2-1
各クラスを回り、スズメくんは風紀委員を全員連れだした。
そうして、緊急取り締まりを行っていく。
僕は彼から該当者が出るたび、その都度連絡をもらっていた。
「こういう時、広い学校というものは困るね」
僕はというと、一人校舎内を駆け回っていた。
廊下を走ってはならないというルールは、緊急事態の前では意味をなさない。
とはいえ、もちろん階段や曲がり角は気を付ける。
周囲に目を光らせながら、僕は自身の思い通りにならない体を呪っていた。
「動かない体をこれほどまでに恨めしく思ったのは、初めてだよ」
「闇雲に動こうとするからでしょ。あんたらしくもない」
ふいに掛けられた言葉に、はっとして振り返る。
そこには涼やかな目元で僕を蔑むフクロウちゃんが、仁王立ちしていた。
「風紀委員が教室にやってきた。緊急取り締まりだってね。あんたの考えつきそうなことだよ」
「何故、君がここに……」
「あんたはあたしに、ざわつく教室内で喚き散らすおっさんを眺めてろって言うの?」
心底うんざりしたような顔で告げられたのは、教室内で起こっている現状。僕はくすりと口元を緩ませた。
「ああ、なるほど。改善が見られないようなら、彼は今度掃除しようと思っているところだよ」
「今度? さっさとやって。あたしは話し掛けたくもない」
「わかったよ」
「……副委員長がいないらしいね」
先程までとは打って変わって、真剣な顔つきになるフクロウちゃん。
僕はつられるようにして、表情を引き締めた。
「ああ」
「犯人の目星は?」
「鮫島くんだと睨んでいる」
「鮫島? ああ、そういうこと。あんた、二年前に縛られたままだね。鮫島もあいつも、何もかも」
「……」
「今度は一人で行くんじゃないよ」
「わかっているよ」
「ちょっと待ってて」
フクロウちゃんが空中に視線を彷徨わせる。そうしてD棟を指差した。
「向こうに走っていったのを見たって」
「ありがとう、助かるよ。お友達にもそう伝えてもらえるかい?」
「ちゃんとここで聞いてるよ。ああ、そうだ。一つだけ。絶対に鮫島を連れて来い」
「ああ、そのつもりだけれど……」
言ったと同時、ぐっと胸ぐらを掴まれた。
僕は至近距離で睨み上げられる。
深海を思わせる深い黒が、まるで僕を吸い込むようだ。
目を逸らせない。
「違う。鮫島の掃除は公開処刑だよ。じゃないと、他の美化委員が全員叩かれる」
「それは、どういうことだい?」
「これだけ取り締まりや謹慎者が増加し続けているのは、美化委員の清掃が強行されたからだっていうふざけた噂が流れてる。今こうして行われている風紀委員の抜き打ち検査も美化委員に触発されたからだってね。このまま誤解させたままだと、それこそ犯人の思う壺だよ。美化委員は、終わる」
噂……悪魔の甘言だけでなく、これも彼が流したというのか。
告げられた事実に驚いていると、フクロウちゃんが手を離してくれた。
二、三歩よろける。
「美化委員だけじゃない。今、学校内は混乱してる。美化委員ってのは、誰もが気持ちよく学校生活を送ることのできるよう尽力する委員会でしょ、委員長。一年の時、あんたが決めたことだよ。最後までしっかり貫け。目の前のことだけ見るんじゃない」
「そうだね。そうだった……」
「そうだよ。あんたならできるでしょ?」
言葉とともに不遜な笑みを向けられて、僕は思わず唇で弧を描く。
「まったく君って人は……つくづく格好良いね」
「あんたと違ってね」
互いに笑みを浮かべあう。
そうしてくるりと踵を返したところで、フクロウちゃんの声が背中に届いた。
「狙われているのは美化委員でも副委員長でもない――あんただよ、倉科将鷹。副委員長は巻き込まれたんだ。今度こそ二年前の清算をしてこい! 鮫島も、あんたも。そして、ついでにあたしの気に入った場所、守りなさい」
「……ああ。必ず」
今度こそ駆けていく僕の背に、届かない言葉が向けられる。
「倉科将鷹……あんたも一生徒なんだから。誰もがの中に、ちゃんと入れてやることね。じゃなきゃ、あたしの掃除対象にできないでしょ」
くるりと反対方向へと歩き出すポニーテールの才女。
その言葉は風に乗り、見えぬ者たちだけに聞こえていた。
◆◆◆
チャイムが鳴る。今は何時だろうか。
私がどれだけ気を失っていたのかがわからないため、推測は困難だ。
視界に入れることができる範囲には時計もないため、確認することはできそうもなかった。
変わらず鮫島先輩は、扉付近にいる。ずっと何かを警戒するように苛立っていた。
いや、ああいった心理を私は知っている。あれは不安なのだ。打ち消すために、そわそわしているように見える。
「休み時間になったな。そろそろ騒ぎ出す頃か?」
騒ぎ出す? どういうこと?
