第7話 Marionette

 中国を壊滅させることに成功して僕は大満足だ。


 6月6日 - 東京メトロ日比谷線の霞ケ関 - 神谷町間に新たに虎ノ門ヒルズ駅が開業。同線では1964年以来56年ぶりの新駅で、既に開業した区間に新駅が開業するのは同線では初。


 僕は「ジャズシャンソン歌手」と3回間違わずに言えた。別人になることが出来た。キムタクみたいなイケメンになっていた。 

 虎ノ門ヒルズ駅にやって来た。虎ノ門ヒルズは東京都港区虎ノ門にあり、2014年(平成26年)6月11日に開業した超高層ビルおよびその周辺に建設する4つのビルの総称で、森ビル株式会社が開発・施設運営を行う。

 2014年(平成26年)6月4日、同ビルのマスコットとして、『ドラえもん』の藤子・F・不二雄プロと共同制作したマスコットキャラクター「トラのもん」を発表した。100年後からタイムマシンでやってきたネコ型ビジネスロボットという設定(誕生はドラえもんの2年後)で、姿はドラえもんそっくりだが白黒のトラ縞(ビルディングをイメージ)、また猫耳がある。

 入口に近い吹き抜けに立体模型が設置されて来館者を出迎える他、施設内のモニターで流れるイメージビデオやポスターにも登場する。


 中心となる超高層ビルは地上52階・地下5階建てで、芝生広場のある庭園やガーデンハウスを併設している。


 店舗は1階から4階部分とガーデンハウスにあり、4階と5階には「国際会議場」、6階から35階には「事務所」、37階から46階には「住居」、47階から52階にはホテルのアンダーズ東京という構成で開業した。

 トラのもんを見ていると化け狐が現れた。

 僕は幼い頃に母から聞いた話を思い出した。

 武州篠崎村(現・東京都江戸川区篠崎)に、4匹の悪戯狐が住んでいた。

 ある夏の日のこと。草原で狐たちが昼寝しているところへ、1人の行商人が通りかかった。商人は日頃の悪戯の仕返しとばかりに、大声で狐たちを脅かした。狐たちは飛び起き、慌てて駆け去っていった。

 その日の夕方。行商人が知人宅に立ち寄ると、その家の女房が亡くなったとのことであった。家の主人は野辺送り(亡くなった人を埋葬地まで見送ること)に行くと言い、行商人に留守を預けて家を出て行った。

 行商人がその家で主人の帰りを待っていたところ、女房の亡霊が現れ、行商人に噛み付いてきた。行商人は悲鳴を上げ、血を流しながら逃げ惑った。そこへ通りかかった農夫は、さてはあの悪戯狐に化かされたかと、行商人に水をひっかけたところ彼は正気に戻った。

 反省した行商人は、あの狐たちが昼寝していた場所へ行き、小豆飯と油揚げを備えて謝ったということである。

 炎龍で斬り殺してもよかったがそれだと目立ってしまう。戦国時代なら使っても違和感がないが。タイムスリップとかしたら使おうかな?

「この釘は引き抜きにくい釘だ」と3回唱えると狐はカチカチに凍りついた。

 

 大門は中国にやって来た。上海は素敵な街だった。同国の商業・金融・工業・交通などの中心地。強力な世界都市であり、アメリカのシンクタンクが2020年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界12位の都市と評価された。

 長江河口南岸に位置し、河口島である崇明島、長興島、横沙島などを含む。北部から東部は江蘇省・西南部は浙江省と接する。東は東シナ海(東海)に面する。市街地は、長江の支流である黄浦江を遡ったところにある。黄浦江の河口は呉淞口と称した港があり、崇明島などの島や市外への航行に用いられている。


 ケッペンの気候区分では温暖湿潤気候 (Cfa) に属し、年間平均気温は17.1℃。1月の平均気温は4.8℃と鹿児島県と同緯度の割には寒冷であり、曇りの日が多いため、日中でも10度以下、朝晩は氷点下まで下がることもある。降雪は年に1~2日程度あり、数年に一度は積雪(数cm程度)に見舞われるが、例年あまり見られない。梅雨は約20日間あり、例年7月10日前後には梅雨明けする。7月から8月にかけては高温多湿となり、7月の平均気温は28.6℃、日中猛暑日(35度以上)となる日は年間平均で8.7日に達する。平均最低気温も25.8度に達するなど暑さが厳しく、熱帯夜の日が続くなど非常に過ごしにくい。 最高気温極値は40.8℃(2013年8月7日)、最低気温極値は-12.1℃(1893年1月13日)である。

