第八章 ③
ひとまず、キッチンに突撃した。
「フレンジュ」
玉葱を掴んだままボーッとしていたフレンジュが、脊髄に電流が走ったかのように背中を伸ばした。
「ゼルさん、ごめんなさい。まだ準備が」
「今から、出かけよう」
唐突な言葉に、フレンジュが目を丸くした。
「はい?」
「せっかくの祭りなんだ。家にいるなんて、勿体ないからな。今からなら、夜行パレードに間に合う」
ゼルがしっかりと説明しても、フレンジュは困惑するばかりだった。
「……今、どういう状況か分からないわけじゃないですよね」
「当然だ。自分のことは自分が一番良く知っている。それを理解したうえでフレンジュ、君をデートに誘う」
言葉にならないと、フレンジュが耳と目を疑った。当然だ。これから死ぬかもしれないのに、どうして祭りを楽しめるのか。
しかし、ゼルの方も困惑していた。自分で自分の言いたいことが上手く纏まってくれないからだ。カタチが定まらない感情ばかりが先走ってしまう。
違う、しっかりしろ。大丈夫、分かっている、分かっているはずだ。
「……フレンジュ。良く聞いてくれ。仮に、俺がこれから三日三晩鍛錬したところで劇的に強くなるわけがない。好都合なタイミングで機操剣の新技術が開発されて、性能が強化されるなんてこともないだろう。だから、俺にとって必要なのは君との時間なんだ。だから、祭りを楽しむことが優先される」
「ゼルさん、ごめんなさい。あなたの言いたいことが私、半分も分かりません」
「半分分かれば十分だ。ともかく出かけよう。祭りの日に外に出ない連中なんざ、病人か棺桶に腰まで浸かった老人だけだ。そういうわけだ、フレンジュ、な?」
フレンジュの困惑が双眸の奥に見えた。ゼルから逃げるように数歩後退する。握ったままの玉葱が酷く滑稽だった。
ゼルは、彼女の言葉を待った。
「私は」
言葉が詰まる。
泣きそうな、怒っているような、どこか安堵しているような。二つの対立する感情が混ざった横顔だった。
「まだ、出かける準備が出来ていません」
「じゃあ、待っているよ」
「はい。煙草は吸わないでくださいね」
フレンジュがキッチンから去った。一人になったゼルは、反射的に上着の内ポケットに手を伸ばし、慌てて引っ込める。
「これで、良かったんだよな。サイコロを振るどころの話じゃねえな、ったく。どうにも、最近は逃げ癖がついているようで困る」
不幸なのか。
不幸なんて割り切れるものか。
不幸だなんて言葉で片付けてしまって許されるものか。
重苦しい後悔が自然と足に芯を通した。いやな落ち着き方だった。目的が、舞う落ち葉のごとく定まっていないわけじゃない。はっきりしているからこそ、どんな結果になるのか怖くて怖くてたまらない。煙草でも酒でも、なにかに逃げたかった。だからきっと、そんなことを考えてしまうから駄目なのだろうと自嘲する。最後に余計な苦労を背負い込むのは自分だけだというのに。
たまらず椅子に視線がいくも、座らない。いや、座れない。今、腰を落としたら立てなくなりそうだったからだ。
「……初めてデートするガキじゃねえんだぞ、馬鹿野郎」
ゼルが右腕の拳を握る。五指の骨が軋む。
この手は一体、最後にはなにを掴むのだろうか?
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