第12話 過去

 拍手と歓声が止まない部屋の真ん中で、ナツはマニを膝に抱えたまま座り込んでいた。疲れ果てて息は荒く、しかし満足そうに笑うマニ。ナツは自分の呼吸も苦しいのを隠しながら、その手をぎゅっと握った。


 マニの思いがみんなに届いた。街の人々の笑顔が見られた。最悪の事態を防ぐことができた。

 そのことが嬉しくて、苦しい状態でも自然と口角が上がる。


「ナツ、マニ!」


 人混みをかき分け、リオたちが駆け寄って来た。


「大丈夫?」

「うん。みんな、ありがとう」


 心配そうに覗き込む三人に笑みを返した、そのとき。カツン、と杖の音がした。小さいはずのその音が不思議と部屋中に響き、拍手が止み、人々は静まり返る。


 大きく開け放たれた扉から、揃いのローブを着た何人もの魔術師たちがやって来ていた。その胸元には、金の菱形のブローチ。教会の上級魔術師だ。先頭を歩いて来た男が長い杖を掲げると、ナツたちを取り囲んでいた教会の魔術師たちが一斉に跪く。男たちはリオたちの前までやってくると足を止めた。

 ナツはマニを庇うようにぎゅっと抱き寄せる。


 老いた男のぎょろりとした目がナツとマニをまじまじと見る。ナツは体中からどっと汗が吹き出すのを感じた。マニが一人で死ぬのは防げた。けれど、このあとは? 男がナツの方に手を伸ばす。近づいてくるしわがれた手に怯えるように、ナツはぎゅっと目を閉じた。


 しかし男はナツに手をあげることはなく、静かにナツの掌から杖を抜き取った。


「え……?」


 体からの魔力の流出が止まる。戸惑いながら顔を上げると、男はナツたちに向けて深く頭を下げた。


「この度は誠に申し訳ありませんでした」


 申し訳なさそうに顔をしかめながら謝る男。リオたちはその姿を呆然と見つめていた。頭をあげた男は、自分の胸に手を当て、リオたちの顔色をうかがいながら続ける。


「魔法教会マーティン支部副代表のミラと申します。この国では長きに渡って、政府と教会勤務の魔術師たちの間で癒着が発生しておりました。しかし私共はそのことに気づけず、つい先日ようやく発覚し、今日こうして急ぎ参った次第でございます」


 男は大仰な口調で語った。


「これまでのことは全てこちらの落ち度。彼らの行いは許されざる行為です」


 ミラはひとつ深呼吸をして、リオたちから部屋中の人々に向き直る。そして再び深々と頭を下げた。


「改めて、皆様、大変申し訳ありませんでした」


 その瞬間、部屋の空気がふっと緩む。

 人々が安堵の息を吐き、ちらほらと話し声も聞こえ始める。マニも安心した表情で目を閉じた。


 穏やかな空気が流れ始めるなか、ミラはくるりとナツの方を振り返る。しゃがみ込んで気絶したマニの髪を撫で、ナツに笑いかけた。


「ダーデッド王国のナツ様、ですね?」


 どうしてミラが自分の名前を知っているのか。ナツは不審に思って身構えながら、小さくはい、と答える。するとミラはらんらんと光る黄色い目でナツをねめつけながら、にやりと笑った。


「お姉様の如き勇気ある行動、また貴重なご意見に感謝いたします」


 その言葉に、ナツははっと息をのむ。

 ミラは目を弓なりに細め、囁くように言った。


「今回のことは特例的に不問といたしますので、どうぞご安心ください」


 ナツは戸惑いと恐怖を抱えたままぎこちなく頷く。この男は、のだ。

 ミラはすぐにナツから離れ、人当たりのいい笑顔を浮かべて人々に指示を出し始める。ナツはその姿をじっと見つめながら、もう一度マニの手をぎゅっと握りしめた。




 マーティンの街は、ミラの指示のもと新しい方向に大きく舵を切った。しかし新生活に向けて人々が慌ただしく動きまわるなか、気を失ったマニを医者に預け、四人は早々にマーティンを出た。


