第6話 神は数学者であり、高度な数学で宇宙を構成した4
「おや、数渡君じゃないか。」
明はフルフェースを外しながらそう言った。
「昨日は迷惑を掛けちゃってごめんね。」
カチューシャをしていない明はまた雰囲気が違う。昨日この部屋で初対面の挨拶を交わした時は気にならなかったが、長い前髪が顔に掛かると、性格的な明るさまで覆い隠してしまうようで、どこかもったいないと数渡は感じた。そんな数渡の気持ちを知ってか知らずか、明は早々に前髪をかき上げピンク色のカチューシャをはめた。やはりこっちの方が本来の明という気がする。
「数渡君も問題を解きに来たの?」
そう言われて数渡は俯く。
「いや、僕は問題を解く気はないよ。加納って人から、明がここにいるって聞いたから・・・。」
「わざわざ会いに来てくれたんだ。」
明が嬉しそうな顔で言う。数渡は他に時間を共有できる人もいないので、とりあえず明に会いに来たわけだが、わざわざ会いに来た、などと言われると恥ずかしさが沸き起こる。
「邪魔だったかな?」
数渡は明の目線からわざと自分の目線をそらして言った。
「そんなことないよ。」
明は首を横に振る。
「ちょうど休憩しようと思ってたところなんだ。ねえ数渡君。良かったら外で話さない?」
数渡は明と共に部屋を出て、大理石の廊下を二人で歩いた。数渡は明に今朝、加納から聞いたことを話してみた。
「人間が〔数の化身〕から作られた、かあ。私にはあのへんてこな生き物がそんな大層なものには見えないけどな。」
明は少し考えてからそう言った。数渡も同意見だ。
「加納先生変人だから、話は八分目ぐらいで聞いといたほうがいいよ。」
「先生?」
「そう、先生。加納先生、私の大学の教授だったんだよ。」
数渡は目を丸くした。そうか、当然と言えば当然だが、明は大学生だったのか。それで、加納という男は、明の大学の教授。数渡は加納の行う講義を頭の中で想像してみた。世の中にこれ以上につまらない空間が存在するだろうか。
「加納さんが先生って大変そうだね。」
「うーん、でもあの人優しいよ。頭いいし、講義も退屈しないし、いい人だよ。」
数渡は耳を疑った。あの人の話が退屈しない、だって?そしてため息をつく。
「本当に加納さんの言うように、人間が〔数の化身〕に作られてるなら、せめて数学の面白さが分かるような人間になるように僕を作ってほしかったよ。」
明はくすっと笑う。
「数渡君は本当に数学が嫌いなんだね。」
そういう明に、数渡は大きくうなずいた。それから数渡は思いついた質問を明に投げかけてみた。
「明はもし人間が〔数の化身〕から作られたってのが事実だったら、嫌じゃない?」
ちなみに自分は嫌だ。明の答えはこうだった。
「私は人間が何から造られてたって気にしないかな。〔数の化身〕から造られてたって、神様から造られてたって、ダーウィンが言うみたいに猿から進化してたってね。」
そう言うと明は少し小走りで数渡の前まで行き、向き合うようにして続けた。
「今の私を造ってるのは私なんだもん。」
自分を造っているのは自分。確かにそうかもしれない。数渡は明の顔を見て思った。たとえ何か自分の手の出せないような大きな力で自分がこの世に生み出されたのだとしても、そこからどう生きていくか選択するのは自分だ。
数渡は不意に夕暮れの教室で独り、数学の補習をしている自分の姿を思い起こした。そこにいる自分は苦しんでいた。そして惨めな気持ちになっていた。どうして?何のために?意味のない疑問をぶつけて数学を憎んだ。そして、そのたびに思い出される父の姿を数渡は薙ぎ払っていた。
幼いころ、父は数渡に数字に関する面白い話をたくさんしてくれた。まだ小学校に上がって間もなかった数渡には難しい話ばかりだったはずなのに、なぜだか父の話を聞くのは楽しかった。丸や四角、三角などの図形を使った話、動物や草花に関する数字の話。昔の人間が作った建物の話。どの話も数学を使った話だったのに、当時の数渡にはキラキラした世界に感じた。そんな話をしてくれる父の事が、数渡は大好きだった。父が突然いなくなってしまったという事実を、当時小学生だった数渡は受け入れられなかった。
最初のうちは、どうして父は帰ってこないのかと母に何度も問いかけたが、結局母は詳しいことを話してはくれなかった。父が居なくなってからは自分の周りで妙な噂が立つようになった。父は別の女性をつくって出ていったんだとか、借金が返しきれなくなって逃げたんだとか、そう言ったものだ。当時仲の良かった友達は自分の事を大層心配してくれたが、数渡は「自分は大丈夫だ。」と言い張った。実際はちっとも大丈夫ではなかったのだと今になって思う。結局、数渡は小学二年生に上がる前に住んでいた町から引っ越すことになった。数渡は引っ越した後も、ずっと父の失踪を受け入れられなかった。学校で算数を学ぶときはいつも父のことを思い出した。学校で学ぶ算数は父の話と比べると退屈で、味のないガムをずっと噛んでいるような気持ちになった。中学に上がる頃には、すっかり数字に関する話は数渡にとって退屈なものになり、高校に上がる頃にはついていけなくなった。日の傾いた教室で独り、もがき苦しんでいる自分の姿は数学を忌避し続けてきた自分の成れの果ての姿だ。
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