第11話 マーティン〜ナツの勇気〜
夜、人々が眠りにつき、日付が変わる頃になると、ほとんどすべての灯棒が明かりを消し、街は暗闇に包まれる。
ろうそくの小さな明かりの側で横になっていたナツは、みんなを起こさないようにそっと寝袋を出た。
観光業が盛んでないこの国に、旅人向けの宿はない。それを知って一時は途方に暮れた四人だったが、食料や日用品を買ってくるという交換条件のもと、一晩マニの家で泊めてもらうことになった。ナツもみんなと一緒に買い物や食事をし、会話を楽しんで寝袋に入ったのだが。
(眠れない……)
この異様な街で、じっとしているのがどうしても怖ろしかった。
「火よ」
手元に小さな火の玉を浮かばせ、大通りに続く路地に足を向ける。
と、そのとき。
「そっちに行くのはおすすめしないよ」
頭上から声が降ってきた。
驚いて見上げると、隣の建物の屋根の上にマニが座っている。赤い炎の影を揺らめかせながら、こっち、と小さく手招いた。
「日中の魔力徴収に支障を来さないよう、夜しっかり眠るのも国民の義務。この時間は見回りも多いから、外には出ないほうがいい」
ナツを隣に座らせたマニは、街を見下ろしながら言う。
「本当に厳しい国なのね」
ナツは静かに呟いた。
祖国ダーデッドでは、夜中まで空いている店も少なくない。国民の行動はそこまで制限されていなかった。
「君はこの国が嫌い?」
マニが尋ねた。
ナツは返答に困って黙り込んだ。この国に来てからずっと感じている違和感をどう表現すればいいのか、そしてこれは言っていいことなのかわからなかった。
「はは。質問を変えようか」
見かねたマニが笑う。しかしその直後、マニは真剣な顔で言った。
「君は、教会ってなんだと思う?」
「え……?」
思いも寄らない問いに、ナツは目を見開いた。
その反応を見て、マニはさらに追い討ちをかけるように言う。
「この世界を統治する教会って、いったい何なんだろう。教会は、本当に正義なのかな」
ナツの表情が固まる。心臓がどくどくと脈打って、全身に鳥肌が立った。
「……当たり前でしょ。教会がなかったら、誰が魔法道具の管理をするの」
動揺を誤魔化すように早口で答える。胸の奥で感じる違和感には蓋をする。しかしマニはそれをこじ開けるかのように続けた。
「だからこそだよ。不思議じゃない?教会は世界を正しく導くはずなのに、この国の惨状を止めないんだ」
ナツは口をつぐむ。
「国民が疲弊して、政府が不当に利益を得る。そんなのを放置してるなんておかしな話じゃないか」
マニはナツの方をみてにこりと笑った。
ナツは彼の方を見ないまま固い声で言い返す。
「そんなこと、私に話して、私が告げ口したらどうするの」
教会に歯向かうことは、すなわち世界に歯向かうこと。その禁忌を犯した人間がどうなるか、ナツは知っている。
「それならそれでいいさ」
マニは笑った。
「でも、君はしないだろう?」
ナツのことをじっと見ていた。
ナツは黙って目を伏せる。
数秒の沈黙のあと、マニは声色を明るく変えて言った。
「青い空を探してるんだっけ?いいね、おもしろいよ」
「おもしろくないわよ。全部リオのわがままなの」
不貞腐れたようにナツが答える。
「はは。君たちは本当にいい友達なんだね」
カラカラと笑ったマニは、真っ黒な夜空を見上げて呟いた。
「いつか君たちが世界をひっくり返す日が来るのかな」
「マニ?」
ナツがマニの方を見る。
マニはぱっと振り返ると、静かに笑った。
「そのときは、この国のことをよろしくね」
どこか寂しげなその表情に戸惑いながら、ナツは曖昧に頷いた。
「ナツ、起きて。朝だよ」
翌朝、短時間ではあるが寝るのに成功したナツは、体を揺り動かされて目を覚ました。
少し離れたところに浮かぶ光の玉が照らし出すのは、見慣れたリオの顔。
「おはよう、ナツ」
「おはよう……」
寝不足のぼうっとした頭で挨拶を返す。
