなかったことが原因という理論である。この理論では、当初水星は現在の約2倍の質量を持っていたが、原始星段階の太陽が収縮するにつれて活動が活発化してプラズマを放出し、このために水星付近の温度が 2,500 - 3,500 K、あるいは 10,000 K 近くにまで加熱された。表面の岩石がこの高温によって蒸発して岩石蒸気となり、これが原始太陽系星雲風によって吹き飛ばされたために地殻部分が痩せ細って薄くなったという。これは「蒸発説」と呼ばれる。


 3つ目は、原始太陽系星雲からの太陽風が水星表面に付着していた軽い粒子に抗力を生じさせ、奪い去る現象が重なったという理論である。他にも、水星は地殻部分がコアとマントルの冷却よりも先に形成されたため、これが影響したという説もある。

 

 潮来王馬いたこおうまは武漢の研究所にいた頃を思い出した。何を隠そう、コロナを開発したのは王馬だ。王馬は印刷会社や塾などを転々としたが人間扱いされたことなどなかった。王馬は東亜大学って、都内にある大学を卒業しているが、古河和美こがかずみって教授からイジメに遭っていた。王馬は北関東の田舎にある短大から、東亜大学に3年のときに編入した。

『短大卒か、本当は君みたいな底辺の人間を受け入れるつもりはなかったんだ』

 オリエンテーションのときに古河から言われた。レストランのバイトをしながら通った。古河はウィルス研究の第一人者だ。

『君なんかゴキブリより劣る』

 卒論を研究室で書いているときにそう言われた。

 王馬はうつ病になって、留年した。その為に就活が上手くいかなかった。故郷の広島県西条に戻った。神戸の灘、京都の伏見と並び日本三大銘醸地と称される場所だ。酒屋に就職しようとしたが、拒否られた。印刷屋に漸く、24の春に就職した。最初のうちはボーナスとか払ってくれたが、社長が亡くなってからガタ落ちして、社内の雰囲気は悪くなり、課長から殴られるようになった。

 うつ病が悪化して統合失調症になり、印刷屋を辞めた。

 統合失調症は、こころや考えがまとまりづらくなってしまう病気だ。 そのため気分や行動、人間関係などに影響が出てくる。 統合失調症には、健康なときにはなかった状態が表れる陽性症状と、健康なときにあったものが失われる陰性症状がある。 陽性症状の典型は、幻覚と妄想だ。

 王馬はウィルスで東京や故郷を滅ぼす妄想を抱くようになった。

 印刷屋の次は、広島タウンで塾でセールスをやった。西条から電車で35分のところに広島駅はある。チャイムを押して、学者風の男が出て来た。

「娘さんを素晴らしい大学に入れたいとは思いませんか?」

 ブラックな学習塾で、各学校にいる臨時教師から生徒のデータを集めていた。

「いや、既に通ってるから。迷惑だから帰ってくれ」

 1ヶ月に20件教材を売れば採用、王馬はクリア出来なかった。2011年2月、30歳のときだった。転職するのも厳しい年齢になっていた。広島市が主催する介護実習に行き、ヘルパーの資格を取った。

 鞆の浦にある、介護施設『あざみ園』ってところで働き始めた。鞆の浦は江戸時代に瀬戸内海を行き交う船が、塩の干潮を待つため寄港した『潮待ちの港』として栄えた港町だ。幕末、坂本龍馬ら海援隊を乗せたいろは丸が、鞆沖での衝突事故で沈没。龍馬たちは何とか危機を脱するが、数年後に京の近江屋で幕吏に暗殺されてしまう。

 薊園は障害者がリハビリや宿泊する施設だ。

 木工やダンスなどのリハビリや、入浴やトイレ介助などを行った。王馬はそこで、結城公香ゆうききみかってヘルパーと恋に落ちた。誰に対しても分け隔てなく優しく、自傷行為(トイレの壁に頭を叩きつけていた。)をしていた坂東國和ばんどうくにかずって30歳くらいの利用者に蹴られてケガをしたときも、訴えたりせずに「こんなことしたらお母さんが悲しむよ」と涙を流したくらいだった。