 

 上海には1920年代より多くの西洋様式の建築が残されている。その中でも特に黄浦江に面する川沿いの外灘 (The Bund) は、上海海関、香港上海銀行などが立ち並びヨーロッパ調の風情を感じさせる建築群として知られており、上海のシンボルにもなっている。市内にも多くの西洋建築が点在している。


 上海市内においては、1920年代の一般市民の共同住宅である「石庫門」と呼ばれる建築様式も残っており、現在都市化が進むなか貴重な文化資産として、その多くがブティックやレストランとして改築され、保存されている。市内中心部・淮海中路近くの「上海新天地」はその一例である。


 一方外灘の対岸にあたる浦東新区には、1994年完成の東方明珠電視塔を始めとして、新しい摩天楼群が立ち並び、そのエキゾチックな景観、発展ぶりには目を見張るものがある。2008年には世界第2位の高さとなる高層ビル、上海環球金融中心(上海ワールドフィナンシャルセンター;別名「上海ヒルズ」、地上492m、階数104階)が完成し、地上474mの高さにある100階の展望台は世界で最も高い展望台となった。さらに2014年には高さ632mの上海中心(上海タワー)が完成した。


 上海市には高さ100mを超える超高層ビルが426棟あり、世界でも7番目の高層都市である。

 

 大門は自衛隊に所属していた。新人研修の折、一条誠一いちじょうせいいちという太平洋戦争経験者が講習に来てくれたことがあったが、『敵軍に捕まる前に食べておけ』と教わった。降伏することは、敵に身を委ねることで拷問に遭う事もあるらしい。安定した精神を保つには、期待や後悔をしないことだそうだ。『逃げるチャンスが来たときのために体力を温存しておけ』とも教わった。

 

 上海の捕虜収容所では、捕らえられていた中国軍の捕虜たちが新型砲弾の射撃訓練の標的にされていた。それは、砲弾の入っていない戦車に捕虜たちを乗せて一斉砲撃するというものであった。


 6月8日、捕虜となっていた中国軍の戦車操縦士の劉は、王、張と共に次なる標的に選ばれる。だが彼らは砲撃を見事にかわし、煙を出してやられたふりをして、戦車を操縦して脱走する。

 彼らの乗った戦車は一路東へ向けてひた走るが、日本軍側は追手を差し向け、彼らは次第に追い詰められていく。


 大門は徐家匯じょかかいにやって来た。上海市徐匯区にある同区の商業の中心であり、北は広元路、東は宛平路、南は南丹路、あるいは斜土路辺りまでの地区を言う。

 徐家匯の歴史は明の時代まで遡ることができる。明末の文淵閣大学士であった著名科学者・徐光啓がかつてここで農業をするために開墾した。

 当初は“徐家庫”と呼ばれ、集落を形成していった。その後、そこが肇嘉浜と法華涇の両河川が合わさるところだったので“徐家匯”と改名された。徐家匯は上海天主教の発祥の地でもある。

 1897年、盛宣懐が徐家匯の北にて南洋公学(現在の上海交通大学)を開学した。天主教徒の馬相伯が創設した復旦大学と、天主教系の震旦大学も元々はこの地区にあった。また日本の専門学校東亜同文書院が1917年から1937年まで虹橋路にあった。

 

 徐家匯の商業は主に服飾および、パソコンなどの電化製品で、多数の百貨店、量販店が立ち並んでいる。オタクたちが行き交う。

 地区の主要道でもある肇嘉浜路は河を埋め立てて作られた道路で、その際に、区政府は徐家匯地区の環境改善のために2000年に徐家匯公園の建設をはじめ、2003年に完成した。規模は大きく、園内には小川も流れ、古い建築物も多数残され、主に喫茶室として使われている。また、この公園はカップルがたくさん集まるデートスポットにもなっている。

 ベンチて若い女性がサラリーマンとイチャイチャしてる。女性はサラリーマンのベルトに手を伸ばした。

 まだ、日も暮れてないのにお盛んだな?と、大門は思った。

 

