第18話

「そういえば」

 エメリーヌが視線を上げる。

「最近、新世界でも幽霊を見るようになりました。候補時代は聖域でよく会いましたけど、ついにというか、何というか…」

「幽霊って、あの幽霊?書庫なんかでよく遭遇したあの?」

 ポレットも候補時代にエメリーヌと噂話をしていたことを思い出した。


「今のところ特に何かをするわけじゃないので良いのですが、ふらふらとさ迷っているみたいで、見かけた研究員たちが気味悪がっています」

「そのうち、いたずらを始めるかもしれないわね」

「そのいたずらで私たちは振り回されたりしたんだけどね」

 ミラとアデライドはレインニールを見る。

 つられる様にポレットとエメリーヌも顔色を窺う。


「新世界の形が成ってきたので見学しに行ったに過ぎません」

 スープの器が空になり、レインニールは嬉々としてケーキの皿を手前に寄せる。

 今度はアデライドは妨害をしなかった。


「その幽霊と話は出来る?」

 ミラの言葉にレインニールは首を振る。

「陛下にお会いできるような立場ではございませんとのことです」


「忙しいわけじゃない、ってことにしておくわね」

 何かを考えるようにミラはここではない場所へ視線をずらしたのだった。



 幽霊。

 聖女王たちがそう言っているのはパンドゥラのことを指している。

 名前を呼ばないのは知らないからだ。レインニール自身も、パンドゥラの本名を知らない。呼ぶのに不便だったのでレインニールが名付けたのだ。


 聞いても覚えていないと言われた。

 それほどまでに己の事を忘れていた。いや、すでに意識が消えかかっているのを無理やりレインニールが引き留めたのだ。

 最期に、と触れてきたパンドゥラに手を指し伸べる。

 以来、彼女はレインニールのそばにいる。


 最近はかなり力を取り戻したのか、レインニールから離れることが多くなった。


 聖女王たちとのお茶会を終え、回廊をあてもなく歩いていた。

 フロランに挨拶に行こうと思っていたが、何となく気が引けていた。


 いつも当たり前のように自分を気にかけてくれるフロラン。今回の件でも、自由に動けるようになった際にすぐに連絡をくれたようだった。

 レインニールは籠っていたため、代わりにリウが対応してくれたらしい。その後、こちらから礼を述べたが、聖域に来ている以上無視して帰るわけにはいかなかった。


 かといって、礼を言ってすぐ帰るのも失礼にならないか、世間話でも用意すべきではないか、悩みつつ歩いていたのだった。


 ふと、立ち止まる。

 見覚えのある場所にレインニールは息をのむ。

 この聖域で過ごしたことがあるので何処も見覚えがある場所になる。だが、この場所は特別だった。


 回廊から中庭が見える。

 色鮮やかな花と木々、その向こうには噴水があり、豊富な量の水が彫刻の上から流れている。

 昼を過ぎた頃なので、まだ、辺りは明るい。

 かわりにレインニールがいる回廊は影が濃い。ひやりと冷たい空気さえある。


 この対比に鳥肌が立つ。

 あの時の思いに動悸が起きる。

 動揺しない様にゆっくりと息を整える。

 大丈夫。

 何度も繰り返し胸の内で呟いて、視線を中庭から回廊へ戻す。

 柱の陰に、パンドゥラが立っていた。


 驚いたりはしない。

 近くにいることは分かっていたからだ。

 ふわり、とレインニールの傍まで来て優しく微笑む。

「懐かしいわね、ここ」

 パンドゥラは思いを馳せるように中庭を眺める。

「そうね」

 頷き返しながら、慎重に観察する。


 以前に比べ、パンドゥラの輪郭が色濃くはっきりと見える。また、姿を現す機会も増えた。

 実体がないとはとても信じられないくらいである。


 ここまで来るのにどれだけの時間を費やしたのか。

 決して、平坦ではなかった。


 レインニールは静かに瞳を閉じて反芻するのだった。


~~~~~

いつもありがとうございます。

次回はレインニールの過去編へ移ります。

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