 公香と婚約が決まって、彼女の家に挨拶に行った帰り、広島タウンを手を繋いで歩いた。クリスマスツリーがチカチカ綺麗だった。🎄

「今年は東日本大震災とかあったけど、来年はいい年だといいね?」

 公香は微笑んでいた。

 車から中国人が降りて、ダガーナイフで公香を突然刺した。周りにいた女性もたくさん犠牲に遭った。りゅうって彼は男性は襲わなかった。母親に虐待され、信じていた恋人が結婚詐欺師だった。

「コノヨカラオンナナンカキエレバイイ!」

 劉はそう叫んでいた。

 公香のいなくなった世界は漆黒色をしていた。

 

 公香の父親の結城健太郎ゆうきけんたろうは研究者で、アルツハイマーを完治させる薬を開発していた。健太郎の妻のこずえは『薊園』の施設長だった。梢は薊の花が好きだった。

「薊には花言葉は復讐なのよ」

 利用者の中には被害妄想を持つ者もおり、「アンタ、財布盗んだろ?」って婆さんもいた。いつもなら、「やってませんよ」くらいで済むが、『何で美しい公香が死んで、山姥みたいに醜いアンタが生きてる』とムシャクシャして、蹴り飛ばした。床に頭を打ちつけて、老婆は瀕死の重傷を負った。

 運良く、施設には王馬と梢しかいなかった。

 居室に運び、魔法の薬を開発とした健太郎がやって来て薬を注射。老婆は息を吹き返した。老婆は王馬に蹴られたことを忘れていた。

「めまいを起こして廊下で倒れたんだ」という、健太郎の嘘をしっかり老婆は信じ込んだ。

「アルツハイマーを治すよりも凄いことになった」

 健太郎は港の灯籠タイプの常夜灯を眺めながら言った。安政6年(1859)に建てられたそうだ。コレラが流行り、井伊直弼が安政の大獄で反逆者(吉田松陰よしだしょういん橋本左内はしもとさないなど)を次々に葬ったそんな年だ。

「あの娘もあの世で応援してるわ」

 天の川を見つめ、梢は涙を流した。🌌

 2015年7月7日のことだった。

 それから数日後、老婆は風邪をこじらせて死んだ。レントゲンなどでは何の問題も見られなかった。

「もしかしたら、魔法の薬の副作用か?」 

 会議の最中に健太郎は言った。会議室には王馬、健太郎、梢の3人しかいなかった。

 健太郎は坂東にも魔法の薬を投与した。彼も風邪をこじらせて死んだ。本来の坂東は足し算引き算も出来ないくらい知能しか持ち合わせていなかったが、九九が出来るようになった。

「長い地獄からやっと解放されます」

 國和の母親は涙を流して喜んでいたが、数週間後彼も風邪をこじらせて亡くなった。

「ダウン症などは心臓の病になりやすいですからね」と、母親には言っておいたが王馬はあの魔法の薬の影響だと信じていた。

 

 広島タウンのバーで健太郎はスコッチウイスキーを飲んでいた。天から地に落とされたような表情でいる健太郎に「公香の無念を晴らせるかも知れません」と隣で王馬は囁いた。

「劉は健常者だぞ」

 劉は武漢の刑務所で生きていた。劉は「共犯者がいる。世界のどこかで狙ってる」と話していたので処刑されずにいた。

「有望なモルモットを見つけてあります」

 印刷会社の暴力課長、稲敷いなしきが肺炎を患ったと聞いた。自宅に赴き、魔法の薬を勧めた。

「あの頃は将来が見えなくなって、どうかしていた。すまなかったな」

 ゴホゴホと咳き込んでいた。

「気になさらないでください」

 稲敷は寛解したが、数日後に運転中に発作に襲われて死んだ。

 王馬ってのは魔王のアナグラムなんじゃ、そんな風に思い始めていた。

 王馬の父親は酒乱で気に入らないことがあると、すぐに殴ってきた。首付近を鷲づかみにされる、冷水のシャワーを浴びせられる、髪を引っ張られるなどの暴行も受けていた。

 王馬は整形を施され、王と名を変えて武漢の研究所に潜り込んだ。

 研究所は刑務所の医療施設にも薬品を納入していた。劉にだけ渡したら怪しまれるので、インフルエンザの予防接種と称して受刑者全員に投与、人を殺したり、物を盗んだり、女を犯したり、生きている必要のない人間ばかりだ。劉たちは全員死んだ。