 時間は遡る。

 バレンタインデーを目前に控えたある夜のこと。助産師として病院で働く思乐スーラの元に身元不明の女性が運び込まれた。彼女は子どもを身ごもっており、男の子を産んだ後、息を引き取ってしまう。手術に立ち会った思乐は、彼女のバッグから日記を取り出す。孤児となった赤ん坊のために、彼女の身元を割り出そうと考えたのだ。日記には『西王母せいおうぼ』と書かれていた。

 西王母は中国神話に登場する女神だ。

 歴史家の陳夢家によれば、殷墟から発掘された甲骨文字の卜辞に「西母」という神が見られ、それが西王母の前身であるという。

 東周時代に書かれたとされる『山海経』の大荒西経によると、西王母は西王母之山または玉山と呼ばれる山を擁する崑崙之丘に住んでおり、西山経には

「人のすがたで豹の尾、虎の玉姿(下半身が虎体)、よく唸る。蓬髻長髪に玉勝(宝玉の頭飾)を戴く。彼女は天の勵」という半人半神の姿で描写されている。また、海内北経には「西王母は几(机)によりかかり、勝を戴き、杖をつく」とあり、基本的には人間に近い存在として描写されている。


 また、三羽の鳥が西王母のために食事を運んでくるともいい(『海内北経』)、これらの鳥の名は大鶩、小鶩、青鳥であるという(『大荒西経』)。


 春秋時代に形成され、戦国時代に流布された『穆天子伝』によれば、周の穆王が西に巡符して「西王母之邦」で最高の礼を尽くして彼女に会い、3年間逗留して帰国したという。この物語での西王母は完全に人間の姿で描かれている。なお、西王母之邦は洛陽から西に1000キロメートルの位置にあった。

 漢代になると西王母は神仙思想と結びついて変容していった。両性具有から男性的な要素が対となる男神の東王公として分離し、ともに不老不死の支配者という性格が与えられていった。


『荘子』によれば、西王母を得道の真人としているし、『淮南子』では、西王母が持していた不死の薬を、姮娥(恒娥)が盗んで月へと逃げたと記している。清代学者である丁謙の『穆天子伝地理考証』によれば、西王母はカルデアの月神と考えられている。


 人間の非業の永生を司る女神であった西王母であったが、「死生命を司る存在を崇め祭れば、非業の死を免れられる」という、恐れから発生する信仰によって、徐々に「不老不死の力を与える神女」というイメージに変化していった。


 班固の『漢武内伝』によれば、前漢の武帝が長生を願っていた際、西王母は十万人の玉女の名録を掌る女仙の上元夫人と董双成や王子登などの侍女とともに天上から降り、三千年に一度咲くという仙桃七顆を与えたという。西王母は黄金の光輝く華美な衣装を纏い、頭には太華髻と太真晨嬰の冠をつけ、腰には分景の剣を備えた30歳位の絶世の美女であることが描かれている。漢末の建平4年(紀元前3年)、華北地方一帯に西王母のお告げを記したお札が拡散し、騒擾をもたらしたという記述が、『漢書』の「哀帝紀」や「五行志」に見える。

 張君房の『雲笈七籤』114巻によれば、西王母は弟子である戦の女神・九天玄女を派遣し、黄帝が蚩尤に勝つための兵法と神符を授けたとされる。


 この死者は『西王母』という花屋のことを示したのだった。

 店は北京駅の近くにあった。

 北京は中国国鉄の中心地であり、国内全省都への直通列車や、近隣諸国への国際列車が発着する。モスクワ、ウランバートル、平壌行きの国際列車をはじめ、国内全ての省、市、自治区の首府を結ぶ直行列車が発着する。2011年6月には、経済の中心地である上海とを結ぶ京滬高速鉄道が開業した。巨大ターミナル駅として、中央駅の北京駅や北京西駅、北京南駅が挙げられる。またその他に大きな駅として、北京東駅、北京北駅、黄村駅、豊台駅、通州西駅がある。


 市中心部、郊外の交通は、北京地下鉄が担っている。また、2006年には北京市政交通カードとよばれるICカードを導入、自動改札機も全線・全駅で導入されている。2008年8月の北京オリンピックの開催を契機に路線網が急速に拡大し、現在では総延長はおよそ710Kmとなる。


 店の前で、思乐はひとりの謎めいた老人と出会う。ヤンという老人は、悪名高きチャイニーズ・マフィア『銀角』の運転手で、組織の跡取りである嘉睿ジャルイのために働いていた。楊は呆然としている思乐を車で家まで送り届ける。


