第58話
誰かが耳元で叫んでいるような声がした。
知っている声、自分を心配しているような声に答えようとしたが、喉に何かがつかえてできなかった。
暫くして、何かが傍にいることに気が付いた。
包み込むような温もりに安堵する。
声は遠ざかったが、慰めるような温かさが近くにあり心が解れていく。
こちらがほっとしたことに安心したのかすっと、熱が冷めるように気配が遠のく。
待って。
迷わず、追いかける。
置いていかないで。
正体は分からない。
けれども、自分に温もりを与えようとする何かが悪い物には思えなかった。
だから、逃がしたくなかった。
相手に躊躇うような迷いが見えて今のうちに、と手を伸ばす。
ふわり、と温もりを感じて縋りたくなる。
自分は不安だったのだと思い至った。
一人にしないで。
母親の拒絶。
住み慣れた村が遠ざかる。
知らないものばかりの聖域。
思いつくままに言葉にすることが出来ない。
いつも周りにいる大人たちの顔色を窺う。
そうしなければ聖域からも出ていくように言われるのではないかと怯えている。
世話をしてくれるサシャは優しい。
笑顔を向けてくれるのは嬉しい。
他のみんなも自分を気にかけてくれる。
だけど、サシャが一番。
離れたくないから付いていった。
そうだった。
付いていって叱られた。
本当は危ないことも知っている。
聖域でおとなしくしているのが正しいと分かっている。
でも、できなかった。
様々なことが取りとめもなく浮かび、泡のように消えていく。
関連しているようで、繋がっていない思考に自分が夢の中にいるらしいことに気が付いた。
ふと、目の前に虹色に光る球が浮いていた。
糸を引くような光をくるくると回転させて次から次へと色を変える。
不気味だとは思わなかった。
知っているような気がして笑顔を向ける。
「ダメよ。これ以上、繋がってはお互いに影響を及ぼすわ」
光球から聞こえたのは大人の女性の声だった。
突然、話しかけられレインニールは手を引く。
「私が悪かったの。思わず、触れてしまったからこんなことに…。分かっているわ、あなたに会うのは良くないことだって」
「どうして?私、あなたを知っているような気がする」
淡い光が辺りを照らす。
「ありがとう。産まれた時からずっと見ていたのよ。だからでしょうね」
どこか嬉しそうな声に間違いではなかったと息を漏らす。
「見守ってくれていたの?」
「見守ることしかできないの。私は貴方に手を差し伸べることが出来ない」
もしかしたらと思い、レインニールは光球の中に手を入れる。
その衝撃でぶるぶると震える。
やがて、光球の中でレインニールは何かを掴み引きずり出す。
それは女性の手だった。
「何を、しているの…!」
自分に向けられた声に応えることなく、レインニールは光の中に集中する。
聞こえた声から想像する。
きっと、自分より年上の女性、白い肌に銀色の髪。それはレインニール自身の髪色だった。似てくれていたらいい、という思いから勝手に作り上げる。
ずるりと光球から抜け出たのは20歳をやや超えただろうかという女性だった。
彼女はやや魅惑的に見える大きな瞳を瞬かせて、自分の体を確認する。
「ちょっと、待って」
必死に考える。
自分が持っていた肉体はどんなであっただろうか。髪の色、肌の色、手足の様子、ほとんど記憶にない。
だが、今、光の球でしかなかった意識が、女性の体へと変化した。
「私はレインニール。あなたの名前は?」
少し頭を傾げて見上げる。
出来上がった女性の姿にレインニールは満足した。
考えていた以上に上手にできた。
自分にこんなことが出来るとは知らなかった。
レインニールによって姿を与えられた女性はあまりに突然の事に頭を抱える。
人の形さえ保てなかった力が、レインニールに触れ活性化してしまった。
畏れていたことが起きてしまった。
「ねぇ、お名前は?」
問われても状況に対応できず、焦った頭の中には自分の名前など浮かぶはずもなかった。
いや、自分を呼ぶものなど疾うにおらず、すっかり記憶を失くしてしまっていた。
「お、覚えてないわ」
そう答えるのがやっとだった。
最後に自分を呼んだ人は誰だっただろうか。
優しい声で呼ばれた気がしたのに、思い出すのはその口許がやっと。
「そう、この間、不思議な楽器を見たの。あなたも不思議だからパンドゥラというのはどう?」
子どもらしい発想で提案されたが案外悪くないと首肯した。
「不思議ってどんな楽器だったの?」
「あのね、弦がいっぱいあって…」
パンドゥラは手を挙げる。
「待って。そう、そうね。繋がったせいで、記憶が共有されているわ」
まるで自分が経験したことのようにその楽器の音色が脳裏に浮かぶ。
確かに、何処かで見かけたような感じがする。
レインニールも暫くパンドゥラの顔を眺めていた。
見たことのない景色が頭を占めており、状況を整理するのに時間がかかっていた。
「えっと、何か糸で空を縫っているのはパンドゥラ?」
「そうよ。この世界の綻びを繕っていたわ。もうずっと」
「それがお役目?」
同意しようとして戸惑う。
今、自分が役目に付いて語ってしまって良いものか、聖女王の許可がいるのではないか?
レインニールが自分の後継者で、この世界を自分と同じように守るというのなら…。
何処からか流れてくる風が変わった。
それに乗って、聖女王の気配を感じる。
つまり、まだ言うなってことね。
パンドゥラは軽く肩を落とす。
「さあ、レインニール。聖女王が待っているわ。起きなさい」
もう一度、惹かれてやまない頬に触れる。
勿論、実体がないので熱が伝わるわけではない。けれども、パンドゥラには手のひらに産毛を感じたようだった。
「私はあなたの傍にいるわ。安心して、戻りなさい」
レインニールの瞳が閉じられ、すっと意識が覚醒していくのを見送る。
その場にあったレインニールの姿も光を帯びて消える。
それでもパンドゥラは強くレインニールと繋がっている。
何となく、遠くを見る。
今まで忘れていたほど自分の力がみなぎっているのを自覚する。
すでに自分の分身が世界を駆けまわり、聖女王や礎の力を運んでいる。また、世界の綻びを見つけては修復している。
同時にいくつもの感覚が襲ってくるが、全てをきちんと整理できている。
昔はそうだった気がする。
眠ってすぐはいろんなことが出来ていた。
力が戻ってきている。
終わりが見えていたはずなのに、
まだ消えることは許されない。
悲しみが胸に押し寄せる。
けれども、レインニールと交わった記憶が何かを刺激する。
忘れてしまっていた何か。
いろんなことがまだらにしか思い出せず、言葉も見つからない。
「リハビリが必要だわ」
途方に暮れたように呟いたが、何処か声が弾んでいた。
~~~~~~
パンドゥラさんのお名前は楽器です。
勿論、かの有名なアレも意識しています。
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