第八章 ④
「俺はもう少し、色気のある格好を期待したんだけどな」
マンションから出ると、夕焼けなどとうにすぎていた。通りの街灯が光り輝き、闇がすぐそばまで訪れている。
「いいじゃないですか、スーツ。とても動きやすいですよ。色男の脇腹に肘を打ち込みたいときとかに」
ゼルの隣を歩くフレンジュが後ろ髪を掻き上げた。
女性に不満をこぼしてしまったゼルが焦っていると、フレンジュが苦笑をこぼす。
「けど、嬉しいですよ」
フレンジュの足取りが、心なしか軽かった。
「やっと、本音を言ってくれたでしょう? いつものあなたなら、なにを着ても褒めるでしょうから」
「別に、偽っているつもりはねえよ。美人なら、百貨店で十年も売れ残っている服を着ようが芸術に早変わりだ」
「後期フォーロリク派の禁画だとしても?」
「それ、見た連中の大半が自殺したって話だろう? フレンジュなら聖ミウンゼスター大教会の女神像だって裸足で逃げ出す」
「なら、ますます色気はいらないですね。……ゼルさん。そんな顔しないでください。母親にお菓子を買ってもらえなかった子供みたいな表情ですよ」
ゼルは右手で頬と顎の辺りを軽く揉んでみた。イマイチ、自分がどんな表情をしているのか判別出来なかったからだ。
そろそろ小細工をしてでもナイトパレードに間に合わせようとして、
「……今の表情なら分かる」
二人の足が止まった。
返事は、向こう側だった。
「苦虫を噛み潰したような顔。鼠の小便が頭にかかったような顔。靴紐が固くてほどけなくなった顔とでもたとえようか。あんまり、僕の前でそんな顔をしないでほしいね、ゼル」
紫の髪を揺らす隻眼の死神が目の前に立っていた。いつ距離を詰められたのか、まるで分からなかった。
海さえも霞む深き青に染まったコートは、悪党連中にとって恐怖の象徴だ。例外を許さず、前例を与えず、特例を作らない。なめられたら終わりだと、一切合切の悪党を葬り去るための象徴だ。
警察、暴動鎮圧特化の鬼が住まう巣窟、高機動部隊の元・隊長、レイン・グロックナー警部の登場に、ゼルは自分で流した冷や汗さえも忘れてしまう。
怯えるフレンジュを背中で護り、ゼルは機操剣の柄に手を伸ばす。
「悪いが、今から夜のデートだ。警察の出番なんざないぜ。帰って業務日誌でも書くんだな。今日はなにもありませんでしたって」
「……一行で済むのなら、これほどありがたいこともないね」
ゼルの目が見開く。
レインが腰から機操剣を抜いたからだ。高機動部隊専用に設計されたアメノハバキリ。短剣特有の小回りが利く剣技に加え、鎮圧と評すにはあまりにも物騒な火力を備えている。加えて、すでに蒸気機関から白い湯気が漏れていた。なにより、使い手があの《剣狐》では危険度が数段も跳ね上がる。
「レイン、その剣を下ろせ」
ゼルの言葉に、レインは機操剣を逆手に持ち直した。ブルーコートが風に揺れても、残った瞳に迷いは残されていない。
だから、ゼルも迷わなかった。背中から機操剣を引き抜き、レインと同じく逆手に持ち替える。
両者がまったくの同時に片膝をついた。機操剣の刃が地面に埋まり、鍔を回転させて保存済みの機導式を選択する。そして、トリガーを引いた。高位解析機関が歯車の群れを動かし、刃を伝って地面に機導式を挿入する。地面を構築する機錬種が命を受けて変質を始めた。
レインの足元に、鉄パイプに似た円筒が咲き狂う。それら全て、銃身だった。高機動部隊の十八番である銃撃だ。
ゼルは、それを見たことがある。スプリングの数は一発の弾丸につき三つ。押し戻る力が三度重なることで弾丸に音の三倍の速度を与える。
誰が呼んだか〝九重の黒弾〟。
レインの機導式はさらに強化している。合計四十本の銃口がひとしくゼルに向けられていた。当然、後ろにはフレンジュがいる。
護らなければ、死だ。