 やがて少女の日記を読んでしまった思乐の祖父、ヂョウが、彼女にこの事件から手を引くよう忠告する。日記にはチャイニーズ・マフィアが関わる人身売買についての恐ろしい事実が記されていたのだ。かつて息子を交通事故で亡くした辛い過去を持つ思乐は子どものことだけを考えており、「日記」と引換に女性の身元を教えてもらう、という取引をマフィアと交わすことに。取引の場所に現れたのは、楊だった。日記を渡す思乐に彼は少女の身元は伝えず、今回の事件は忘れ、自分たちには近づくな、と思乐に忠告する。

 

 3月1日、思乐の死体が北海公園の湖から発見された。首筋には矢が突き刺さっていた。公園は湖(北海)と仏教寺院のある島、南岸の団城、北岸の庭園を中心とする建物群からなる。正門のすぐ左手にあるのが、団城である。団城とは、文字通り「丸い城」という意味である。金代には御苑だったが、現在では高さ4.6メートルの煉瓦の城壁が周囲276メートルの長円形の丘を囲んだ小さな要塞である。また、正門をくぐると正面に永安橋が架かっていて瓊華島に渡ることができる。この瓊華島内にそびえたち、先の団城の正面に位置するのが白塔山(万寿山)である。清朝の創始者・順治帝によって創建された永安寺というラマ仏教寺院で、山頂に建てられた白い塔が遠くから人目をひく。瓊華島の左の湖ぎわには、何軒かの食事ができる店やボート乗り場があり、市民公園の雰囲気がある。春から秋にはボートが楽しめ、冬には天然のスケートリンクとなる。

 

 大門は徐家匯公園内で銀角の幹部、デンと対峙していた。

「ボスの邪魔をするな!?」

 田はトカレフ拳銃で大門の腹を撃ってきた。衝撃は感じたが痛みは感じなかった。

「オマエ、何もんだ!?」 

 大門は青竜刀で田の首を斬り落とした。

 残り19人


 上海に住む、ホアンは、銀行のコンピュータに侵入し、大金を獲る若きクラッカーだった。

 北京に住む恋人、悠然ヨウランを核で失う。


 6月9日、黄はさまざまなゲームが楽しめるホストコンピュータ『タロス』に接続する。タロスは鍛冶の神ヘーパイストスあるいはダイダロスによって作り出された青銅製の自動人形である。

 あるいはマイナーな異説では、クレースの子でヘーパイストスの父、ラダマンテュスの祖父、オイノピオーンの子とも。

 別の伝承によれば、ゼウスが現人類の前に「金の人種」、「銀の人種」、「青銅の人種」を造った際の「青銅の人種」の最後の生き残りで、巨人ではなく現人類と変わらぬ身長だったともいわれる。

 あるいは牡牛であったとも。


 ゼウスがエウローペーに与え、彼女がクレータ島へ連れて行ったとされる(ヘーパイストスがミーノースに与えたともいう)。

 タロースはクレータ島を毎日三回走り回って守り、島に近づく船に石を投げつけて破壊し、近づく者があれば身体から高熱を発し、全身を赤く熱してから抱き付いて焼いたという。胴体にある1本の血管に神の血(イーコール)が流れており、それを止めている踵に刺さった釘ないし皮膚膜を外されると失血死してしまう。

 アルゴー探険隊がクレータ島へやってきた時、メーデイアにより呪文で眠らされている間に足の釘を抜かれて死んだ(ポイアースが矢で射抜いたともいわれる)。


 ゲームメーカー『タイラント』のマシンに接続したと思い込んだ黄は、歴史シュミレーションやロールプレイングゲームなどと共にリストに入れられていた、『ホワイトブレイド』って位置ゲームを見つけた。プレイヤーは星5つの企業や娯楽施設をより多く周り、白い玉を300集めるとラスボスと戦うことが出来るようになる。

 レベル10の朱雀すざくを乗っ取ることに成功した黄は佐沼帝国に、朱雀を誘導させた。

 ボールペン工場『コブラ』に朱雀はやってくる。★★★★★

『コブラ』には無支祁むしきっていう中国の妖怪が現れた。

 古代の帝のひとりであるが天下の治水を進めていた時代に現われた水にまつわる怪物で、猿(猿猱)のようなすがたをしており、頭は白く体は青く、首を100尺も伸ばすことができ、ちからは象の大群よりも強く、動作も非常に敏捷であったという。何度も禹王の臣下がこれを鎮めようとしたが失敗、やっと庚辰こうしんによって、大索(太くて強い縄)と金鈴をつけられ亀山きざんに封じられたとされる。


