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「あれから、ずっと大人しく過ごしてきた……ようやく誰もがあの時のことを忘れて、普通に過ごしてたのによ……まさかの美化委員になっちまうんだもんな。おまけに、お前は平然と話し掛けてきやがるしな! お前にとっては掃除対象の内の一人だろうが、俺はあの時のことを忘れたことなんかなかった!」

「言っておくけれど、忘れてなどいないよ。君は、美化委員初めての掃除ターゲットだった。当時は有名だったね。トップバッターに名誉の第一号……あれから掃除を続けて、そのように言う者もいなくなったから僕も安心していた。君も改心してくれたものだと思っていたのだけれど……どうやら、僕もまだまだだったというわけだね」

 がしがしと頭を掻いて、そのポーズのまま俯けていた顔を上げる倉科先輩。

 掻き上げられた前髪の間から、射抜くような黒の瞳が眼鏡越しに覗いている。

 睨み上げるようなそれはとても鋭く、何もかもを見透かされてしまうような錯覚に陥った。

 正面から彼の視線を受けている鮫島先輩が、ひく、と頬を引きつらせる。

「申し訳なかったよ。なにぶん初めてのことだった上に、まだ一年生だったからね。許してもらいたい」

「お前……それが、謝罪する態度かよ……」

 言いながらも、すっかり鮫島先輩は倉科先輩の視線に萎縮している。

 何とか退かずに耐えているという状態だ。

「さあ、どうだろうね? しかし君が欲したのだろう? 謝罪を」

「そんな謝り方があるかよ。ふざけてんのか!」

 鮫島先輩が声を震わせながらも叫んだその言葉に、キッと倉科先輩の目が細められる。

 びくりと鮫島先輩の肩が跳ねた。

「ああ、反省しているよ。君への掃除がことをね」

 ゆらり……髪を掻き上げていた腕をだらりと下ろして立つ倉科先輩。

 鮫島先輩を見下すように向けられたその表情は、暗く笑んでさえいた。

 怯える、凶器を持った生徒。これでは、どちらが悪役かわからない。

「どこまでも馬鹿にしやがって……!」

 恐れと怒りをない交ぜにして、隣の青年はわなわなと体を震わせる。

 かと思いきや、彼はなんと突如として私を放り、目の前の白衣に向かって駆け出したのだ。

 もちろん、カッターナイフをその手に握り締めて。

「んんーっ!」

「お前、起きて――!」

 私は咄嗟に口の中で出せる限りの大きな声を発する。

 その叫びにも似た音に、私が起きていると思っていなかった鮫島先輩が驚き、反射的にこちらを振り向いた。

「さすがハトちゃん、名女優だ」

「なっ――!」

 口角を吊り上げて笑みを浮かべる倉科先輩。

 鮫島先輩の注意が私へと逸れたその瞬間、勢いよく飛び込んでくる小さなシルエットがあった。

 あっという間もなく、青年の体が宙を舞う。

 驚き何事かと目を見開いていると、声を掛けられた。

「大丈夫か、小鳩!」

 声のする方を向けば、真剣な眼差しで私を気遣う志鶴が立っていた。

 考えるまでもない。鮫島先輩は彼に吹っ飛ばされたのだ。

「今、解いてやるからな」

 口元のガムテープをそっと剥がしてから、私の後方に回り拘束を外してくれる志鶴。

 貼られていた箇所がひりひりするけれど、そんなことはどうでも良かった。

 誰にも怪我がなくて、本当に良かった……。

「小鳩、怪我はないか?」

「うん、大丈夫。志鶴、ありがとう」

「良かった……無事で、本当に良かった」

 安堵した志鶴の顔は、どこか泣きそうで。

 私はそれほどまでに心配させたことを謝った。

「ハトちゃんが注意を逸らしてくれたおかげで、上手くいったよ」

「倉科先輩……助かりました。ありがとうございました」

「いや。君をこのような目に遭わせてしまい、申し訳なかった。本当にすまない」

 言って、頭を下げる倉科先輩。

 私は慌てて、頭を上げてもらえるように言った。

「しかし、やはり内部に反逆者がいたのだね。それが、鮫島くんだったとは……」

「鮫島先輩が倉科先輩への逆恨みから、こんなことをしたなんて……未だに信じられません」

 床に倒れて気絶している鮫島先輩へ視線を向ける。目を覚ます気配はない。

 しかし、無理もない。あの志鶴の蹴りをガードもなしにその身で受けたのだから。

「気絶しているだけのようだし、話を聞くのは後だね。今は戻って、混乱させてしまった高等部内を収めよう」

「じゃあおれ、猪俣先輩に報告してきます」

「一足先に頼むよ」

「はい。小鳩、また後でな」

 言い置いて、志鶴が駆け出す。

 その背中は、あっという間に廊下へと消えていった。

「では、僕たちも向かおうか。彼のことは、先生に託すとしよう」

「わかりました」

 あの様子では、しばらく起きないだろう。

 そう判断して、私たちは揃って廊下を歩き出した。

「しかし、どうして彼は突如このような凶行に及んだのだろうか」

「そういえば、『何で俺だとわかったんだ?』とか『放課後には俺を捕まえに来る』とか言っていました」

「なんだい、それは? どういうことだい?」

「わかりません……鮫島先輩が、ずっと独り言を言っていて……」

