第3話

 こんなおぞましい物体を夢に見るなんて、私の想像力も随分病的に出来上がっているらしい。どうせこの蟲は何かを意味ありげに知っているのだ。私は順を追って尋ねていくことにした。

「君はこれを巨人と言ったが、少なくともこれは人間の形には見えないし、死んでいるようにも見えない」

 案の定彼は特にこれといって表立って慌てる素振りも狼狽える素振りも見せず、淡々とした口調で答えた。

「元々は巨人だったのさ。ただ、死後時間が経ちすぎてヒトをヒトたらしめるものが消失し形象が崩壊したんだ。そして、あれはあまりに膨大な生命エネルギーの残滓が反射的に動いているだけに過ぎない」

 あれ、というのはつまり脈動する表面のことを言っているのだろう。ヒトをヒトたらしめるもの——ここが物理的な根拠を持たない夢の領域だとしたら、存在が存在を維持し続けるためには、その定義を明確にし続ける必要があるのかもしれない。例えば私が記憶によって「私」という存在を維持し定義し続けているように。

 私は次の疑問について尋ねてみることにした。

「では、巨人というのは?」

「君と言う存在を模倣しようとホムンクルスによって無作為に産み落とされた『ヒト』という生命体の劣化コピーだ。縮尺が狂っているのはご愛敬ってところだね」

 またしてもホムンクルスという単語が会話に出現した。

「君は私の夢がホムンクルスの意識と混線していると言ったね」

「あぁ」

「あれはどういう意味なの」

「言葉通りの意味だ」

 言葉通りの意味。その言葉の意味を確かめるように反芻すると、私は正面を向き、瞼を閉じて、考えた。

 もしも彼の言っていることが事実なら、それはすなわち、私が創り上げた球体内部のホムンクルスが、私にコンタクトを図り、そして交信を成功させている事実に他ならない。相も変わらず全てが私の脳内で執り行われている狂気的な、すなわち夢の妄想である可能性は拭いきれなかったが、それに付き合ってまで、確かめてみる価値はあると思われた。なぜならそれが私の行っていた実験の主目的だった筈だからである。私はこの蟲の言うことをとりあえず信じてみることにした。それくらいの賭けはしてもいいだろう。

 私は瞼を開けた。そして、再び彼の方を見下ろした。彼は私の方を見上げていた。

「ホムンクルスは一体どんな方法で意識を私の夢と混線させたの」

「君は好奇心が旺盛だね」

「恐らく、それがために私はここにいる」

「結構。私たちは良く似ている」

 蟲は満足そうに頷いてから、

「ホムンクルスが一体どんな方法で意識を君の夢と混線させたのか。はっきり言うと、私の調査もそこまでは及んでいない」

「君にも知らないことがあったのね」

「私をなんだと思っているんだ」

「都合よく何でも知ってる第三者」

 私は割と真面目にそう言ったつもりだったが、蟲はそれをジョークとして受け取ったらしい。ひとしきりはははと乾いた笑い声を上げた。それから、言った。

「無論、調べる手段がない訳ではない」

「どんな手段?」

「巨人の脳を喰らう」

「それは例によって言葉通りの意味かしら」

 今度は冗談っぽく言ったつもりだったが、対する蟲は真面目腐ったような様子で頷いた。

「巨人の脳にはホムンクルスから遺伝された情報が保存されている。私がその脳を喰らうことで、ホムンクルスに関する情報を私の脳に複写する。そこから手がかりを探ろうと思う」

「脳を食べると、その記憶を引き継ぐことができると言うの?」

「そういうことだ」

「随分と特別な体質ね」

「食事という行為の本質は対象を消化しその身の糧にするということだ。時には物理的に、あるときは情報的にもね。事実、私はこの夢に存在する様々な物質を手当たり次第に喰らうことで調査をここまで進めてきた」

 私はこのグロテスクな外見の蟲が、様々な物質を手当たり次第に食い荒らす光景を想像してみた。それはあまり気持ちの良いものではなかった。

「話を戻そう。我々には巨人の脳が必要だ。かと言って、あんな死骸じゃダメだ。以前アレを食べたことがあるが、そこに遺されていた情報は完全に意味消失していて何も分からなかったし、そもそも不味かった」