「授業時間に連絡を取ると怪しまれるから、か……ったく、放課後までこのまま待つなんてやってられねえぞ」
ぶつぶつと独り言を呟いて、スマホをいじる鮫島先輩。
放課後まで――ということは、まだそうではないということか。
今日の授業は六限目までだから、今は五限目と六限目の間の休み時間なのだろう。
私が現在の時間を知った、その時だった。軽快な音が校内に響き渡る。
それは、スピーカーから発せられていた。
放送を知らせるチャイムだ。
「何だ? 放送?」
マイクが入る機械音。ガタゴトと何かを動かす音がする。
そうして聞こえてきた声に、鮫島先輩が声を上げた。
『あー、もう入っているのかな?』
「この声は、倉科?」
『えー、高等部の教職員、ならびに生徒諸君。僕は三年一組、倉科将鷹。美化委員の委員長を務めている。突然だが、只今より風紀委員との連携で緊急取り締まりを実行する。生徒諸君は、自身の教室で待機していてくれたまえ』
「何だって?」
スピーカーに向かって、目を見開く鮫島先輩。
よっぽど驚いているのだろう。彼は叫びながら、目を剥いていた。
しかし、緊急取り締まりとは何だろうか? それも犬猿の仲と言われている風紀委員との連携だなんて……。
「取り締まり? 何のために突然……いったい、何がどうなってる」
困惑に頭を抱える鮫島先輩。
何かを考えているようだ。
『各クラスの美化委員と風紀委員は、協力して順に回ってくる風紀委員長の指示に従うように』
「風紀委員の取り締まり? 授業をサボっているやつを見つけるためか? だとしても、どうして今なんだ? だってあいつが連絡をしたのは、ついさっきのはずなのに。タイミングが合わない。しかも放送するなんて、どういうことだ? 抜き打ちなのに宣言しやがった? 今は休み時間だ。教室を離れていた
「そう。戻ることができないのは、捕まっているハトちゃんと、それから彼女を監視している君だけだ。鮫島くん」
「く、倉科!」
ガチャリと扉が開いて、廊下から倉科先輩が姿を現した。
どうして、ここに倉科先輩が? 放送室はC棟にあるのに……!
『尚、各クラスの担任教師には我々への協力を依頼する。これは――』
「何でここにいるんだ。お前は今、放送室にいるはずだろ!」
鮫島先輩が指差さすスピーカーからは、今も尚、倉科先輩の声が聞こえ続けている。
いったいどうなっているの? 倉科先輩がこうしてこの場に立っていることは、不可能なはずなのに。
「ああ、あれかい? あれは録音音声だ」
「録音……?」
「そう。君を油断させるための作戦というやつだよ。さて現行犯だ、鮫島くん。美化委員の委員長として、掃除を実行する」
飄々としている倉科先輩。そんな彼をキッと見据えてギリと歯噛みした鮫島先輩は、ダッと私のすぐそばへ駆け寄った。
その手には、刃が剥き出しにされたカッターナイフが握られている。
「動くな」
そっと薄目で状況を確認しつつ、まだ彼は私が起きていることを知らない。
そのことを利用して、どうにか気を逸らすことはできないだろうか?
「動くと、この一年の首から血が出るぜ」
「わかった。僕はここから動かないよ。それで、君の要求は何かな?」
「チッ、済ました顔しやがって……」
倉科先輩を見据えながら、呟くように吐き捨てて。しかし鮫島先輩は途端、にやりと口端を吊り上げた。
「俺の要求が何かだと? 決まってる。お前の謝罪だ」
「謝罪?」
「そう……あの時の。二年前に俺が受けた屈辱を、お前にも味わってもらう!」
二年前――二人が一年生の時。その時に、いったい何があったのか。
私がじっとしながら成り行きを見守っていると一言、倉科先輩から言葉が発せられた。
「屈辱……そのためだけに、こんなことを? 非常にくだらない話だ」
「くだらないだと?」
嘆息する白衣へ向けて、鋭い視線を向ける鮫島先輩。
カッターナイフを握る手にぐっと力が籠もり、押し当てられる。
ちくりと、首元に痛みが走った。
「お前、自分の立場がわかってねえのか? それとも、こんな一年なんて捨て置くってのかよ」
「まったく……謝罪くらい、いくらしても構わない。しかし本当にそのようなことで、君の気が晴れるのかい?」
「あ? ごちゃごちゃ言ってねえで謝れよ。親の威光を笠に着てすみませんでしたって。掃除されるべきは自分でしたってな! あの時の掃除は間違いでしたって、頭下げろよ!」
喚き散らす鮫島先輩。人は、ここまで変わるものなのか。
彼の顔には、いつもの好青年の様子など一欠片もなかった。
「クラスメイトをパシリにしていた人を掃除することの、どこが間違いなんだい?」
「パシリじゃねえよ。お願いしてただけだろ。あいつが自分から進んで買いに行ってたんだぜ?」
「裏でこそこそといじめていたのだろう? 君は誰かを下に従えていないと生きられない人間なのかい?」
「うるせえ! いいから謝れ。お前のせいで俺は彼女にもフラれるし、クラス内で孤立するしで散々だったんだ!」
自身がやったことを反省もしていない。倉科先輩が悪いと思うなんて、こんなのは逆恨みだ。
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