無論、ここまでは読んでいる。ゼルが展開したのは、前面を護る盾だった。壁のごとく屹立し、レインの攻撃を阻む。
弾丸の豪雨が盾を叩く。発射薬の乾いた破裂音と違い、スプリングが弾丸を押し出す音は鈍く濁っていた。連続で繋がると、土砂を孕んだ鉄砲水のように聞こえる。
人間が飲み込まれれば、生き残れるわけがないのも同じだった。発砲を終えたスプリングは銃身の後方から排出される。地面に触れた瞬間に砂礫と化し、機錬種へと戻り、融けるように消えていく。そうして今度は弾丸か、またスプリングか。レインの機導式が終わらぬ限り、いつまでも続く。
盾に亀裂が走る。ゼルは鍔を回して保存済みの機導式を選択、トリガーを引く。盾が一回り大きくなった。
「……増幅機導式。一度展開した機導式を強化する高等技法。本当に、そういう小細工が得意だよね、ゼルは」
レインが薄く笑った。
向こうは、こっちの弱点を熟知している。
「君の機操剣に搭載されている主力の高位解析機関、MアポートンM一八五〇は補助するためのSカノッソス零式が起動していれなければ機導式の展開速度が極端に低下する。だから、最初は低位の機導式を使い、徐々に増幅させる〝小細工〟が上手くなった」
面倒なことに、Sカノッソス零式は一度でも機能停止すると、八つ全てが眠ってしまう。ゆえに戦闘が仕切り直されるとゼロからのスタートになってしまう。だからこそ、オデイルとの戦闘も最初から強力な機導式が使えなかった。
敵を倒すための火力に達するまでの時間。
それこそが、ゼルの致命的な弱点だった。
「警察をなめないでもらおうか」
レインが機操剣のトリガーを引くのではなく押した。蒸気機関と高位解析機関の間からタイプライターが展開される。
それは、ゼルの使う中型と同じく記号のみで構成されたキーばかりだった。全て、ある程度の形に設計された〝構築済み〟の機導式である。最初から組み直すよりも、はるかに早い時間で機導式を紡げるのだ。
レインはキーを四つだけ叩いた。そして、トリガーを引く。
「高等技法を使えるのは、君だけじゃないぞ?」
地面から生える銃身が束になって捩じれた。さらに形を変える。戦場の定義を一変させた銃火器の中でもさらに凶悪な
変幻機導式。予め展開した機導式を増幅させるのではなく、形そのものを変質させる。生まれた兵器の数、九台。火力が、一気に倍以上まで跳ね上がった。
「一個小隊分の火力とは豪勢だな。流石、元六階位の実力者だ。怖すぎて、今すぐベッドに潜りたい気分だよ」
ゼルの言葉に、レインが眉間に皺を寄せる。それは疑念であり、怪訝だった。警察官にとっても予想外だったのか。
レインが機操剣を地面から引き抜いた。肩に担ぎ、首を傾げる。
「今から君を、君達を、合計三万発の弾丸が秒間六百発の速度で襲う。一分にも満たない攻撃だ。《墓標の黒金》なら、軽く防げるだろう?」
今日の夕飯でも聞くような口調だった。
放たれた弾丸が担う物理的エネルギーは、様々な計算式によって数字化される。その一つにジュールという単位がある。
たとえば、ゼルが全体重を乗せた渾身のパンチは〝たった〟千ジュールだ。
レインの攻撃、その総エネルギーは約六億ジュール。これは小さな稲妻に相当する。古くから、雷は神罰の具現とされていた。大木を切り裂き、岩を砕き、鉄だろうとも融解する。だが、滅多に人間には当たらない。
今、目の前のこれは、確実に当たる。
「買い被りすぎだぜ、ブルーコート。それは流石にちょっとばかし不味いな。グラスでも傾けて一杯ばかり話し合おうぜ」
ゼルの弱音に、レインがホッと胸を撫で下ろす。
「じゃあ、ごきげんよう。ゼル」
世俗に染まった神罰が具現化した。
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