3

 まず私たちは、A棟ではなく、C棟へ向かった。

 放送室を目指したのである。

 倉科先輩の代わりに録音音声を流した人がいると言われ、誰だろうと思いながら向かっていると、ちょうど中から人が出てくるところだった。

 さらりとした肩まである髪を揺らしているその人は、見間違いようもない。一年三組の担任、猫田先生その人だった。

「猫田先生!」

「あ、あら……」

 私の声に振り返る美人教師。その瞳が隣の白衣を捉えた瞬間、端正な顔が目に見えて引きつった。

「猫田先生、ご協力感謝致します。バッチリD放送していただき、非常に助かりました」

「い、いえ……もう戻っても構いませんか?」

「ええ、もちろんですよ。ああ、そうだ。今から一つ放送をするのですが、使用しても構いませんか? この騒動の指揮を執りたいのです」

「そういうことでしたら、問題はありません。しかし、片付けてしまいましたよ?」

「ご心配なく。準備、操作等は覚えました」

「そうでしたか。では、後のことはお任せしても良いということですね?」

「委ねていただけるとは、ありがたい話ですね。もちろん、お任せください」

 こくり、猫田先生へと頷いて、倉科先輩が放送室の扉を開ける。

 そこで思い出したかのように首を捻って、歩き出していた彼女の背へと言葉を投げ掛けた。

「そうそう。猫田先生、一つお願いが」

「……何でしょうか」

「D棟の一階、多目的室――そこに、三年の鮫島くんが倒れています。彼を頼めますか?」

「た、倒れているのですか?」

「ええ。とはいえ、彼は処分対象者ですので、捕まえておいてくださいね。では」

 困惑している猫田先生へ言うだけ言って、倉科先輩は放送室へと姿を消す。

 私は慌てて頭を下げ、倉科先輩の後を追った。

「さて、鮫島くんのことはこれで良いとして……」

 言いながら、放送設備に近付く倉科先輩。

 私はその背へ、先程抱いた疑問を投げ掛けた。

「あの録音していたという放送は、D棟にだけ流していたんですね」

「ああ、そうだよ。僕が多目的室へ辿り着いた時には、既に緊急取り締まりは実行されていた。だというのに校内中に流してしまうと皆が混乱してしまう上に、実際に取り締まり対象となる怠学者を取り逃してしまう恐れがあるからね。しかし、鮫島くんを油断させるにはあの放送が効果的だった。何せ彼は、取り締まりが行われていることを一切知らないでいたのだからね」

 にこにことご機嫌でいる倉科先輩。どうやら、数十分前の出来事を思い出しているようだ。

「しかし、予想よりも上手くいって驚いたよ。D棟にいるらしいことはわかっていたのだけれど、どの教室かまではわかっていなかったからね。彼が放送に驚き、廊下に聞こえるほどの大きな声を出してくれて、助かった」

 だから、先輩はあの場所に辿り着くことができたのか。

 そのために放送を使うなんて……やっぱり、発想が私とは違うなあ。

「では、呼び掛けるとしようか」

 倉科先輩は猫田先生への宣言通りスムーズに準備をして、スイッチをオンにした。

 軽快な放送チャイムが校舎中に響き渡る。

『あー、高等部の教職員、ならびに生徒諸君。僕は三年一組、倉科将鷹。美化委員の委員長を務めている。突然のことにも関わらず、風紀委員と美化委員による緊急取り締まりに協力いただき感謝している。詳細な理由、ならびに結果は追って報告させていただきたい。現時点をもって、緊急取り締まりを終了する。風紀委員は猪俣委員長の指示に従うように。美化委員は、一度第二会議室へ集合してもらいたい。それでは騒ぎを起こして申し訳なかったね、諸君。気兼ねなく勉学に励んでくれたまえ。試験は待ってはくれないからね。では失礼する』