「ナツ、マニがどこに行ったか知らない?」
眉をひそめながらきいたのはレイリだ。
「え?」
何を聞かれているのか咄嗟に理解できず、ナツは首を傾げる。
「朝起きたらいなくなってたの」
「たしかに一緒に過ごす約束をしていたわけではない。だけど人がいるのに家を空けるなんて、ちょっと不用心じゃないかしら」
状況を把握しきれていないナツのために、シイナとレイリが説明を加える。
寝起きの頭がその言葉を理解した瞬間、ナツの背筋はぞっと粟立った。
「マニに何かあったかもしれないってこと?」
自分で口にした直後、ナツの中でかちりとパズルのピースがはまった。突如姿を消したマニ、彼の身に起こった「何か」、そして、昨夜の彼の微笑み。頭の中で最悪の展開が繰り広げられ、ナツの顔がさっと青ざめる。
「何か知ってるの?」
それを見たリオは心配そうに言った。ナツはその手を掴み、焦ったように尋ねる。
「今朝、誰かここに来なかった?」
「誰か?」
「昨日の警備員みたいな人とか、教会の人とか……!」
鬼気迫る様子でナツが言う。
教会の命に逆らう彼の、あの言葉、あの笑顔。
もしかして彼は、わかっていたのではないか?
「最初に起きたのは私だけど、少なくとも私が起きてからは誰も来てないよ。そのときには、もうマニさんはいなかった」
シイナが言う。
「夜中に誰か来てた感じもないよね」
リオもこくりと頷いた。
「となると、マニが教会に連行された可能性は低いわね」
レイリはナツの思考を先読みして否定する。
「でも教会なら、もしかしたら自分で行ったのかも。昨日そろそろ行くって言ってたから……」
「それ、本当!?」
リオがぼんやりと言うと、ナツはつかみかかるかのような勢いで身を乗り出した。
「う、うん」
リオはたじろぎながらなんとか頷く。
「ほら、全部を拒否してるわけじゃないって言ってたでしょ?」
説明を加えるが、ナツは聞いていないようだった。
白い顔で一人うつむき、ぶつぶつと何事か呟いているナツ。
「ナツちゃん……?」
シイナが心配そうに呼ぶ。それでも反応のないナツの肩に、レイリが手を置いた。
「マニが教会に行くと何かあるの?」
ナツはうつむいたままで小さく答える。
「……殺される」
「え……?」
「教会はもう、マニを見逃すつもりはないんだ」
それをわかっていて、それでも彼は自分の正義を曲げないことを選んだ。だからマニは昨晩あんなふうに笑ったのだ。ナツは強く唇を噛む。
ナツの言葉に、三人は戸惑って顔を見合わせた。
「ど、どういうこと……?」
「死ぬんだよ!」
ナツは勢いよく顔を上げた。血の気の引いた頬を涙が伝う。
「魔力を全部吸い取られて殺される。教会に逆らうって、そういうことなの!!」
あのときの景色が頭をよぎる。教会には、隠された裏の顔がある。
「魔力を、全部……?」
「どうしてそんなこと……」
シイナとレイリが顔を見合わせる。
魔力は人間の生命線。教会での魔力徴収でその全てを吸い取られるというのは、すなわち教会による殺人行為だ。世界への信頼を揺るがすその話をにわかに信じられないのは当然である。
しかしリオは落ち着いた態度で真っ直ぐナツを見つめ、そっと手を差し伸べた。
「助けに行こう」
「え……?」
「何がどうなってるのかなんて知らないし、そんなのはあとでいい。マニは今危ないかもしれないんでしょ?だったら今、助けに行こうよ」
一点の曇りもない真っ赤な瞳がナツを映す。
後先考えない、無鉄砲な友人。けれどその勇気が、これまで何度もナツの背中を押してきたのだ。
教会に逆らうのは怖い。あのときの、彼女のことを思い出すと、体の震えが止まらない。だけど今なら、一人じゃないなら、できるかもしれない。
「うん……!」
ナツは震える手を伸ばし、リオの手を取った。
マニの家を出てほうきにまたがり、痛いほど眩しい大通りを飛び進む。教会はこの道の先にもう見えている。
(待ってて、マニ――!)