 倉科先輩が立ち止まる。考えを巡らせているようだ。

「僕たちは、まだ鮫島くんが反逆者だという確証を得ていなかった。だというのに、まるで追い詰められたかのような行動……何かがおかしい」

「倉科先輩?」

 口元に手を当てながら、珍しく倉科先輩が困惑しながら口を開いた。

「ハトちゃん……僕たちはまだ、何かを見落としているようだ。一連の謎は、まだ解けてはいない」

「何かを見落としている、ですか」

「ああ……鮫島くんは考えもなしにああいった行動は取らない。あれは、追い詰められていると思ったが故の行動だったのだろう。しかし、僕たちはまだ彼の元へは行っていなかったのだよ。話を聞いて回っていることすら、知らないでいるはずだった」

 では何故、鮫島先輩は追い詰められていると思ったのか。

「最初から順におさらいしてみようか……まず事の発端は、連休明けから急増している風紀違反だね」

「はい。ほとんどの違反要因がスマホ関連であることから、アプリゲームの存在が浮上しました」

 連休に合わせてリリースされたか。約一ヶ月で大人気と言われるほどのダウンロード数を誇り、ゲームをやっていない人でもイラストやCMを見ればタイトルを言えてしまうという有名な作品。

 誰もがそのゲームに熱中するあまり、多くの生徒が寝坊や怠学といった状況に陥った。

 しかし、そんなことが起こり得るのだろうか。

 一人や二人ならまだしも、突如として今月に入ってから数十人という生徒が取り締まりを受けている。

 偶然や気の緩みだけではない。おそらく何らかの原因があるとみた倉科先輩は、最初に謹慎処分を受けた生徒を訪ねた。

 しかし彼らからはゲームに関する証言を得ることはできず、代わりに昼休みのD棟のトイレに関する噂話を聞くことができた。

「ゲームについては一旦置いておこう。監視が甘くなるというトイレの噂から、僕たちはその話が美化委員に対する挑戦だと考えた」

「そこから、反逆者説が生まれましたね」

 とある男子生徒による、謎の噂話。その話通り、昼休みにD棟の男子トイレで喫煙するも噂は本当だったようで。彼らは見つかることなく過ごせたという。

 それが金曜日のことだったという証言から、反逆者か職務怠慢か。私たちは、順に我らが美化委員の金曜日メンバーへ話を聞きに行った。

「二年の二人と、一年の三人を順に訪ねたね。雉野くんが話の途中だったから、放課後には彼と、その後に鮫島くんの元へ行く予定にしていた」

 しかし、鮫島先輩の凶行によって事態は急変した。

「僕たちが金曜日担当のメンバーを訪ねていることを知っているのは、実際に話を聞いた五人だ。では、鮫島くんがそのことを知っていた理由として考えられることはなんだい? ちなみに、アポは本人と会えていないため取れていない状況だった」

「え、えっと……じゃあ、誰かに教えてもらう、ですか?」

「正解。どうやら、反逆者は一人じゃなかったようだね」

 倉科先輩の言葉に息を呑む。

 反逆者が、鮫島先輩の協力者が、もう一人いるなんて……。

「さて、ではその人物は、いったい誰なのか」

 言った先輩が、苦々しげに笑う。

 何かに気付いたのだろうか。私は首を傾げていた。

「ゲームのことは、おそらくデマを流したのだろうね。早く、もしくはたくさん進めれば何か良いことが起こるといった具合だろうか。そうやって、生徒を操った」

「風紀を乱すために、ですか?」

「そう。鮫島くんは、美化委員を潰そうとしていた。これだけ多く指導を受けた者や謹慎者が出たのは、美化委員が取り締まりを強行したからだという噂を流されている。今回の風紀委員による抜き打ち検査も、美化委員に触発されたせいだと思われるくらいにはね」

「そんな……」

 元々、あまり良く思われていない美化委員にそんな噂が立てば、叩かれるのも時間の問題だろう。

 今そんなことになっていたなんて……。

「じゃあ鮫島先輩は、美化委員を潰すためにゲームに関するデマを流して、謹慎者を増やした?」

「もしかすると、トイレの噂話はその布石だったかもしれないね。自宅謹慎処分を受ければ、数日間は学校に登校しなくて良いという実例を生徒に見せたとも考えられる」

「そんなところから……じゃあやっぱり、それだけ入念に準備して動いていた鮫島先輩だからこそ、今回の行動の説明がつかないですね」

「そうだね。しかし、噂話だらけときたか……悪魔は、次から次へと頭が回るようだね」

 悪魔……生徒へ甘言を口にして、惑わし貶める反逆者。

「では、鮫島くんをさえ出し抜いた悪魔の元を訪ねることにしようか」

「えっ! 倉科先輩には、もう一人の反逆者が誰か、わかっているんですか?」

「ああ……鮫島くんへ放課後に僕が追い詰めに行くと嘘の情報を流して、自身は高みの見物をしている者。彼を隠れ蓑にして自分は逃げきったつもりだろうが、そうはいかない。さあ、行こうかハトちゃん。今頃ほくそ笑んでいる彼へ、何故あの日、あの場にいたのかを問いに。美化委員の委員長として、掃除を実行する」

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