4-2

 すっと閉ざされる雉野くんの唇。俯いた彼の表情をここから見ることは、叶わない。

 やがて紡ぎ出された声は、自嘲するようなそれだった。

「そうか……だったら、もっと言いふらしておくんだったな。アンタを怖がらせようと思って取っといた、とっておきの話だったのに」

「とっておきの話?」

「なのにさ、何なんだ? アンタ。すぐそばに人殺しがいるって聞いて、何で平気な顔してるんだよ。意味がわからねえよ」

「最初は、確かに戸惑ったよ。だけど、倉科先輩が本当に誰かの死に関わってるとしても、私には関係ない。だって、先輩は意地悪だけど悪い人じゃないって知ってるから。だから、そんなことで先輩を見る目が変わったりなんかしない!」

 雉野くんの目を見て、宣言するように告げる。対する彼の瞳は訝しげだった。

「あっそ。変人とつるめるような人間の考えを読もうとしたオレが間違ってたよ。まったく、本当に意味わからねえ」

 吐き捨てるように言い放って、そうして雉野くんは私たちを睨みつけるように視線を向けた。

「では、ハトちゃんの言った通り、君の復讐理由は二年前に亡くなった生徒に関すること――即ち、鮫島くんと同じ僕への復讐だったというわけだね」

「あんなやつのどうでもいい理由なんかと一緒にするな」

 ぴしゃりとすかさず否定して、雉野くんは苛立ちを表すかのように忌々しげに息を吐いた。

「オレは、オマエを許さない。オマエのせいで、兄ちゃんは死んだんだからな」

「……彼に、弟はいなかったはずだが?」

「兄ちゃんとは、従兄弟だ。近所に住んでいて、いつも遊んでもらってた。オレにとっては実の兄のような存在だったんだ!」

 その声はまるで叫んでいるかのようで、きゅっと胸が締め付けられるようだった。

「ネズミくん……君はあの鼠家くんの従兄弟か。あれは、不運な事件だった」

「不運? 誤魔化すな。オマエのせいで兄ちゃんは死んだんだよ。オマエが美化委員の清掃とかいう、くだらない遊びをしていたばっかりにな」

「くだらないなどと、君が言ってはならないよ。何せ掃除を始めたのは、彼――ネズミくんなのだからね」

 雉野くんが驚く中、倉科先輩は訥々と当時のことを語り聞かせてくれた。

「二年とは、長いようで短いものだね。あの日のことが、まるで昨日のことのようだよ」

 倉科先輩たちが一年生だった頃。先輩の友人であり、雉野くんの従兄弟でもある鼠家さんという人が、この高等部に学生として在籍していた。

 彼と倉科先輩はクラスが違うものの、よく一緒にいた仲の良い友達だったそうだ。

 二人は美化委員。当時はまだ、よくある普通の美化委員だった。

 鼠家さんは、清潔感のない倉科先輩へ白衣を着てみてはどうかと勧めてみたりするような少し変わったところのある人物ではあったものの、正義感と責任感が強く、頑固なところもある男子生徒。

 よく笑い、よく泣き、よく怒っているという感情表現の豊かな人だったそうだ。

 彼が現在の美化委員を作り上げた先駆者だったと、倉科先輩は言う。

 そうして、当時の鮫島先輩や他の生徒たちを清掃していく中で、ある日事件は起こった。

「掃除を実行した生徒から、報復を受けたのだよ」

 それは、今回の鮫島先輩のような逆恨みだった。

 その相手は上級生で、下級生からそのような辱めを受けたことも屈辱であるようだった。

「ある日、僕はその上級生から呼び出しを受けた。応じるつもりはなかったが、ネズミくんが彼に捕まっていると聞いてね。僕は浅はかにも、一人でのこのこと出向いてしまった」