 この国の行く末を見届けようとしたリオたちを、ナツが急かしたのだ。夏休みの間にサンまで行って帰るには、ここにこれ以上留まるわけにはいかないと。




「ナツ、きいてもいい?」


 次の目的地へ向かう汽車の中。レイリは厳しい目でナツを見ながら言った。慎重に言葉を選びながら、しかしはっきりと続ける。


「今朝あなたが言ってた、あのままだとマニが殺されるって、どういうことだったの?」


 その言葉に、ナツははっと息をのむ。


「そうだよ。どういうこと?」

 リオもそう言って身を乗り出した。

 マニの救出を優先したために忘れていたが、あの言葉の真意を、リオたちはまだ知らないのだ。

 ナツは居心地悪そうに瞼を伏せて目を逸らした。


「ナツ」


 黙り込むナツに、レイリが厳しい声音で呼びかける。ますます表情を曇らせるナツを見て、シイナはその手にそっと触れた。


「ナツちゃん、教えてくれないかな」


 炎のようなナツの目を、泉のような青い目でまっすぐ見つめて続ける。


「あのときのナツちゃん、すごく怖がってるように見えた。もしナツちゃんが、わたしたちの知らない、何か怖いことを知っているのなら、わたしもそれを知りたいよ」


 シイナの中の優しさが、そのまま形になった言葉だった。ナツはこわごわと顔をあげて、それでもしばらくの間黙っていたが、やがてあたし、と小さく呟いた。


「あたし、お姉ちゃんがいたの」


「お姉さん?」

 レイリが問い返すと、ナツはこくりと頷く。遠くを見ながら続ける。

「うん。四つ上のお姉ちゃん」

「その人が、どうしたの?」


 リオの質問には、再び口を閉ざしてしまった。俯いて眉をひそめ、言葉を弄ぶように唇だけを何度か動かす。ただ事ではない気配を察した三人は、急かすことなく黙ってナツを見つめていた。


「死んじゃったの」


 やがてその唇から吐き出されたのは、その一言。


「え……?」


 リオが呟き、シイナがはっと息を呑み、レイリが目を見開く。ナツは感情の読み取れない暗い表情をして、ぽつりぽつりと言葉を続けた。


「五年前に、教会で。魔力を全部取られて死んじゃった」


 独り言のような声だった。


「どうして……?」


 シイナが怯えた声で尋ねる。

 ナツはシイナの方を見ないまま、記憶を辿るかのように遠くを見て語りだす。


「そもそもの始まりは、お姉ちゃんの友達が、魔力の提供に行かなかったこと。何度も何度も注意されて、それでも行かなくて、教会の悪口まで言いふらすようになって、その人は、教会の上級魔術師に捕まった」


 何かを押し殺しているかのような無感動な声。しかしその声はかすかに震えている。


「その時点では、もう魔力の提供をさぼらないように迎えに来たんだって、みんなその程度にしか思ってなかった。お姉ちゃんもそうだったけど、だけど連れて行き方があまりにも乱暴だったから、心配になって教会に様子を見に行ったの」


 左腕に添えられた右手。白い肌に爪が食い込んでじんわりと赤くなる。まるで行き場のない感情をその指先から逃がしているかのようだ。


「だけどそこにいたのは、大量の魔力を吸い取られて死にそうになってる友達で。お姉ちゃんは、その人を庇ったの」


「友達の代わりに、お姉さんが魔力を?」

 レイリの言葉に、ナツは静かに頷く。


「あたしはその何時間後かにお姉ちゃんを迎えに教会に行ったんだけど、そのときにはもう、お姉ちゃんもその人も死んでた」


 そのときナツは、教会で何を見たのだろうか。言葉にはならない絶望が、その声音から滲み出る。自分たちの知らないところで友達が背負わされていた苦しみに、三人は言葉を失って黙り込んだ。ナツは話を締めくくる。


「だけどそのことは公表されなくて、お姉ちゃんたちの死は、事故ってことにされた。あたしたちは教会から脅されて、本当のことを話すこともできなかったの。教会って、そういう組織なんだ」


 黙っててごめんね、と、ぎこちなく笑うナツ。向かい合わせに座るシイナとレイリが、困惑した表情で互いを見やる。


「でもごめん、そういうわけだから、この話は聞かなかったことにしてほし」


 ナツが弱々しく言いかけた、そのとき。リオがおもむろに立ち上がった。


「ナツ!」


 泣きそうな声で名前を呼びながら、ぎゅっとナツを抱きしめる。


「ちょっと、リオ」


 ナツは驚いてその腕を解こうとしたが、リオはいっそう力を強める。


「ごめんね」


 ナツの言葉を遮って言う。その声は、今にも泣き出しそうに震えていた。


「わたし何にも知らなくて。ほんとにごめん。一人で抱えて、つらかったよね」


 想定外のリアクションに、ナツはぱちぱちと瞬いた。リオの言葉がゆっくりと胸に染みて、オレンジ色の瞳が、みるみるうちに潤んでいく。

 シイナとレイリは、目を合わせてこくりと頷き合う。固まるナツの手を、シイナがそっと握った。


「もう一人じゃないからね」


 レイリもナツの目をまっすぐに見て優しく言った。


「話してくれてありがとう」


 その瞬間、ナツの両目から涙が溢れた。リオの体を抱きしめ返し、その肩に顔を埋める。


 五年間、大好きな姉が死んだ悲しみを、誰とも共有できなかった。姉を殺した組織の側で、その言いなりになるしかなかった。ずっとずっと一人ぼっちだった。苦しかった。怖かった。だけどもう、違うのだ。


