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「人生の夏休み」をかたる

大学生といったら、人生の夏休みというような言葉にいわれるように、暇といったイメージがあった。

東京といったら、夜も眠らず、煩雑で喧騒に溢れていて、光も音もうるさい街というイメージだった。


だから東京の大学に通うとなった時、自分に合うのか?と思っていた。

新宿の楽器屋に行くとなって、より近い新宿駅の複雑さを拒絶して、怖さを飲み込んで分かりやすい西武新宿に降り立つ自分が?

そして駅前にある大きなスクリーンの光と音のうるささと、人の多さに回れ右したくなる自分が?

でも、案外東京のそんなイメージもステレオタイプだ。

都内の一等地でも。


コンクリートに覆われて緑もないなら雨の匂いだってレアなのかもなんて思っていた。


でも、ぺトリコールの匂いは相変わらず心を通り抜けていくし、緑だってある。

日が高い頃は賑わう駅前も、夜になればすっかり暗くなって人も少ない。もちろん繁華街だってあるけれど、そういうのはどこにでもあるものだ。


それに、

人が少なくなった帰り道は、多少浮かれても変な目で見られないからいい。

だから火曜6限はなかなか好きだ。

少なくとも金曜4限の帰り道よりよっぽどいい。

なかなか発見のある授業だし、毎回800字のリアクションペーパーも許せる。少なくとも全く眠くならずに100分間時計を一瞥もしない授業は稀だ。


実用性に溢れた、とは言い難いぼんやりと照らす無駄に洒落た街路灯の下、どこか踊り出しそうな雰囲気で靴を鳴らす。

こんな些細な楽しみも持てないようじゃあ「人生の夏休み」は騙《かた》れない。

レポートとテストに追われる毎日でもこういうことを考えられるなら「夏休み」だ。

たとえ余裕がなくても。


そう思いながら小気味よく歩く。


自転車は、途中で出会った「楽しみ」を描く手がない。

電車は、「楽しみ」に出会う間もなく後ろに消える。

徒歩は、広い視野と、占領されていない聴覚と、言葉があれば、「楽しみ」に出会って、残して、いつかの自分を和ませられる。


それが便利さにあぐらをかかない良さというものだろう?

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ultimus monologia 雨空 凪 @n35

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