六
ほとんど無視し無視されていた姉の存在をあらためて意識するにいたったのは、友幸が中学にあがってからのことだった。
友幸の中学の生徒の大半は友幸の学区とその隣の学区の小学校に通っていた。そのため、半分ほどは顔どころか存在も知らないような少年少女たちだった。そんな名も知れぬ少年少女たちの幾人かは、友幸と同じクラスになるやすぐさま近付いてきて、
「阿久比君って、あの阿久比先輩の弟なんだよね」
などと友幸の苗字を呼びながら、尋ねてきた。
「阿久比綿子だったらたしかにそうだけど、それであってるかな」
両親や教師、図書委員以外と話したのは久しぶりだったため、やや声が上擦り気味ではあったものの正直に答える。できれば姉とは極力関わり合いになりたくはなかったものの、この場で噓を吐いても仕方ない、という心理が働いた。
友幸の答えを耳にした新しいクラスメートたちは、好奇の声をあげたあと、姉の綿子に対して根掘り葉掘り、散弾銃の乱射のように質問を投げつけはじめてきた。
こういう展開を小説で読んだりアニメで見たことあったかもしれない。そう考えた友幸は、姉の威光で人気取りをするというありきたりな物語を頭に浮かべたりもした。しかし、誰かの笠を着る行為にはしっぺ返しが待っているのが相場だろうと察したのもあり、姉とは仲良くないから、の一点張りで乗り切ろうとした。
その間、友幸が謙遜していると思い込んだらしい別の学区からやってきたクラスメートたちから、姉がここ二年陸上部で立てた功績や顔の綺麗さを褒め称えるのを耳にして、随分と広く知れ渡っているんだな、と感心したりした。
「そいつ、頭おかしいから関わんない方がいいって」
そうした別の学区から入ってきたクラスメートたちの興味が友幸に集中しているのを厭ったのか、小学校の時のクラスメートのうち、今まで友幸を弄ってきた少年たちが口を挟みはじめた。彼らは小学生時代の前半の友幸への言葉の通じなさからはじまり、性格の暗さだとか、人と話さずに本ばかり読んでいることなどを面白おかしげにあげつらった。友幸としてもだいたい本当なので否定せずに聞いていた。
やがて、満足するまで話し続けた小学生時代からのクラスメートたちは、友幸を指差し、
「わかったかな。こいつと綿子さんは全然違うんだよ」
得意げにそう締めくくった。その言葉は正直なところ、あまり姉と一緒にされたくない友幸にとってもありがたく感じられたので、よく言ってくれたと思った。
その後、中学のクラスメートたちは、小学生時代のクラスメートの言葉をそのまま飲み込んだものたちと、自分の目で判断するという派閥に枝別れし、結果として、友幸の周りには想像以上に人が残った。
その中には、クラスに入ったばかりの時に行なった自己紹介の際に語った、趣味の読書に反応するものもいた。
「良かったら、好きな本とか教えてくれないかな」
その中の土生という苗字の眼鏡をかけたややふっくらした少年は、少し恥ずかしそうにそんなことを尋ねてきた。今まで誰かに本を薦めたことがないうえに、物語が好きというのだけはわかっていても、いまだにどれというほどの趣味が生まれていなかった友幸は、この質問に戸惑いつつも、最近比較的面白かった、洋館に住むひょろ長い探偵と三つ子の姉妹の話をあげて、まあまあ喜ばれたりもした。
こうして友幸は、生まれて初めて友人なるものを得るにいたった。この分類もまた物語内からの持ちこんだ判断であり、もしかしたらそうでないかもしれない、と当時は不安に思ってもいた。そんな心持ちを知っているのかいないのか、暫定友人第一号であるところの土生は、銀河の覇権を巡る国同士の対立を描いた国内の大長編SF小説を薦めてきて、その本がなかなか楽しめたのもあって、二人の絆はまあまあ強まった。
クラス内にはそんな土生以外にも話相手自体はそれなりにいたため、友幸の前から小学生の時にあった嫌なことのいくつかが消え去った。もっとも、かつて弄ってきたものたちは健在であり、他のクラスメートや教師たちの目が気になるのか直接手を出してこなくはなったものの、読んでいる本の中身も知らずに、官能小説というレッテルを貼ったりしてからかってくるようになった。当時の友幸の小説知識は、学級文庫と図書室で完結していたのもあり、官能小説なるものがなんであるのかは理解できなかったものの、弄ってきているものたちのからかうような口ぶりからするに、あまりいいものではないのだろうな、と判断しつつも無視を決めこんでいた。
「違うよ。これはSF小説だよっ。それにそういう馬鹿にするような言い方は官能小説に対して失礼じゃないかっ」
一方で、意外に気が強かった土生は、唾を飛ばすような勢いのまま本気で怒りを露にした。この年齢にしては珍しいかたちの怒り方であるし、そのうえ面白く一理あるなと現在の友幸は思うのだが、当時はただただ熱くなっているな、という他人事に近い小さな関心を示しただけに過ぎない。そして、はじめての友人に加えられた、キモオタだとかムッツリだとかいうあだ名を、友幸もまた巻き込まれるようなかたちでもらい、周りから笑われる原因を増やしたりもした。もっとも、比較的時間をともにしているクラスメート達からの評価に特に変化はなく、友幸にとっては生まれて初めて訪れた常夏のような時間だったといえる。