 映画なんかだと、偶然にも古河教授に再会して復讐を果たすが、そんなことは起こらなかった。

 コロナを予防するための緊急事態宣言、まん延防止措置などの影響で酒の街である西条も大ダメージを受けた。

 日本が佐沼帝国と呼ばれるようになって、王馬は体を強化する手術を受けた。体と頭両方にだ。  

 2023年3月の逢魔ヶ時、王馬はあのブラックな塾の塾長、内海悦子を尾道にある猫の細道で偶然見つけた。艮神社よりまっすぐに上がった突き当り、左右に延びる細道で、王馬はハンマーで悦子を殴り殺した。

 警察に追われて拳銃で背中を撃たれたが何の痛みも感じなかった。魚ってのは痛覚を感じることがないらしい。

 尾道駅近くにある、結城健太郎の姉が経営する整形外科で王馬は自分の顔に戻った。

「中国語を覚えるのは大変だったよ」

「へぇ〜」

 健太郎の姉はパンズー(デブ)だ。

 

 2026年9月11日、王馬は45歳の誕生日を迎えた。

 王馬はウサギ島にやって来た。ガソリンスタンドの従業員がゾンビになって襲いかかってきた。🧟

 ゾンビは王馬の首筋にかぶりついたが、何の痛みも感じなかった。護身用に持って来たバールでゾンビを殴り殺した。

 2階建ての民家にやって来た。王馬は鉄で出来た玄関の扉を蹴破った。佐沼智充に雇われた、結城健太郎に感謝しないとな?ドアが閉まっていたってことは中に住人がいる。が、ドンッ!というドアが壊れる音がしたのに、住人は駆けつけてこない。

 リビングで白髪頭の男がソファの上で白目を剥いていた。腹にはバールが突き刺さっている。王馬の手にもバール。クローゼットやベッドの下を調べたが、ゾンビはいなかった。

 疑われたら大変だ。王馬はバールを捨てた。

 冷蔵庫を使ってドアを塞いだ。窓からは給水塔が見えた。あの上に登れれば防御力はかなりアップする。腹が減った。冷蔵庫を開けた。サンドイッチやバナナ、野菜ジュースが入っている。白髪頭の男は誰に殺されたのか?ゾンビ?いや、ゾンビなら噛みつくとかそんな感じで殺しそうだ。家族に殺された可能性もある。野菜ジュースに毒が入っていないとも限らない。

 玄関のドアは閉まっており、密室だった。犯人はどんなトリックを使った?どこかに隠し通路でもあるのかな?王馬はトイレや浴室などを見たが、抜け穴や隠し階段はなかった。

 ここに入るときにちらりと見たが、表札には『直井』とあった。

 まさか、コロナがバージョンアップしたのか?

 王馬はキッチンで包丁を手に入れた。

「俺は不死身だ」

 人間である王馬はゾンビを殺すことが出来た。ネットで『ゾンビはゾンビじゃないと殺せない』って都市伝説があったが、迷信のようだ。

 直井家から出ると、ワンボックスカーが路駐されてるのが目に入った。CANインベーダーというバンパーの端末をセットして、動かないはずの車を動かすタブレット端末が裏の住人の間で出回っている。直井が裏の住人ならガレージにでもあるかもな?ガレージを探したが、オイルや肥料、コンドームくらいしかなかった。あのじいさん、こんな密閉された空間でよろしくやってたのか?三密はコロナに感染しやすいってのに。

 車庫から出ると、猿みたいなチビが立っていた。

「何こっち見てんだ?猿の惑星に帰れ」

「東京特許許可局、東京特許許可局、東京特許許可局」

 イミフなことをチビが連呼するとワンボックスカーのドアロックが解除された。 

「ウワッ!ビックリした」 

 モニタリングを見てるような気分になった。

「アンタ、魔法使いか何か?」

 チビが運転席、王馬は助手席に座った。

「おやや、おやにや‥‥あれ、間違えた。お綾や 親に お謝り、綾や 親に お謝り、綾や 親に お謝り」

 ドルルンッ!!エンジンがかかった。

 