 禹による無支祁退治の記録は『太平広記』に収められた説話(巻467「李湯」)に登場しており、唐の時代に楚州の知事であった李湯りとうが水中から引きあげた巨大な猿の妖怪の話を補うかたちで示されている。それによると禹による無支祁退治の記録は『古岳瀆経』「堯九年,無支祁為孽, 応竜駆之淮陽亀山足下」というぼろぼろの古文書にあったものとされており、これが示されることで李湯の話(『古岳瀆経』の見つかる話は李湯の話から48年後の元和8年であるとされる)に登場した正体不明の大猿が「無支祁」であったのであろう、ということになっている。宋の時代からよく流布されるようになり戯曲などへの利用によって人々の知るところとなった。


 人々に害をなしていた「巫支祁」という存在が禹によって封じられたという文言が『山海経』の引用であるとして『輟耕録』や『国史補』にあるのだが、現行のかたちの『山海経』には該当文は登場せず、『古岳瀆経』にあったとされる話以前の古いかたちは厳密には分からない部分が多い。


 朱雀はパイロキネシスで無支祁を倒すことに成功した。


 翌日、黄は種子島航空宇宙防衛司令部に設置された核戦争シミュレータ用の人工知能にハッキングすることに成功。

 知人で東京に留学している奕辰イーチェンは「北京に核を落としたのは北ではなく日本だ、あんまり日本を舐めない方がいい」と、黄に忠告される。

 さらに黄は北のシステムをハッキングして、日本に向けてミサイルを発射させる。日本海に落ちて、最悪の事態は避けられたが、日本は実際に北が軍事行動を始めたと誤解してしまう。北の外交部は軍事行動を否定するが、日本はアメリカを頼り反撃の準備を開始する。


 北の情報技術者、チョンがシステムのログを解析して黄のハッキングが逆探知され、黄のアパートはスパイたちに包囲され、北へ連行される。

 鄭と参謀であるパクは民間人に過ぎない黄にハッカーとしての能力があるとは信じられず、黄のやったことは中国が実際に軍事行動を起こすための陽動作戦の一部であると固く信じ込み、黄を中国のスパイの手先と決めつける。慈江道ちゃがんどうにある監獄に監禁された黄は、幼馴染で知能の低い、リンに罪をなすりつけようと画策、ハッカーとしての技術を駆使して監獄を脱走する。


 一方、林は黄に操られ北の軍事拠点をハッキング、核の動きを封じ込めることに成功した。中北の軍事衝突の危険は次第に緊迫する。黄は『悟空』と名を変えて隠棲していたリーを武漢で見つけ出し、戦争に備えて封鎖される寸前の北に戻る。

 李は中国人民解放軍のOBだ。

 最高軍事指導機関である中国共産党中央軍事委員会の内部に弁公庁をはじめとする15の機関があり、その下に陸軍、海軍、空軍、ロケット軍(元第二砲兵部隊)、戦略支援部隊および五大戦区が置かれている。


 中央軍事委員会直属部門は、2016年1月11日に15個の内部機関が発足したことで大幅に改編された。これらは七大部・三箇委員会・五箇直属機構と分けて呼ばれる。また、五大戦区も2月1日に新しく発足したもので、それまでは軍区制に従い七つの大軍区が置かれていた。


 七大部は弁公庁・連合参謀部・政治工作部・後勤保障部・装備発展部・訓練管理部・国防動員部の七部局をさす。弁公庁は日常業務、連合参謀部は作戦指揮や戦略、政治工作部は政治宣伝、後勤保障部は兵站計画や政策、装備発展部は武器の開発や調達、訓練管理部は訓練や体育、国防動員部は有事のための動員準備を担当する。


 三箇委員会は紀律検査委員会・政法委員会・科学技術委員会の三委員会をさす。紀律検査委員会は綱紀の監察、政法委員会は軍の司法機関への指導、科学技術委員会は科学技術指導を担当する。


