第4話 勝男激走

 新宿公園の穴の中に勝男は勇気を出して飛び込んだ。勝男は戦国時代にタイムスリップした。羽柴秀吉はしばひでよしに当世具足という甲冑を渡された。火縄銃や鉄砲の登場で、甲冑も強化が強いられた。 

 戦国時代の始期と終期については、いくつかの概念がある。室町時代末期から安土桃山時代にかけて、政権に因む時代区分と平行して「戦国時代」と呼称される。

 一般に1467年の応仁の乱または1493年の明応の政変に始まり、豊臣秀吉が関東・奥羽に惣無事令を発布した1587年、または豊臣秀吉が小田原征伐で後北条氏を滅亡させ全国統一の軍事活動が終了した1590年、もしくは奥州で発生した九戸政実の乱を鎮圧し奥州仕置を完成させた1591年までとされることが多い。また、一般に1568年の織田信長上洛または1573年の信長による将軍足利義昭追放で室町時代が終了し織豊時代や安土桃山時代の始まりとすることが多い。長篠の戦いや小牧・長久手の戦いなどがあった安土桃山時代も、戦国時代の末期として含まれるという見方が多い。

 従来は、1467年に始まった応仁の乱を戦国時代の始期とする見解が有力とされていたが、その後の幕府は衰退しつつも依然中央政権として機能していた。幕府・守護体制が揺らぎ始めた時期は1490年前後であり、明応2年(1493年)の明応の政変により中央政権としての機能が決定的に失われた事が始まりであるとするのが、鈴木良一が提唱して近年に有力になった説である。


 戦国時代の終期にも複数の見解が並立している。上記の通り戦国時代は室町時代・安土桃山時代と重なる年代区分であり、織田信長が安土へ進出して「天下人」へと飛躍した1576年、あるいはさらに後世に進み、関ヶ原の戦いを最後とする見方や、さらに後の大坂の陣を最後とする考え方(元和偃武)、島原の乱を最後とする考え方なども存在する。


 戦国時代の始期と終期は地域ごとに異なるとする見解も有力である。この場合、終期は各地域が統一政権の支配下に入った年代を終期とするが、始期は地域ごとに大きく異なっている。

畿内では明応2年(1493年)の明応の政変を戦国時代の始期とし、永禄11年(1568年)の足利義昭と織田信長の上洛を終期とする。


 また、関東地方では、享徳3年(1455年)に勃発した享徳の乱によって、利根川を境界に古河公方足利氏と関東管領上杉氏によって東西二分化されて戦国時代が始まり、天正18年(1590年)の豊臣氏による小田原征伐によって戦国時代が終わったとされている。

東北地方では、永享の乱によって陸奥・出羽両国が鎌倉府の支配から離れた永享10年(1438年)が戦国時代の始まりとされ、豊臣氏による天正18年(1590年)の奥羽仕置が戦国時代の終焉とされている。

 一方で、中国・四国・九州の西国地域のように具体的な始期を検出できない地域も存在する。

 木下藤吉郎から羽柴秀吉に改姓したのは1572年8月、1585年には羽柴から藤原に改姓している。さらに翌年には藤原から豊臣に改姓。

 つまり、1572年から1585年の間のどこかってことになる。

 勝男は歴史に詳しく、歴史小説家になるのが夢だったが新宿にある伏見ふしみ商事って会社に大学卒業後就職した。伏見商事は、伏見グループの大手総合商社。伏見不動産、伏見銀行と並ぶ『伏見御三家』の一つ。鉄鉱石、原油の生産権益量は商社の中でも群を抜いている。

 日本初の総合商社である。歴史上、まだ「商事会社」という日本語すら無かった明治初期に、あらゆる産品の貿易を手掛け、世界に類を見ない民間企業として発展し、後に「総合商社」と称される企業形態の原型を造った。


 明治時代の日本企業による海外進出は、まず伏見物産が進出し、東洋郵船が航路を開き、横浜星天せいてん銀行が支店を出すと言われ、日本の外交官から「公館(大使館・領事館)無けれど物産あり」と言われるほど、官民を問わず、日本の組織としていち早く、世界の辺境地域へ進出していた。


 戦後の財閥解体により一時解散を余儀なくされるが、1959年(昭和34年)2月に旧伏見物産系商社が大合同し、現在の伏見が発足。大合同により当時最大の総合商社の地位を取り戻すが、伏見グループを挙げて投資したシームルグがイラン革命及びイラン・イラク戦争により暗礁に乗り上げ、武蔵商事にその座を譲る。


 多くの人材を輩出しており、戦前の東洋麦酒(現:ユウヒビール、ハコダテビール)、大東海上火災保険、西リなどの伏見グループの中核企業には、旧伏見物産出身者の設立した企業が少なくないことから、「組織の武蔵」に対し「人の伏見」と言われる。

「羽柴殿、変なことを尋ねるが今は何年だ?」

勝兵衛かつべえ、頭でも打ったか?元亀げんき4年じゃ」

 勝男は和暦で言われても分からなかった。

「浅井長政はもう死んだのですか?」

「何を言っておる!この間の姉川で辛酸を舐めたばかりではないか」

 尾張(愛知県西部)出身の戦国大名である織田信長は、駿河の今川義元を討ち取り、斎藤龍興から美濃を奪取したのち、上洛を目的として近江に侵攻した。侵攻に先立ち、北近江を治める浅井長政には、妹であるお市の方を娶らせて織田氏との縁戚関係を結んでいた。信長は、浅井氏からも援軍を得て、共通の敵である南近江の有力大名である六角義賢父子を破り(観音寺城の戦い)、足利義昭を奉じての上洛を果たした。


