第5話 万物の根源は数1
さっきと同じ廊下だ。随分と時間がたった様な気がする。それなのに窓から差し込む光は先ほどと全く変わっていない様な気がした。歩いているところは同じはずだが、場の空気は、さっきよりも和やかだ。
それはきっと数渡の隣を歩いている人物が原因だろう。明は始終笑顔のまま数渡にいろいろな質問を投げかけてきて、口を閉じる様子がない。数渡の年齢や、学校生活の事、ここに来たいきさつなど思いつく限りのありったけの質問を投げかけてくる。
話している明はとても楽しそうで常に笑顔だった。彼女の作る笑いは愛想笑いではなく本当に話すのが楽しくてしょうがないのだという印象を数渡に与えた。まるで人と話すのが何年かぶりであるかのようだ。
「ねえ、数渡君」「数渡君ってさ・・・」と嬉しそうな顔で尋ねてくるので数渡も内心嬉しくなった。しかし、自分の家族の話をするときだけは例外だった。その時だけは、数渡は苦い顔をせざるを得なかった。
「数渡くんは兄弟はいるの?」
明ははきはきした声で尋ねる。
「いないよ、一人っ子。」
「ご両親は?何のお仕事してるの?」
「母さんは保険会社で働いてる。」
「へえ、お父さんは?」
この仕事をされると、数渡はいつもお茶を濁したくなる。触れられたくない部分なのだ。
「父さんは家にいないよ。」
数渡はぽつりと答えた。まるで雨粒が一滴落ちたみたいにぽつりと。
「え?どうして?」
明は聞き返す。
「出ていったんだ。僕が小学一年生の時に。理由はよくわからない。今はどこで何をしているのかも知らない。」
数渡は他人の事を話すみたいに淡々と話した。
「そうだったんだ。ごめんね。悪いこと聞いちゃった。」
今まで笑顔を絶やさなかった明が初めて暗い表情を見せたので、数渡はなんだか申し訳ない気持ちになった。
「いや、いいんだ。出ていったのは昔の話だし、もう気にしてないから。」
わざと少し明るめな声で数渡は言う。数渡はなぜだか明にもう少し父の話をしてみたくなった。どうしてだろう。出ていった父親の話なんて、今まで誰かとしたいと思ったことなんてないのに。
「父さんは、出ていく前は塾の講師をしてたんだ。」
「へえ、すごい!頭がよかったんだね。ねえ、何の教科を教えてたのか当ててみていい?」
「え、別にいいけど・・・」
「数学でしょ?」
数渡は明の答えを聞いて驚いた。
「なんでわかったんだ?」
「ふふ、なんとなくそんな感じがしただけ。数渡くん数学好きそうだもん。」
「いや、嫌いだよ」
数渡は明の言葉を全力で否定しにかかった。
「えー、嫌いなの?なんで?面白いじゃん。」
「うーん、自分の考えを取り入れたりできないから、かな。あと面白くはない。」
数渡の答えに明は困った顔をした。数学が嫌いで何か問題があるとでもいうのだろうか。別に嫌いなだけで悪いことをしているわけではない。それなのに、マスといい明といい、どうしてそんなに数学の好き嫌いにこだわるのだろうか。
「ここに来る人は数学が得意な人が多いから、数渡君は珍しいタイプだね。」
と明は言った。数渡は明の言葉を聞いて、そういえば自分にはもっと聞かなければならない事がたくさんあることを思い出した。たわいもないおしゃべりばかりで本当に聞きたいことを何一つとして聞けていない。
「明さん、ここは一体どこで、僕は一体何のためにここに連れてこられたのかな?」
「明さんだなんてやめてよ。」
明は自分が「明さん」と呼ばれた事が面白くて仕方がないといったような感じで、数渡に言った。そうは言っても数渡は戸惑った。今まで女子の名前を呼び捨てで呼んだことなど一度もない。
「じゃあ・・・あかり?」
数渡が言いにくそうに口にすると、明は面白そうに数渡を眺めながら、
「なんだね、数渡君。」
と茶化すように言った。
「ここは何処?何をするところなんだ?それからさっきのフルフェース、〔オーダー〕というのかな?あれがある部屋で数学の問題を解いた後、変な空間で変な生き物に襲われたんだけど、あれは一体何だったんだ?」
数渡は矢継ぎ早に質問を重ねた。
「うーん、そんなにたくさん質問されてもいっぺんに答えられないや。そういえば数渡君はマスから何の説明もされずにここに連れて来られたって言ってたね。だったら無理もないよね。」
それから明は唐突に言った。
「ディナーに行こうよ、数渡君。」
あまりの急な提案に数渡は目を丸くした。
「ディナー?」
「うん、その時にいろいろ話してあげるよ。」
明は大きな瞳を数渡に向けながらそう言った。さっきまで普通に話していたのに、視線がぶつかると急に気まずくなって数渡は目を背けた。
「これから?」
数渡はつぶやくように聞き返した。
「そうだなあ、まずは数渡君を部屋まで案内しないといけないからそれからかな?」
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