「ありがとう」


 ナツは掠れた声でそう言って、声を殺して泣いた。




 しばらくしてナツが落ち着くと、四人は改めてマーティンでのことを振り返り始めた。


「ナツの話を踏まえて考えると、たしかにマニはナツのお姉さんたちと同じ道を辿ろうとしていたと考えられるわね」


 魔力を大量に吸われて瀕死だったマニの姿を思い出しながら、レイリが言う。


「ナツちゃんが助けに入ったからマニさんは助かったわけだけど、じゃあ、その違いって何なんだろう?」


 と、首を傾げたのはシイナだ。


「違い?」

 その意図がつかめず、リオがきき返す。シイナは気遣うようにナツを見ながら言葉を続けた。


「うん。ナツちゃんのお姉ちゃんは、その、殺されてしまったのに、どうしてナツちゃんやわたしたちは大丈夫だったんだろう」


 シイナが指摘すると、三人は頷きながらも首を捻った。魔力の提供の拒否、そしてそれに対する罰の中断。いずれもナツの姉のときと同じだ。それなのになぜ、二人は死に、自分たちは生きているのか。


「今回は教会に悪いところがあったから、とか?」

「上級魔術師様はそう言っていたわね」


 ミラの言葉を思い出しながらリオが言う。しかしレイリは眉をひそめた。


「でも正直、それはちょっと怪しいと思うわ。いくら塔の職員の仕業とはいえ、政府と教会の癒着に、教会が気づかないなんてことが本当にあるのかしら」


「本当はもっと前から気づいていたってこと?」

「そうじゃないと、さすがに不自然よ」

 レイリの言葉を聞いたリオの頭には、新たな疑問が浮かぶ。


「じゃあどうして上級魔術師様はあのときあんなことを言ったんだろう」


 はたまた生まれた難題に三人が頭を悩ませていると、ずっと黙っていたナツがぽつりと呟いた。


「人がたくさんいたから」


「え?」

 みんながナツの方を振り返る。


「お姉ちゃんの友達は、自分で教会に行ったんじゃない。誰もいない部屋に連れて行かれて魔力を吸われてたの。だけどマニは、捕まって隔離される前に、自分から他の人たちと同じ部屋に入った」


 ナツは赤く腫れた目に強い力を込めて言った。

「なるほど」

 ナツの言葉の真意をいち早く察知したのはレイリだ。


「教会は大勢の前で人を殺すわけにはいかないのね」


「だからマニが魔力提供を拒否したことも、教会と政府のやり方に反発したことも許したってこと?」


 リオの言葉に、ナツはこくりと頷く。


「たぶん、あの場でマニが殺されようとしていたことだけは、本当に支部の計算外だったんだと思う。ミラたちはそれを止めるために飛び出してきて、でもその到着より先にあたしたちが着いて、マニを助けた」


「そう考えれば、私たちが見逃されたことにも説明がつく」


 四人は目を合わせて頷き合った。目の前の問題の答えが出た。


「魔力提供をしないのは悪いことだけど、まさか教会が人を殺してるなんて……。なんだか怖いね」


 シイナは不安げに呟く。


「でも、ちゃんと魔力を提供しておけば、そんなことにはならないんだよね?」


 と、明るく言ったのはリオだ。


「それはそうだけど……」

「でも、教会ってなんなの?」


 口ごもるシイナを遮るようにナツが口を開いた。その表情は暗く、目からは何か強い感情がうかがえる。


「世界中を支配して、人を生かすも殺すも利用するも思い通りって、どうして教会にはそんなことが許されてるんだろう」


 その言葉に、三人は何も言えずに黙って顔を見合わせた。ナツの話を疑っているわけではない。しかし直接被害を受けていない三人は、今まで持ち続けていた教会への信頼を捨て去ることはできないのだ。かつて起きた世界の危機を救い、英雄となった組織。たとえ裏でどんな残虐な行為が行われていようとも、今もこの世界は教会のおかげで回っており、自分たちもその恵みを受けている。それは紛れもない事実なのだ。実際に教会の行いによって親族を失っているのはナツだけだ。その悲しみを三人が完全に理解することはできないし、その考えに共感することも難しい。


 ふと、汽笛が鳴った。


「まもなく、フィアドに到着いたします」


 音魔法が車内に車掌の声を届ける。

 次の目的地、フィアド王国はもうすぐそこだった。


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太陽を探しに 涼坂 十歌 @white-black-rabbit

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