 味の善し悪しが何か問題なのだろうかと思ったが、口には出さないでおいた。どうせ冗談っぽく煙に巻かれるだろうから。

「そこで、君の協力が必要になる」

 蟲が言った。

「私の協力?」

 私がやや困惑気味に答えたと言うのに、それに対して別段気にする素振りも見せず、尚も蟲は続けた。

「形象が崩壊する前の巨人の脳を喰らいたい。しかし、相手は生きている巨人だ、巨人はどうやら蟲という存在を本能的に忌避しているらしい。私は以前、調査の一環として単身で巨人に接近してみたが、彼等は私の姿を見るやいなや私を叩き潰そうと躍起になって追いかけてきた」

 私はその光景を想像してみたが、その想像はひどく難航した上に、結局うまくいかなかった。あの死骸の質量から察するに、巨人の全長は恐らく十メートルは下らないだろう。そんな巨大なヒトがこのグロテスクな甲虫を叩き潰すべく躍起になっている姿に、どんな現実味があるというのだろう。

「そんな巨人を相手に、私は一体何をするの」

「巨人の首を切断してもらう。そして、地面に落ちて無力化された頭部の形象が崩壊する前に、それを私が喰らう」

「そんなことが可能なのか、この私に」

「可能なのさ」

「私はただの非力な人間だよ」

「いいや、違う」

 蟲はきっぱりとした口調で否定した。

「ここはホムンクルスが創り出した時空であると同時に、君の脳が創り出す夢の領域でもある。言っただろう、君の夢はホムンクルスの意識と混線していると。つまり、この世界の半分は君の想像力によって生み出されていると言っても過言ではないのだ。君はいわばこの世界の領主なんだ。君が強く願えば、それが現象となって実現する。君はただ、巨人を視界で認識しながら、その首の切断を強く思い描けば良い。夢がそれに応えるはずだ。明晰夢と同じ原理だよ、分かるかね」

 言葉の上では理解できたが、それが納得できたかと言うと難しい。私は曖昧に頷いて見せた。すると蟲は半透明の翅を広げ、それを振動させるように震わせながら、ぶーんという羽音と共に私の目線の高さにまで飛び上がった。

「それでは行こう」

「どこへ?」

「巨人のいるどこかだ」

「二つ、尋ねたいことがある」

「なんだい」

 蟲は宙にふわふわと漂いながら、私を見詰めている。

「一つ目だけど、」

 私は蟲を見返しながら言った。

「これが目的で私に話しかけたの?」

「半分はそうだ」

 蟲はあっけなくそう答えた。

「では、残りの半分は?」

「君のため」

「私のため?」

「事実、君はホムンクルスがどうやって君の夢と意識を混線させているのかを知りたいのだろう。つまりはそういうことだ」

 分かったような、分からないような。

「で、二つ目に尋ねたいこととは?」

「どうして君はそこまでしようとするの」

「私には記憶がないんだ」

 蟲は秘密めいた雰囲気など微塵も感じさせず、あっさりとした口調で白状した。

「しかし、私は私の内側に私を突き動かす動機の存在を認識している。それは、より多くのことを知りたいという欲求だ。それがために、私はこうして君と行動を共にし、君に協力を仰いでいるという訳だ」

「それじゃ、君は自分の名前も知らないの?」

「そうだ。私は蟲、それで充分じゃないか」

 そう言ってから、ふと何かの気まぐれで思い出したかのように、

「そういえば、君の名前を聞いていなかったね」

 と言った。

「私は東雲」

「東雲……明け方の空にたなびく雲か、素敵な名前じゃないか」

 蟲は何の面白みもない口調で言ったが、却ってそれがお世辞でないことの裏返しのように思われた。私は不意に、この蟲に対して親しみに良く似た感情が湧くのを感じた。夢見る一人の人間と、記憶を無くした一匹の蟲。随分と奇妙な組み合わせだなと、私は思った。我々は街を歩いた。歩きながら、ふと私は周囲に人の気配が不自然なまでに途絶えていることに気が付いた。あたりは静まり返っていて、私の足音と蟲の羽音と、時たま吹き荒ぶ風の音より他に、聞こえるものなど何も無い。

「この世界には誰もいないのか」

「この世界もかつては無数のホムンクルスで溢れかえっていたさ。しかし、今の彼等は第二段階にシフトアップしてしまった。人の形を捨てて、集合精神へと統合される形でより強大な存在となった。夢見る白痴の思念体、それが今のホムンクルスだ」

「第二段階?」

「その原因は私にも分からない」

 もしかしたら、それが球体内部の事象を観測できなくなった原因なのではないだろうかと、私は頭の片隅で考えていた。

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リカーシヴ・コクーン 下村ケイ @shitamura_kei

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