第5話 万物の根源は数6
「さて、難しい話はこれでおしまい。美味しいご飯も食べたことだし、一杯飲もうよ、数渡君。」
明はそういうとおもむろに席を立ち、数渡の手をつかんだ。驚く数渡に構わず、明は数渡の手を引いてバーカウンターへと導いた。
「いらっしゃいませ。」
正装に身を包んだ男性バーテンダーがこちらを見て会釈をする。低くて品のある声だ。年齢は三十代半ば頃だろうか。髪はきれいにかき上げられ、いかにも清潔感のある男性だった。
「おじさん、カシオレ一つ。」
何の迷いもなくお酒を頼む明の姿に数渡は戸惑った。
「明、僕未成年だからお酒飲めないんだけど。それから明って歳いくつなの?」
「わたし?二十一歳だよ?次の十一月で二十二。」
二十一?二十一歳だって?確かに目の前の明はその服装のせいで多少は大人びて見える。だが、自分よりも四つも年上というのはさすがに無理がある。顔だけ見れば、中学生と言われても納得できるような気がする。
「お客様、当店ノンアルコールカクテルもご用意できます。ご注文はいかがいたしますか?」
注文を告げずにぼおっと立っている数渡に、バーテンダーの男が声をかけた。数渡は慌てて席に腰かけ、メニュー表に目を通してその中からライムソーダを注文する。明と数渡の席に注文したカクテルが届くと、乾杯の後、明はすぐに自分のカクテルを飲み干して
「もう一杯」と言う。その姿はまるで親にジュースをせがむ子供だ。
「明さん、たまには違うお酒もいかがですか?」
「うーん、じゃあおじさんのお勧めをお願い。」
「かしこまりました。」
そんなやり取りをする明とバーテンダーの男性を数渡はちびちびとライムソーダを飲みながら眺めていた。明は随分と慣れ親しんでいるように見える。
「あの、明さんはここで暮らしてどのくらいになるんですか?」
「どうしたの急に改まって。」
「だって四つも年上だなんて知らなかったから・・・」
「いいよ、そんなの気にしなくて。こっちまでかしこまっちゃうじゃん。」
笑いながら明は言う。
「こっち来てからどのぐらいになるかなあ。随分長いことここにいるような気がするけど、三年ぐらいになるのかなあ。」
三年.もし自分が三年もここにいるという事を想像すると数渡は途方もなく恐ろしい気持ちになった。
「こちら、カンパリオレンジです。」
バーテンダーにお礼を言うと、明はグラスを両手で持ち、カクテルを眺めた。
「綺麗。」
カクテルは透き通った橙色をしていた。キャンドルの日の光を反射して美しく輝いている。明るい性格の明にぴったりなカクテルだと数渡は思った。それなのに、カクテルを眺める明の姿はどこか寂し気で、輝く光を映す瞳はすぐ目の前のものを見ているはずなのに、どこか遠くの、手に届かないほど遠くのものを見ているような、そんな感じだった。
「数渡君はどうしてこの世界に来ようと思ったの?」
カクテルを一口飲んでから明は不意に数渡に尋ねた。
「僕は来たくて来たわけじゃないよ。何の説明も受けずにマスに連れてこられたんだ。」
「でも、マスも強制はしなかったんでしょ?」
「それは・・・。」
数渡は言葉に詰まった。確かにマスは強制はしなかった。明はしばらく数渡を眺めてから、くすっと笑った。
「好きになっちゃったんだ、マスのこと。」
「そんなんじゃないよ!」
数渡は慌てていった。急に羞恥心が沸き起こる。
「ふうん。マスは難しい相手だと思うけどなあ。」
明は再びカクテルを口にするとそういった。先ほどより少し顔が赤らんでいるような気がする。
「そういう明はどうしてここに来たんだ?」
「私は・・・」
明はそこで一度口を閉ざして、カクテルをぼんやり眺めた。次の言葉を探しているようだ。
「私も数渡君と同じかな。好きな人を追ってきたんだ。」
その言葉に数渡は驚いて、明をまじまじと見た。明は両手で持ったグラスから目を離さない。
「好きな人?」
「そう。もう会えなくなっちゃったんだけどね。」
明の瞳はやはり遠くを見つめているようだ。数渡はその時、明が放つどことない寂しさが店の空間を包み込むのを感じた。季節の変わり目を肌で感じるように、目に見えなくともそれははっきりと数渡に伝わった。数渡は何も言わずに明を見ていた。両手を添えたグラスを寂しげに見つめる明の姿はとても寂しげなのに、どうしてか数渡にはとても美しく見える。明は気持ちを紛らわせるようにカクテルをごくりと飲むと、数渡に視線を合わせていった。
「私が好きだった人ね。数渡君に少し似てたんだよ。」
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