第19話

 レインニールの生まれは辺境の谷あいの村だった。

 山が迫るように囲んでいるので、空がとても狭い。すぽっとそこだけ抜けているようであった。

 わずかに広がる平地で畑を耕し、家畜を飼い、山地で木材を切り出し加工する。

 それでも貧しい村だった。

 日が昇る前から起きだし、畑に出る者、家畜の世話に出る者がいる。それは大人だけでなく子どもも同じだった。


 レインニールの家は祖父母と両親、それに弟がいた。

 一人で歩けるようになってから、少し離れた谷川まで水を汲みに行くのが朝一番の仕事だった。その後は祖父母とともに畑についていき、雑草を抜いたり収穫を手伝ったりして日が暮れるまで働いた。

 その日は昼前に一度、一人で家に帰ることになった。

 慣れた道をとぼとぼ歩いていると家の前に見たこともない服を着た人たちがいることに気が付いた。


 対応していたのか父親がこちらに顔を上げ、手招きをする。

「レインニール、この人たちの言うことをちゃんと聞くんだよ」

 そういうと頭を優しく撫でられた。

 母の姿はない。

 身重の母はこのところ具合が悪く寝てばかりである。

 今日も起き上がった姿は見ていない。


 状況が分からず、父が言うこの人たちという自分の前に立っている白い服の男たちを見上げる。

 まだ、子どもなので身長差があり、顔が良く見えない。


 父親は誰かから袋を受け取っていた。そこからはこすれ合う金属の音が聞こえる。

 レインニールは思わず逃げようとしたが、すぐに腕を掴まれた。

 両足で踏ん張り一歩でも遠ざかろうとしたが。何処からか手が伸びてきて腰から持ち上げられた。


 今度は足をバタつかせ、父を呼ぶが全くこちらを見ることはない。

 しきりに袋を渡した人物に頭を下げていた。


 数日前も坂の下の娘が連れていかれたと聞いた。

 何処に、何のために、とは幼いレインニールにまで内容は伝えられなかった。

 昨日、その娘が違ったらしいという噂話とともに戻って来た。数日前から娘が次々にどこかに行き、帰ってくることを繰り返している。

 ついにレインニールの番が来たようだった。


 持ち上げた男の身体を目一杯力を込めて叩く。

 小さいレインニールの拳では相手にダメージは与えられない。

 悔しくて涙が流れるが誰も気にも留めてはくれない。


 他の娘は帰ってきていた。

 だから、自分も戻って来られるはず。心の何処かではそう思っているのだが、何故だか落ち着かない。

 喉が張り裂けんばかりに父に呼びかける。

 行きたくないと訴える。

 しかし、父は重たそうな袋を大事に抱えその場から動くことはしなかった。


 馬車に乗せられたのは分かったが、その後の記憶はあいまいだ。

 叫び疲れて抵抗する気力もなくなった。

 気が付くと馬車が豪華になり、周りにいた人も入れ替わった。

 下りるように言われ、導かれた先は見たこともないほど大きな建物だった。


 玄関で待っていた女性たちに案内されて奥に入る。

 ここは何処なのだろうと周りを見回していると女性たちの声が耳に入った。

「本当に?この子なの?」

「そうらしいわ。研究員と神官たちがもうあの集落にはこの子しか残っていないんだって」

「何かの間違いじゃないの?」

「この子が産まれてから異様に豊作になったり、天候に恵まれたり、不思議なことが重なったそうよ」


 その場にいたメイドたちは疑わし気にレインニールを見る。

 視線を感じて身をすくめると別のメイドが手をさし伸べた。

「ごめんね。怖いわよね。でも、大丈夫よ」

 恐々、その手に自分のものを重ねる。

「ひとまず、お風呂ね。ちょっと、しっかり入りましょう」

「ちょっとなの?しっかりなの?どっちよ」

 笑われながらも彼女は深く頷く。

「だって、それを確認するために私たちが呼ばれたんでしょう?」

 違いない。

 メイドたちはお互いに苦笑して、レインニールを風呂場へ連れていくことにした。



 あまりの湿気と熱気にレインニールは息が出来ず、咳を何度もした。

 頭の上からお湯をかけられ、石鹸で体中を泡だらけにされた。

 そうはいっても、石鹼を使ったこともない体は泡立たず、何度も何度も繰り返しメイドたちにタオルで擦られた。


「あら、この子は銀髪だったのね」

 一人がレインニールの髪色に気が付いた。

 髪に付着していた埃や汚れが無くなったため、本来の輝きを取り戻しつつあった。

 別の者が髪を掴み、毛先を確認する。

「切りそろえる必要があるわね。誰か鋏を持ってきて頂戴」


 だらりと下げていたレインニールの腕を持ち上げ、体を確認する。

 骨の浮き上がった体に彼女たちは眉を寄せる。

「これは医者を呼んだほうが早いかしら」

 持ち上げた腕も眺めてため息を吐く。


「辺境の村というから、食生活はあまり良くなかったかもしれないわね」

「豊作とはいえ、口に入るものはわずかだったということかしら」

 くるりと身体を回され今度は背中を確認される。

 レインニールは医者が呼ばれるのはお金がかかるのではないかと心配になる。

 ここに来るまでお金を請求されたことはなかった。今頃、はたと気が付き落ち着きなく見回す。


 自然と背中が曲がるのをメイドの一人が伸ばして!と声をかける。

「このまま陛下のもとには連れていけないわ」

「補佐官様に報告するわ」

 メイドたちは忙しなくレインニールの周囲を動き回る。

 それを追っているだけで、目が回りそうである。


 診断の結果、レインニールは三日間点滴に繋がれ、自由に歩けるようになるまで時間がかかったのであった。

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