 その後、信長からの上洛参集要求などを拒んで対立した越前の朝倉義景に対し、元亀元年(1570年)4月に信長が越前への侵攻を開始すると、朝倉氏との縁(同盟関係、主従関係とも)も深かった長政は信長から離反し、織田軍の背後を襲った。


 優位から一転、挟撃される危険に陥った信長は撤退を開始。信長の家臣たちは「金ヶ崎の退き口」を経て退却した。京に一時退避した信長は兵を立て直すため5月9日に京を出て岐阜に向かった。朝倉義景は自身は敦賀に滞陣し、戦後処理や浅井長政との連絡に努め、5月11日に一族の朝倉景鏡を総大将とする大軍を近江に進発させる。朝倉軍は浅井軍とともに南近江まで進出し、六角義賢と連携し信長の挟撃を図ったが、この連携はうまくいかず、信長は千草越えにより5月21日に岐阜への帰国に成功し、六角軍は6月4日、野洲河原の戦いで柴田勝家、佐久間信盛に敗れてしまう。このため、浅井・朝倉軍は美濃の垂井・赤坂周辺を放火するとともに、国境に位置する長比・苅安尾といった城砦に修築を施し兵を入れて織田軍の来襲に備えた。朝倉軍は6月15日に越前へ帰陣するが、前後して長比城に配置された堀秀村・樋口直房が調略により信長に降り長比・苅安尾両城は陥落する。これを受けて6月19日、信長は岐阜を出立しその日のうちに長比城に入った。


 6月21日、信長は虎御前山に布陣すると、森可成、坂井政尚、斎藤利治、柴田勝家、佐久間信盛、蜂屋頼隆、木下秀吉、丹羽長秀らに命じて、小谷城の城下町を広範囲に渡って焼き払わせた。翌6月22日、信長は殿軍として簗田広正、中条家忠、佐々成政らに鉄砲隊500、弓兵30を率いさせ、いったん後退した。


 6月24日、信長は小谷城とは姉川を隔てて南にある横山城を包囲し、信長自身は竜ヶ鼻に布陣した。


ここで徳川家康が織田軍に合流し、家康もまた竜ヶ鼻に布陣。一方、浅井方にも朝倉景健率いる8,000の援軍が到着。朝倉勢は小谷城の東にある大依山に布陣。これに浅井長政の兵5,000が加わり、浅井・朝倉連合軍は合計13,000となった。


6月27日、浅井・朝倉方は陣払いして兵を引いたが、翌28日未明に姉川を前にして、軍を二手に分けて野村・三田村にそれぞれ布陣した。これに対し、徳川勢が一番合戦として西の三田村勢へと向かい、東の野村勢には信長の馬廻、および西美濃三人衆(稲葉良通、氏家卜全、安藤守就)が向かった。


  午前6時頃に戦闘が始まる。浅井方も姉川に向かってきて「火花を散らし戦ひければ、敵味方の分野は、伊勢をの海士の潜きして息つぎあへぬ風情なり(信長記)」という激戦になったが、浅井・朝倉連合軍の陣形が伸びきっているのを見た家康は榊原康政に命じて側面から攻めさせた。まずは朝倉軍が敗走し、続いて浅井軍が敗走した。結果的に織田・徳川側が1,100余りを討ち取って勝利した。合戦場付近の「血原」や「血川」という地名は往時の激戦振りを窺わせる。


信長は小谷城から50町ほどの距離まで追撃をかけ、ふもとの家々に放火したが、小谷城を一気に落とすことは難しいと考えて横山城下へ後退した。まもなく横山城は降伏し、信長は木下秀吉を城番として横山城に入れた。

 これが、姉川の戦いの概要だ。


権六ごんろく殿の仇を討たねば」

 秀吉がボソリと言った。

 権六ってのは柴田勝家のことだ。織田家の重臣で秀吉が信長に拾われた頃には既にいた。本能寺の変後、秀吉と対立し賤ヶ岳の戦いで破れ、北ノ庄城で信長の妹、お市と共に自害するが既に死んでいるのか?妖怪が現れたのは歴史が変わってしまったからなのだろう。

「質問よろしいでしょうか?」

「なんじゃ?」

「甲冑って刀で斬れるんですか?」

「オマエは馬鹿か?」

 勝男は『アンフェア』の篠原涼子を思い出した。

「甲冑は斬るより、突いた方がいいのなんて当たり前のクラッカー」

「秀吉殿がどうしてそのフレーズを?」

「昭和って時代から来た奴が言ってたぞ?コマーシャルで藤田まこととかって俳優がやってたって」

 昭和から来た冒険者のせいで時代が狂い、妖怪が出現した。 

 秀吉は槍の構え方について教えてくれた。

 まずは横一文字。後ろの足に6割、前の足に4割程度の体重バランスで立つ。

 次は中段構え。穂先を敵の目のあたりに向けて、槍を長く構える。石突きから20センチほど離れて後手を置く。

 



 

 

 

 

 


 

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