 倉科先輩が到着した時に見たのは、殴る蹴るの暴行を受けている鼠家さんの姿だった。

 三、四人でよってたかっての行為は、ただのリンチ。小さく呻きながらも既に動くことのできないでいる彼に対し、執拗に暴行を繰り返していた。

「僕としたことが、頭に血が上ってね。首謀者らしき掃除対象者だった彼を殴り飛ばし、怪我を負わせたのだよ」

 しかし、相手は上級生。その上、人数の差もある。すぐさま倉科先輩も鼠家さんと同じ目に遭ってしまった。

「そこに現れたのが、フクロウちゃんとスズメくんだった。僕は、彼らに助けてもらったのだよ」

 大怪我をした倉科先輩と鼠家さんは、すぐさま病院へ運ばれた。

 倉科先輩は、数カ所の骨折。痣があちらこちらに目立つ状態と、痛々しい怪我を負わされた。

 そして、倉科先輩よりも長時間暴行を受けていたと推測される鼠家さんは、意識不明の重体。医師の迅速で賢明な処置も虚しく、そのまま帰らぬ人となってしまったのだった。

「僕にも、怪我の後遺症が残ってしまった。でもまだいい。命があるのだからね」

 倉科先輩には、頭部外傷による後遺症が認められた。

 骨折等の怪我が治っても尚、彼には手足の麻痺が残ってしまったという。

 彼には体力がないと皆は言うけれど、そうじゃない。満足に動けなくなってしまっただけなのだった。

 普段の様子からは一切そのような状態を見せない倉科先輩を、私は改めてすごいと思った。

「嘘だ……だって、今の美化委員を作り上げたのはアンタだって、皆言ってた! 兄ちゃんは、巻き込まれただけなんだ……だから……」

「信じるかどうかは、君次第だ。僕がこれ以上何を言ったところで、君には届かないのだろう? しかし、これだけは言っておこう。鮫島くんはカッターナイフとはいえ、刃物を所持していた。君も間接的とはいえ、ハトちゃんに怪我を負わせていたかもしれないのだよ? それは、ネズミくんを傷つけた彼らと同じなのではないのかい?」

「っ……」

 ぐっと爪が食い込むほどに拳を強く握り締めて、雉野くんはただ黙って足元を見つめていた。

「鮫島くんのことは、内々に処理する。君もあえて罪には問わない。引き続き美化委員メンバーとして、よろしく頼むよ」

「倉科将鷹……オレは諦めてないからな。今の話が本当だったとしても、オレはオマエを許さない! オマエなんかと関わったばかりに、兄ちゃんは不幸な目に遭ったんだ!」

「構わないよ。いつでも挑戦を受けよう。君が満足するまでね」

「涼しい顔しやがって!」

「鮫島くんを出し抜いた君との頭脳戦……楽しみにしているよ。それではハトちゃん、行こうか」

「え、あ、は、はい……!」

 スタスタと雉野くんを残して会議室を出て行く倉科先輩。彼の背を慌てて追いかける。

 廊下を歩いて思う。こんなにも早く歩くことができるようになるまでには、どれだけのリハビリをしてきたのだろうかと。

「ハトちゃん」

「な、何ですか?」

「勝手に彼をお咎めなしにしたことを、怒っているかい?」

「え?」

 きょとんと高いところにある顔を見つめると、前髪の隙間から揺れる瞳が覗いた。

「怒る、ですか?」

「君は、雉野くんのせいで大変な目に遭わされたのだよ。それだというのに処罰もなしとは……勝手が過ぎたね」

「い、いえ。そんなこと思ってないです! だってそうしないと、雉野くんのしたことが他の人にも知れ渡ってしまいますもんね。鮫島先輩は怪我をした治療のための欠席扱いにできるとしても、雉野くんが自宅謹慎を受けているとなれば、噂になっちゃいます。明日の全校集会での説明にも、矛盾が生じてしまいますもんね」

 今回のことで処罰をとなると、雉野くんはおそらく自宅謹慎。

 そうなれば課題を与えられ、教師が毎日彼の自宅を訪れることになる。

 しかも他の生徒の怠学を唆したとなれば、その期間は長いだろう。

 とくると、今度は他の生徒が不審に思う。彼は何をやったのかと。

 人の口に戸は立てられない。いずれ、噂が立つ。

 それは結果として、今回協力してもらう狐崎会長にも迷惑をかけることになってしまうのだ。

「それに私、雉野くんのこと怒ってないですから」

「怒っていない? どうして……」

「怖い目には遭いました。だけど、恨むとかそういうのは良いんです。だって、良いことなんて何もないですから」

「そうか……そうだね。であれば――」

 ふいに、先輩の足が止まる。倣い立ち止まると、高いところにある瞳が静かにこちらを見つめていた。

 どこか寂しそうな色が、胸をひどく締め付ける。

「パートナーを解消しようか」

「え?」

 思ってもいなかった言葉を向けられて、思わず目を見開く。

 冗談かと笑い飛ばせる雰囲気でもない。先輩は本気だ。

「雉野くんは、これからも僕を狙ってくるだろう。それならば、君は僕のそばにいない方がいい」

「それは……そうかもしれませんけど……」

 だからってパートナーを解消するなんて、そんなのは違う気がする。

 ……するのに、上手く言葉が出ない。

 ――私、嫌なんだ。

 関わりたくないと思っていた人なのに、いろんなことに巻き込まれているのに、それなのに私は今、とても寂しいと思っている。

 先輩のパートナーでいられないことを、嫌だと思っているんだ。

「ハトちゃん?」

 俯いて肩を震わせる私に気付き、先輩が不思議そうな声を上げる。

 私は勢いよく顔を上げた。

「嫌です!」

「え?」

「私は一年間、倉科先輩のパートナーです! 先輩のそばで、まだまだいろんなことを経験して、自身を成長させたいんです! 美化委員にならなかったら、ずっと流されて生きていました。先輩と出会わなかったら、ずっと何も考えずに生きていたに違いありません。私は、先輩のパートナーになれたことを誇りに思っています!」