 五箇直属機構は戦略規画弁公室・改革編制弁公室・国際軍事合作弁公室・審計署・機関事務管理総局の五部門をさす。戦略規画弁公室は組織の建設戦略、改革編制弁公室は組織改革と管理、国際軍事合作弁公室は軍の国際協力、審計署は財務監査、機関事務管理総局は内部機関の事務管理を行う。


 五軍は軍組織の運営維持や軍事行政を担当し、五大戦区は割り振られた地域別に軍種の別なく部隊の統合作戦指揮を担当する。また国防科学技術大学、軍事科学院、国防大学などが中央軍事委員会直属の軍区級組織である。


 かつては中央軍事委員会の下に、作戦や指揮を担当する総参謀部、人事や政治教育を担当する総政治部、補給を担当する総後勤部、武器の調達を担当する総装備部の四総部があり、その下に各軍・七大軍区が位置していた。現在の中央軍事委員会内部機関は、これらの四総部を直轄化したうえで解体・再編制したものである。


 国務院の国防部は外国との軍事交流などを担当しているだけで、人民解放軍に対する指揮権を持っていない。国務院の管轄下にない解放軍はあくまで党の軍隊であり、国家の軍隊ではないとする。党と軍の関係については、憲法で中央軍事委員会の指導下にあると規定されているが党主席とは記載されていない。そのため、毛沢東など歴代の最高指導者は中央軍事委員会主席を兼任している。


 中国人民解放軍が党の軍である、という立場をとるのは暴力装置である国家を操作する立場である中国共産党が、国家の最大の暴力装置である軍隊を管理するのは当然であると考えられたからである。建前上、中国人民解放軍は人民の軍隊であり、革命を遂行・防衛するための軍隊であるとされている。なお、ソビエト連邦では第二次世界大戦後の1946年に赤軍を国家の軍隊であるソビエト連邦軍に改組している。


 文化大革命では、紅衛兵の弾圧を中央軍事委員会主席である毛沢東の命令に従って行った。第一次天安門事件でも四人組からの命令を最後まで無視し、第二次天安門事件が発生した際も中国人民解放軍が、民主化勢力(民主化運動に理解を示していた一部の政府中枢を含む)と共産党保守派のどちらかに付くかを、全世界が注視したが、中央軍事委員会主席である鄧小平の命令によって民主化勢力の弾圧を行った。中国人民解放軍の行動は中央軍事委員会主席の一言に左右されている事を知らしめた。この弾圧によって、国際社会の中国人民解放軍を見る目がいっそう厳しくなり、中国人の中にも「人民を抑圧している軍隊」という印象を持ち、人民解放軍に失望した人がいた。そのため、天安門事件後に行った国際連合休戦監視機構(UNTSO)と国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)への軍事監視要員と工兵部隊の派遣に始まる国連平和維持活動(PKO)に対する積極的な参加、積極的な災害派遣と党を挙げた宣伝活動等により、イメージの改善が行われた。


 佐沼帝国にある満員のモノレール内という密閉状況の中で、ニコチン液に浸した針を使用した巧妙な殺人が発生する。被害者である株式仲買人の岩成六郎いわなりろくろうは多数の人間から恨まれており、容疑者が続々と現れるがいずれも逮捕の決め手に欠けていた。お手上げとなった広島県警の長谷川錦はせがわにしき警視と佐沼署の陣内瑞山警部補は、必死の思いで名探偵の堀部平太ほりべへいたに協力を要請する。平太は赤穂浪士、堀部安兵衛の末裔だ。


 やがて、陣内の元に、岩成が殺されたときに同じ市電に乗り合わせていたという者から殺害犯人を教えるという密告状が届く。陣内と長谷部、平太が待ち合わせの渡船場のフェリー発着場に行くと、そこで誰かがフェリーから海に落ちたと騒ぎが起きる。被害者の顔は潰れて判明できなかったが、服装や死体の左ふくらはぎにある傷跡からひき逃げ犯の時田千鶴ときたちづるという女性であることが判明する。


 やがて、岩成の共同経営者で渡船場に居合わせた利府りふってヤクザ風の男が一連の殺人事件の犯人として逮捕され、裁判にかけられる。ところが、平太がバックに就いた弁護側により、利府が第2の事件の直前に負った傷から殺害が不可能なことが証明される。

 しかし、無罪放免された利府が弁護側の一行とモノレールに乗り込んだところ、利府は何者かにより最後部の客車で射殺される。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る