 再び放送のチャイムが流れ、機械のスイッチたちはすべてオフにされた。

 しかし、私は唖然と立ち尽くしたまま動けないでいる。

 感情など欠片も見えなかった謝罪をした当の本人は、いつもの笑みを浮かべて立ち上がった。

 こちらへ振り返り、小首を傾げている。

「どうかしたのかい? ハトちゃん」

「あー、いえ……何でもないです」

 これが倉科将鷹か。騒動を平然と起こし、周りを巻き込む迷惑変人。

 きっと、もう誰もが諦めているのだろう。天才様とは、感性が合わないようだ。

「そうかい? では、向かうとしようか。A棟へ」

「え? 第二会議室じゃないんですか?」

 スタスタと放送室を出て行く倉科先輩についていく。

 先程、集合するようにと言ったばかりだというのに、どうして会議室のあるこのC棟からわざわざ離れてしまうのか。

 私が首を傾げていると、くすりと微笑んで。倉科先輩は歩く速さを変えずに理由を教えてくれた。

「その前に、しておかねばならないことがあってね。美化委員のメンバーのためだ。狐崎会長に会いに行くよ」

 狐崎会長に会いに行く。それも美化委員メンバーのために。

 理由を教えてもらったは良いものの、私にはさっぱり理解ができないでいた。

 頭の上にクエスチョンマークを浮かべながらも倉科先輩に従い、そう時間はかからず三年二組の教室へ辿り着く。

 ちょうど中から狸塚先輩が出てきて、鉢合わせした。

「どうして、ここに……」

「狐崎会長に用があってね。君は、先に第二会議室へ向かってもらえるかい?」

 胡乱な顔をしつつも了承して、狸塚先輩はC棟へ向かって歩いて行く。

 その背を見送っていると、いつの間にか倉科先輩が教室内にいた狐崎会長と何やら話をしていた。

 ここは入っていくべきか……どうやらクラス内は自習時間らしい。それもそうか。残り時間が半分ほどになった状態での授業など、中途半端になってしまう。

 他のクラスも同様のようで、倉科先輩の入室を咎める者もいなかった。中には図書室へ向かう人もいる。

 しかし、私はどうしたものか。三年生の教室に一年生の私が入っていくのは、たとえ休み時間だったとしても非常に勇気のいることだ。

 そう逡巡していると、どうやら話は終わったらしく、倉科先輩がこちらへと戻ってきた。

「待たせたね、ハトちゃん」

「い、いえ……」

「では行こうか。皆が待っている、第二会議室へ」

 言いながら歩き出した白衣を、小走りで追いかける。

 今から会うメンバーの中に、鮫島先輩をさえ出し抜いた悪魔がいるのかと思うと気が引き締まった。

「鮫島くんは、今頃保健室だろうか。伸びていたからね」

「かもしれませんね。あ、そういえば鮫島先輩が気になることを言っていました」

「ふむ。どのようなことだい?」

「私に対して、『倉科先輩や猫田先生の言いなりかと思ってた』と……」

「言いなりとは、またいただけない言葉だね。しかし、そこで猫田先生の名前が挙がるとは、確かに不思議だ」

「やっぱり、そうですよね……」

 彼は、猫田先生の何を知っていたのだろうか。

「残念だが、考えていても仕方がない。今の僕たちには知ることは叶わないからね」

「はい……」

 考えても詮ないことだ。改めて鮫島先輩に聞くしかないだろう。

 とにかく今は第二会議室へ向かおう。そこで美化委員の皆に会うんだ。

 鮫島先輩以外のメンバーが集まる、会議室へ――

「待たせたね、諸君。迅速な行動、痛み入るよ」

 第二会議室へ辿り着くと、中には既に美化委員メンバーが揃っていた。

 しかし、その中には神代先輩の姿がない。

「おや、フクロウちゃんがいないね。彼女らしいといえばそれまでだが……仕方がない。その他は全員揃っているね? ああ、鮫島くんは諸事情があって来られないので、始めてしまうよ」

 倉科先輩は、突然の緊急取り締まりを行ったことについて語った。

 鮫島先輩や反逆者のことを伏せて、怠学者が増加している傾向であるために、風紀委員長と話し合い実行したと伝えたのだ。

 そうして、謹慎処分者の増加からくる美化委員に対する間違った噂も払拭するため、安心してもらいたいと話したのだった。

「今回の件だが、狐崎会長の依頼でもあってね。明日にでも、臨時の生徒集会が開かれるだろう。そこで、彼女から説明をしてもらう手筈になっている」

 狐崎会長という存在は、一種の安定剤なのだろうか。誰もが安堵の表情を見せていた。

 それにしても、狐崎会長に会ったあの僅かな時間で臨時の生徒集会を行うことまで決めてきたなんて、本当に驚きだ。

 よくも、これだけ嘘が次から次へと生まれるものだと、感心さえしてしまう。

「とはいえ、事前説明もなしに協力してくれたことは、心から感謝している。僕は、優秀な君たちと委員の仕事ができて、とても嬉しいよ」

 言いながら微笑んで。そうして倉科先輩は、金曜日のチームにだけ残るよう言って、委員のメンバーを解散させた。

 今から、もう一人の反逆者をあぶり出すのだろうか。

「すまないね。君たちにだけ残ってもらって。実は、リーダーである鮫島くんが怪我をしてね。少しの間、彼が不在になるのだよ」

 五人がどよめく。倉科先輩は彼らが安心するように、すかさず言葉を添えた。

「大丈夫、心配はいらないよ。すぐに戻ってきてくれるだろう。ということであるから、それまでの間は僕たちが彼の代わりに動こう。パトロール等、三年生が不在というのは君たちも不安だろうからね。それから、彼のパートナーは誰かな?」

「オレです」

 小さく挙手をしながら一歩前に出たのは、雉野くんだった。

 倉科先輩が一つ頷く。

「雉野くんだね。悪いけれど、パートナーのことでも話がしたい。もう少し時間を貰えるかな?」

「わかりました」

「ありがとう。では、残りの皆は戻ってくれて構わないよ」

 その言葉を受けて、雉野くん以外のメンバーが会議室を出て行く。

 それにしても、雉野くんだけを残すなんてどういうこと?

 こんなにもあっさりと他の四人を帰してしまうとは思わなかった私は、戸惑いながらもただ成り行きを見守る。

 私の胸中など知る由もない倉科先輩は、会議室の扉が閉まったのを確認してから、雉野くんに向き合った。

 そんな彼の口元からは、笑みが消えている。

 対する雉野くんは、微笑みさえ浮かべていた。

「さて……いくつか聞きたいことがあるのだよ、雉野くん」

「何でしょうか、倉科委員長」

「君は、どうしてあの連休明けの初日にD棟にいたのだい?」

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