第6話 神は数学者であり、高度な数学で宇宙を構成した3

 朝から陰鬱な話を聞いてしまった。数渡はそう思いながら漆黒の廊下を歩いた。向かっているのは例のオーダーのある部屋だ。というのも明がそこにいるだろう、と加納が教えてくれたからだ。数渡は乾いた自分の足音を聞く間、何度も加納の言った事を頭で理解しようとした。


 しかし、それを理解しようとすればするほど今まで数渡が信じていたものが壊れていくような気がした。この世の全てのものは「数の化身」によって作られた。人間さえも。それは俄かには信じられない話だった。「数の化身」の存在ですらまだ信じられていないのに。数渡にはあの蜘蛛のような生き物が何かを作り出せるとは到底思えなかった。


 しかし、加納が言ったことが全くの虚言だと証明することも出来ない。一般的に、人類は猿から進化したとされる、ダーウィンの進化論が定説とされているが、それは学校でそう教えられただけであって別に自分がその説を唱えたわけではない。それに、そもそも猿というのは、どうやって生まれたのだろうか。もしかしたら「数の化身」がこの世に生み出したのかもしれない。常識外れの考えだろうが、数渡が持っていた薄っぺらい常識を壊すにはここ数日の出来事は十分すぎるぐらいだった。


 あれこれと考えている内に数渡はオーダーの部屋にたどり着いた。部屋の入口に立つと、数渡は息が詰まる思いがした。昨日と同じように、ターキーレッドのフルフェースを被った人々が机に向かっている。ここにいる全員が数学の問題を解いているのだ。命を懸けて。数渡はなるべくフルフェースを被った人々が目に入らないように、部屋の隅を通って明を探した。その際数渡は何度も部屋から逃げ出したいという衝動に駆られた。嫌でも視界に入るフルフェースの人々の横顔は、数渡に無言の圧力をかけているようだ。お前も席につけ、問題を解け、と。それだけに机の衝立に掛けられたピンク色のカチューシャを見つけた時、数渡は救われたような気持になった。まるで休日のショッピングセンターで迷子になった子供が母親を見つけた時のように。数渡は明の近くまで行き、その様子を窺った。例によってフルフェースで顔は見えない。俯いて眠っているようで、豊かに膨らんだ胸は呼吸に合わせてゆっくりと動いていた。数渡は机の上に目を移した。


 散乱したルーズリーフの数は優に二十は超えている。その全てに難解な問題を解いただろう筆跡が見て取れた。数渡は机にはめ込まれたタブレットをそっと覗きこんだ。


問題

 「数列a(n)=2ⁿ+ 3ⁿ+ 6ⁿ− 1の全ての項と互いに素」な自然数を全て求めよ


 数渡はこの問題を考えてみた。だが答えは出なかった。ただただこの問題を突きつけられているのが自分ではなくてよかったと思うだけだ。一体これは何問目なのだろうか?普通の数学の問題を解いているのだとしても明のそれは尊敬に値した。しかし、ここでの数学の一問は普通の問題を解くのとはわけが違う。目の前のこの女性は、その小さな体のどこからこれだけの勇気が湧いてくるのだろうか。数渡の思考を遮るように、明の体が小さく動いた。

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