「……それは、ありがたいことだけれど、ハトちゃん。今回は僕のせいで怪我をするところだったんだ。だから――」

「だから、何ですか! 結果、私は怪我してません! 先輩は、ちゃんと助けてくださいました! それでいいじゃないですか。それとも、先輩は私のことが邪魔でしたか?」

 そう捲し立てると、先輩は困ったように後ろ頭をがしがしと掻いた。

「参ったな……そんなことが、あるはずもないというのに……」

「だったら良いんですよ、このままで。私、何だかんだ今の生活、楽しいんです。……これから先、またもし何かがあっても、今回みたいに解決できますよ。先輩なら、そうしてくれるって信じてます」

「そこまで言われてしまっては、期待に応えるしかないね」

「はい! 今は、誰にも怪我がなくて良かったって思いましょう。……あ、そういえば、鮫島先輩って大丈夫だったんでしょうか?」

 急に不安になって鮫島先輩を心配していると、隣から珍しく大きな笑い声が聞こえてきた。

 びっくりして彼を見上げると、肩を震わせながらおかしいと言わんばかりに笑っている倉科先輩がいた。

「君は本当にいい子だね、ハトちゃん」

「は、はあ……」

 この反応は、いい子だからという理由とは思えない気がするのは、私が間違っているのだろうか。

 何かおかしなことを言ったのではないかと首を傾げていると、今度は優しい声が降ってきた。

「では、確認しに行こうか。保健室にいるか、あるいは自宅か。猫田先生が知っているだろう」

「はい」

 まあ、良いか。そう思うことにして、私は倉科先輩と並んで保健室を目指すのだった。


◆◆◆


 鮫島先輩は先生たちが駆けつけた時、ちょうど目を覚ましたそうだ。

 たんこぶができていたものの、それ以外に怪我は一切なく、今は何事もなかったかのように登校してきている。

 余談だが、その後の態度は明らかに変わった。どうやら、私や倉科先輩に何かすれば、志鶴が出てくると思っているらしい。

 よっぽど志鶴の繰り出した攻撃に恐怖を感じたのだろうと察する。

 雉野くんとは、あれから特に何もない。廊下で擦れ違っても、知らないふりをする。

 元々、そんなに話すような仲でもなかった。これが平常なのだと思う。

 美化委員に対して向けられていた生徒たちの不満は、倉科先輩の思惑通り。狐崎会長というカリスマからのお言葉で、見事に綺麗さっぱり消え失せた。

 ただ一人文句を垂れているのは、今まさに会議が終わったにも関わらず会議室に残って倉科先輩に絡んでいるオカルト美女、神代アウルだけだった。

「何で鮫島の公開処刑をしなかったわけ? 何なの? 善人? 神様? あんた神様のつもりなわけ?」

「フクロウちゃんは、また面白いことを言うのだね」

「その名で呼ぶなって言ってんでしょうが!」

「スズメくんと同じことを言って……君たちは本当に仲良しだね」

「はあ? あのうるっさい不良と誰の仲が良いのよ。誰の!」

 この光景にもすっかり慣れてしまった。私は彼らの会話を聞きながら、ノートにペンを走らせ、思う。

 解決できていないこともある。また雉野くんは、倉科先輩へ復讐を仕掛けてくるのだろうか。

 それでも今は、平穏が戻ってきてくれたことを喜ぶことにしよう。

「あんた……この前の一件、何か隠してるでしょ。あのいけ好かない会長が出てきたのもおかしいと思ってるんだけど」

「何を言っているのかな? フクロウちゃんは、そんなに僕のことを考えていたいのかい?」

「あん? 何ふざけたこと言ってくれてんの?」

「おや。熱い視線だね。射抜かれそうだよ」

「そのまま射殺してやりたいね」

 バチバチと火花が散る双方間。

 ああ、もう……ここまでいつも通りに戻らなくても良いのに!

「まあ、平和な証拠、かな?」

 現実から目を逸らすように向けたのは、窓の向こうの空。

 そこには、晴れ渡った夕焼け空が広がっている。

 いつまでも、こうして穏やかな風景を眺めていられるようにと、私は密かに願うのだった。

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美化委員のお仕事! 広茂実理 @minori_h

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