ほうきの柄をぎゅっと握りしめ、ナツは速度を上げた。
魔力を回収する教会の塔は、全て同じ形をしている。白い円柱型の塔。中心部は魔力を集める炉になっており、人々はそれを囲むように整列して手にした杖からは魔力を捧げる。
塔に入った四人は、マニのいる部屋へ向ってらせん階段を駆け上がった。
「マニ!!」
美しい彫刻が施された扉を開け放つ。中にいた大勢の人が、のろのろと緩慢な仕草で振り返った。
「見て、あそこ!」
リオが人混みの先にある炉の方を指差す。
「マニ……!」
そこには木の柵の中で、杖を構えた教会の魔術師たちに囲まれて立つマニがいた。マニが持つ巨大な杖からはきらきらした赤い光が炉に向けて放出されている。マニの魔力だ。限界が近いのだろう、ふらふらと上体を揺らすマニの姿に、ナツはたまらず駆け出した。
警備員がナツに銃口を向ける。
「氷よ!」
すかさずレイリが魔法を放つ。銃口がみるみるうちに凍りついた。
「何者だ!捕らえろ!」
マニを取り囲む教会の魔術師たちが叫んでナツに杖を向ける。
「光よ!」
今度はリオが魔法を放った。彼らの目の前で光の玉が弾ける。眩しさに怯んだ隙を見て、ナツは柵の中に飛び込んだ。
「マニ!」
震えるマニの背中を支え、その手から杖を奪い取る。
「くっ……!」
その瞬間、杖に大量の魔力を吸い取られた。内臓の中身を吸い取られているかのような感覚。普通であれば吸い取られるというより差し出す感覚に近いはずだ。やはり今ここで起こっているのは異常な事態なのだと奥歯を噛み締めた。
「ナツ……?どうして」
「どうしてもこうしてもないわよ!」
弱々しく呟いたマニに、ナツは叫ぶ。
「何がこの国をよろしくねよ。人任せにして、自分は死ぬって何なのよ!」
体勢を立て直した教会の魔術師たちが二人に杖を向ける。ナツはその刺すような目線に震えながらも、マニの目をまっすぐに見て言った。
「おかしいと思うことがあるなら、自分の力で変えてみせなさいよ!」
ナツの絶叫が響き、部屋中がしんと静まり返る。集められた人々がうつろな目で二人を見ていた。マニも疲労でぼんやりした目で彼らを見返す。そして、ゆっくりと口を開いた。
「こんなことは、もう、やめないか」
明確に表された反発の声にも、誰も反応しない。
圧迫されるような静けさがマニを包む。気圧されるのを感じ取ったナツは、空いている右手でその手をぎゅっと握った。
「こんなに苦しい思いをして、工場を動かしたって、僕らの暮らしは、良くならない。得をしてるのは、ごく一部だけだ」
本当は誰もが気づいていて、けれど目を背けていた事実。それを正面から突きつけられ、数人の表情が変わる。
「こんなにたくさん、魔法道具がなくたって、僕らは、生きていけるんだ」
みんなの目つきが少しずつ変わっていく。
光も熱も水もない。そんな環境で生きてきたマニが今ここにいることが、何より確かな証明だ。
「こんなことは、もうやめて、また前みたいに、みんなで楽しく暮らそう」
マニはそう言って、自分を見つめる人々をまっすぐに見つめ返した。力なく弱々しい、けれどはっきりとした声で言う。
「僕はみんなの、笑った顔が見たいよ」
ぱちん、と、音がした。
ぱちぱちぱち、と、まばらな音が続く。
ナツは魔力の吸収に耐えながらゆっくりと顔をあげ、そして静かに微笑んだ。マニの言葉を聞いて拍手する人々。この国に来てから初めて見る、生き生きとした表情がそこにはあった。
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