春の断章②-2
俺の母校である公立陣西中学校は、家から徒歩で十五分ほどの距離にある。
三年間も通った道は、そうそう簡単に忘れられない。
そういえば、中学生に戻って気づいたことが幾つかある。
その一つは、十年前の肉体は二十五歳のそれと比べて、格段に軽いということだった。
……拭えない倦怠感と筋肉の
全身を縛っていた鍵のない鎖から解放されたような、そんな気分だった。
俺は、通学路を
些細な愚痴で盛り上がる二人の女子生徒、ふざけあって笑い合う男子のグループ、初々しい雰囲気を感じさせる学生カップル……。
何もかもが当時のままそこにあった。
乳白色の校舎に、空色の天井が存在感を放つ体育館。
記憶と寸分違わない姿で、陣西中学校はそびえ立っていた。
校門の前では、二十歳後半ほどの若い色黒の体育教師が、登校する生徒に威勢よく挨拶をしていた。
覚えている顔のはずだが、名前がまったく浮かんでこない。
当然、その教師は俺にも視線を向けてきた。
一瞬だけ、不審者扱いされるのではないかと心臓が縮み上がったが、彼は薄い笑みを浮かべて「おはよう」と言ってきた。
動揺を悟られないよう、努めて何気ない顔で「おはようございます」と返したが、その声は明らかに震えていたように思う。
彼は特段怪しんだ様子も見せず、すぐに後ろにいた女生徒に目を向けた。
固く瞳を閉じて、落ち着けと何度も念じる。
校舎前で大量にひしめいている中学生たちをなるべく視界に入れず、昇降口から玄関に入る。
かつて見慣れたはずの景色を前に、郷愁や哀愁が
下駄箱の側面にクラスの組分け表が貼ってあり、その周りをたくさんの生徒が取り囲んでいた。
もしかしたら、変わっているかもしれないと思いつつ、その端で自分のクラスを確認してみる。
記憶通り、三年二組の欄に「福島永輔」の文字列が記されていた。
履いていたスニーカーを下駄箱に入れ、鞄から袋に包まった学校指定の靴を取り出して履く。
そのまま重い足取りで、二階の一棟にある教室まで向かった。
見覚えのある顔は多少見かけたが、幸いなことに直接因縁のあった生徒には出くわさなかった。
教室が近づくにつれて、逃げ出したい気持ちが次第に強くなってくる。
この期に及んで、俺は人生をやり直すことに震えるほどの恐怖感を感じていた。
それも一番失意の底で溺れていた、十五歳の自分を演じることになるのだ。
廊下で生徒とすれ違うたび、親しく談笑している生徒を見かけるたび、ここは自分がいるべき場所ではないという思いが膨らんでいった。
まるで、疎外感と罪悪感に首を絞められているような気分だった。
肩にかけている鞄がひどく重く感じられて、ひっきりなしに強い動悸が胸を打った。
「……お、福島。久しぶり」
その時、ふと後ろから声をかけられた。
驚いて振り返ると、目の前には二人組の男子生徒が立っていた。
「おー、永輔。お前、春休み中まったく連絡なかったけど、どうしたんだよ?」
怪訝な視線を向ける俺をよそに、もう一人のワックスで髪を立たせた、若干軽い印象を受ける生徒が続いて言った。
客観的に判断して、彼らが俺に話しかけているのは明白だった。
「連絡?」
なぜ彼らが、俺に連絡など寄越す必要があるのだろうか。
「何度も電話しただろうが。お前が音信不通なせいで、春休み中はずっと新田とべったりだったんだからな」
「気色わりぃ言い方すんじゃねえ。んで、どうしたんだよ?」
新田と呼ばれた生徒が、改めて訊いてくる。
最初に俺に声をかけてきた、紺縁の眼鏡が特徴的な人の良さそうな顔をした生徒だった。
「ああ、ごめん。ひどい高熱にかかって、ほとんどベッドから出られなかったんだ」
俺は、咄嗟に答えた。
大味な嘘だったが、彼らは互いに顔を見合わせて「そりゃ災難だったな」と愉快そうに笑った。
どうやら、納得してくれたようだ。
二人組の顔を今一度確認する。
すると、徐々に記憶の断片が繋がってきた。
新田と初瀬は中学の時、俺の友人だった。
だったというのは、ある一連の出来事をきっかけとして、彼らとは疎遠な関係になってしまったからだ。
確か三年生に進級する頃には、彼らの俺に対する態度は冷え切ったものになっていたはずだ。
なのになぜ、彼らはさも親しそうに俺に声をかけてきたのだろうか?
考え込む俺には気を留めず、二人は先に歩き出していた。
「おい、何突っ立てるんだよ。早く教室行こうぜ。折角、今年も三人同じクラスだったんだからよ」
覇気のない初瀬の声が、俺を呼んだ。
「……ああ、悪い」
我に返って急いで返事をしてから、彼らの背中を追いかけた。
何かが決定的におかしかった。
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