そうやって暮らしている間も、姉の噂は弟である友幸の耳にも頻繁に飛びこんできた。陸上部の最後の大会でもう少しで県の代表というところまでいったこと、校内成績はもちろん全国模試でもなかなかの結果をあげたこと、中学の校舎を描いた絵がコンクールで入選したこと、などなど。聞いてもいないのに勝手に噂が流れこんでくるうえに、同じ家に住んでいる関係上、いち早く聞かされもする。
両親の前で喜びを露にする姉の姿は、友幸と目を合わせている時は決して見せないものだった。この出来のいい娘の活躍もあり、阿久比家ではかなりの頻度でお祝いという名の外食の機会が用意された。友幸としては、美味い食事にありつきたいという気持ちはあれど、一緒にいると姉が嫌がるだろうなと察していたのもあり、祝いの席の度、一人だけでも家に残れないかと画策したが、両親からの大反対に遭い、毎回ついていく破目になった。
「家族のお祝いの席なんだし、いてくれないと困る」
そんな父の言に、祝われる方の嫌がりそうな気持ちとかは考えていないんだろうか、という感想を持ちながらも姉の功績のおこぼれに預かった。
寿司、高級中華料理、フランス料理。父が職場の付き合いで知ったという店の数々は、母の作ってくれる料理とは異なり、どれもこれも見た目からして高そうだっただけに、なんとも言えない畏れ多さを抱きつつも、教えられた手順に沿って淡々と食した。しかし、この時期に食べた料理の数々の味を、友幸はあまり覚えていない。食事の合間合間に鋭い視線を感じ、生きた心地がしなくなるせいだった。誰の目が向いているのかは、見るまでもなく明らかであり、たしかめたらたしかめたであの嫌な気分になる眼差しを向けられるのがわかっていたため、気付かないふりをした。
とはいえ、食事中にさらされる視線は最悪気のせいで済ませられるからまだましだったといえる。面倒なのは実際に祝いの言葉を口にしなければならない時。この年までにぽつぽつと教えられた礼儀から、まっすぐに目を合わせて言わなければならない、と心得ていたのもあり、一応、かたちだけでもと、おめでとう、の一言を口にする。その度に心底、嫌そうな目を向けられて、うんっ、と言葉ですらない相槌らしきものが返ってくる。いいからさっさと視界から消えろ。微妙に逸らされた目からそんな無言の声を聞きとったのもあり、そそくさと顔を逸らした。
そうした気まずさを味わうたびに、いつかは今の家を出て別の場所に住みたいなと願うようになっていた。両親や土生、新たにできたクラスメートなど、周りの環境自体は徐々に改善されつつあったものの、いまだに友幸のことを毛嫌いする姉や、しきりに弄り回してくる昔からの知り合いがいる。とりわけ、姉から向けられる軽蔑の目に曝されることに、友幸は段々と疲れを覚えはじめていた。だったら、もう最初から関わらなくていいような場所に行きたい。そんな単純な願いが生まれはじめていた。とはいえ、今いる土地以外に対する想像力など、せいぜい本やテレビの中にしか見出していない友幸であるから、そこにはまだまだ具体性はなく、漠然とある、そうしたいなぁ、程度の気持ちを飛び出すこともない。
そんな思いを胸に抱えつつも、弟と姉は同じ学び舎で過ごし、小学校の時と同じく、すれ違ったり、遠くから目視する機会があったりもした。
「あれ、阿久比くんのお姉さんでしょ」
ある夏の日の雑談の最中。土生が開け放った窓から見える渡り廊下を指差し、そう言った。あまり見たくないな、と考える友幸が、付き合いで指し示す先へと視線を向ければ、クラスメートとおぼしき女子に囲まれて楽しそうにする姉の姿がある。後ろに縛られた髪を揺らし、なにやら喋り、絶えず笑っている姿を眺めていると、家の中で弟相手に嫌そうな目を向けている少女とは別人のような気がした。そして、普段自分を嫌い遠ざける姉という鋳型から解放されたその少女は、美しい顔立ちと爽やかな立ち居振る舞いから、人を惹き付けてやまないのがわかった。
「いいなぁ。おれにもあんなお姉さんがいたらなぁ」
夢見るような目でそう口にする土生を見ながら、以前この友人から聞いた二人の弟の話を思い出した友幸は、交換してくれるんだったらいいよ、という冗談を飛ばそうとしてやめる。実際に交換なんてできるわけはないのだし、口にするだけ虚しいだけだと気付いたからだった。
「きっと、土生くんが思うほどいいものじゃないよ」
代わりに呟いた言葉に、土生はおかしげに笑う。
「またまた。それはいわゆる持っているものの余裕ってやつだよ。おれんちのじゃりどもなんて、まるで猿みたいで気がたって仕方ないんだ」
猿みたいな年下の男の子たちの姿に、友幸はかつての自分を重ね親近感を覚えつつも、依然として渡り廊下で立ち話を楽しむ姉とその取り巻きをぼんやりと見つめる。こうして眺めているだけであれば、なかなかいいものだ、と思いながら、どうか向こう側から気付かれないようにと密かに願った。
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