 直井は様々な時代をタイムスリップして、その副作用として老化したようだ。日記には戦国時代にタイムスリップして、信長の家臣となり朝倉義景を倒したと書いてあった。一乗谷城の戦いのことかと思ったが、1573年ではなく1581年と記されていた。本能寺の変の前年だ。

 

 王馬は歴史小説で知った、一乗谷の戦いを思い出した。

 織田信長と対立した室町幕府15代将軍足利義昭はいわゆる信長包囲網を形成して信長に対抗しようとした。浅井長政・朝倉義景はこの一員として信長と戦ったが、苦境に追い込まれていった。元亀4年(天正元年、1573年)4月、同じく包囲網の一員である武田信玄が死去し、7月には盟主の義昭が京都から追放されるなど(槇島城の戦い)、包囲網側は明らかに不利になった。


 8月8日、信長は3万の軍を率いて岐阜城を発ち近江に攻め入った。これに対して浅井長政は5,000人の軍勢をもって小谷城に籠城し、朝倉義景も家中の反対を押し切った上で、自ら2万の軍を率いて長政救援のため、余呉に本陣を敷いた。ところが、長政の部将である山本山城主阿閉貞征が信長に寝返ったため、織田軍は月ヶ瀬城を落とし小谷城西側へ包囲を広げることが可能になった。また朝倉側も重臣魚住景固らが数年来の軍事疲弊を理由に出兵を拒否、やむなく義景自身が出兵するしかなくなるなど、この頃から織田方の内部工作および朝倉氏家中の闘争による崩壊が窺える。


 義景は小谷城を後詰めすべく、小谷城の背後に位置する北西の田上山に戦陣を構築、同時に大嶽砦(城)などからなる小谷城守備の城砦群を築く。一方、織田軍本隊は10日に田上山と小谷城の間にある山田山に割って陣取り、朝倉方を盛んに挑発牽制した。信長方各部隊も各要衝に城砦、戦陣を構築し、小谷城および朝倉軍包囲を計画する。


 12日、近江一帯を暴風雨が襲った。信長はこの暴風雨により敵が油断しているはずと判断し、これを好機と捉えたと考えられる。信長は本陣より自ら1,000人の手兵・馬廻のみを率いて軍を返し、朝倉方が守る大嶽砦を奇襲した。この砦は山田山から南に下がった位置にあり、小谷城を含む連山の小谷城よりも高所に位置し、朝倉軍の対織田軍に対する前線基地だった。


 朝倉方は暴風雨の中を敵が攻め寄せてくるとは思っても見なかったために降伏してきた。これを討ち取ることもできたが、ここで信長は捕えた敵兵をわざと解放し義景の陣へ向かわせた。義景は大獄砦の陥落を知れば必ずや撤退すると考え、そこを追撃しようとするものである。信長は次に朝倉方の越前平泉寺僧兵が守備していた丁野城(砦)を襲って手中に収め、そこでも敵兵を解放した。


 この2城に兵を配置した後、信長は朝倉は必ず撤退すると考え、先手に佐久間信盛・柴田勝家・滝川一益・木下秀吉・丹羽長秀などを配置。好機を逃すことのないようにと下知をした。


 13日、大嶽砦の陥落を知った義景は形勢を判断。織田軍総勢3万に対し、朝倉軍は2万。朝倉勢は前述のように主力重臣らを欠いた上、戦意も低く、勝ち目がないことを悟った義景は撤退を決断した。


 朝倉軍が撤退を開始するや、信長は本隊を率い、自ら先頭指揮を行って朝倉軍を追撃した。しかし織田方の先手武将達は、あらかじめ下知を受けていたにも関わらず信長より遅れてしまい後に信長より叱責を受けたが、佐久間信盛がこれに反論を行ったため信長の怒りを買っている。


 元々近江出兵に際し家中の意思統一も成されず、織田方の内部懐柔工作などで戦意もない朝倉軍は、退却戦の混乱に織田軍の攻撃を受けて皆殺しにされた。義景は疋田城への撤退を目標とし、経路である刀根坂に向かったが、ここでも信長自らが率いる織田軍の追討を受けた。余呉から刀根坂、敦賀にかけての撤退中、朝倉軍は織田軍に押され、織田方の記録に拠れば3,000人以上(但し「武将38人、兵3,800人」などと、誇大な数字であることを感じさせる記録ではある)と言われる死者を出した。朝倉軍もある者は踏み止まり、ある者は反転して織田方を押し戻すなど果敢に奮闘したが、北庄城主朝倉景行や当時17歳の朝倉道景といった一門衆を含め、山崎吉家、斎藤龍興、河合吉統など大名・朝倉氏本家の軍事中核を成していたであろう武将が多数戦死した。


 織田軍は翌14日まで朝倉軍を徹底的に追撃した。これにより朝倉軍の近江遠征軍、つまり朝倉本家の直属軍勢と部将はほぼ壊滅した。義景は手勢のみを率い、一乗谷へ帰還した。


 15日から16日にかけて、信長は味方の将兵を労うと同時に休息を取らせた。そして17日には大軍を整え、義景の元家臣前波吉継を案内役にして越前に攻め入った。


 一方、義景は15日に一乗谷(一乗谷城)に帰陣したが、味方の劣勢を知った国内の武将らで馳せ参じるものもなく、もはや義景の手勢は近習含めわずか500人となってしまっていたと伝えられる。ここにおいて、従弟で朝倉氏の同名衆筆頭の大野郡司朝倉景鏡が、一乗谷を捨てて越前北部の大野郡にて形勢の建て直しを図るように進言した。大野郡は盆地であり守るに堅く、当時朝倉氏と同盟関係にあった平泉寺を頼りに再起を期そうと促した(平泉寺は勇猛で知られる僧兵集団があり、近江出兵で丁野城の守備についていた)。しかしこの時、すでに平泉寺の僧兵も所領安堵などを条件として信長と内通していた(木下秀吉による事前工作と伝えられる)。


 18日、信長は一乗谷の市街地を襲撃制圧して焼き払った。一乗谷突入の際の信長方で、最も際立った働きをしたのは当主武田元明を朝倉の捕虜にされていた若狭武田氏旧家臣らであったと伝えられる。この時、朝倉氏になおも忠義を尽くそうとする者数百名が織田軍と戦ったと伝えられている。


 それより以前に手勢のみを率いて一乗谷を逃れ、景鏡に促され大野郡へと移動していた義景は20日、仮の宿所として景鏡に指定されていた六坊賢松寺を、周到に主を裏切った景鏡の手勢200に囲まれた。近習らが奮戦・討ち死にする中で義景は自刃、景鏡は義景の首を持参し信長に降参した。義景の嫡男・愛王丸や義景の愛妾小少将など、義景の極近親者は降伏を条件に助命され捕らえられた。義景近習の一部はあえて殉死せずに生き残り、彼らの助命交渉やその後の世話をしようと決めていたが、織田軍により義景の係累たちは護送中に処刑された。


 一部の武将、一族衆らは織田方に参したが、特に重く用いられるものはなかった。またその他の親族衆・武将らがその後、反乱を企てたり、一向一揆とともに決起したりしたが、数年後、越前一向一揆殲滅のため越前に再侵攻した信長の前には無力であった。


 この後、織田方は軍を北近江に返し小谷城を攻撃、浅井氏を滅ぼした。


 📒史実では死ぬはずの義景が何故生きていたのか、不思議でならない。僕は琵琶湖の近くに出来た大きな穴から向こうの世界にタイムスリップしたが、徳川家康や滝川一益などの名だたる武将が、浅井・朝倉連合軍によって打ち破られた。長政は一益が何度槍で突き刺しても死なずに、どこかへと消えた。


 王馬は日記を読み終えた。

 滝川一益ってのは甲賀の出身らしく、信長の重臣として働いていた。本能寺の変後の清州会議に間に合わず、寂しく晩年を送ったとされるが……徳川家康が死んで歴史がどう動くのか?王馬は楽しみで仕方がなかった。

 魔法使いの運転はなかなか上手かった。

 心地良眠気に誘われた。 

「そういえば、名前をまだ聞いてませんでしたね?」と、王馬。 

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