38:祖父の友

「ニコ、城へ来たのなら顔くらい見せてくれても良いと思うのだがな」


 忌蟲草シトロネラ龍芹草アニスを混ぜた上品な香りがふわりと風に乗って漂ってきた。

 背後からコツコツという足音が聞こえたときから察しは付いていたが、気が付かないふりをして本を読み進めていると、穏やかで太い声が背後から投げかけられる。


「陛下、一人でしがない狩人ハンターの前に姿を現さないで下さいよ」


 肩を落とし、少々大袈裟な身振りで振り返ると予想通りこの国の王が一人で佇んでいた。

 後ろに撫でつけられた銀髪の髪と、真紅の瞳。そしてきれいに編み上げられて延ばされた豊かな髭。

 重厚そうな真紅のマントは、分厚い布に金糸をふんだんに使って勇ましく両翼を広げた血潮龍イーコール刺繍が施されている。


「君と私の仲じゃないか」


「祖父は陛下の大切な友人だったかもしれないですが、俺は単なる平民ですよ。買いかぶらないでください」


 この王は、どうやらじいちゃんと仲が良かったらしい。そんなことじいちゃんは話してくれなかったから知らなかった。だが、王は違ったらしい。俺が気まぐれで農夫に渡した穴貂龍ピレネーデスについての注意書きをたまたま目にして、王は俺が友人の孫だと気が付いたのだ。絵のタッチや、注意書きの書き方に見覚えがあるから呼び寄せてみたのだと後で聞かされて目玉が飛び出して足下に転がるかと思うほど驚いた。しかし、今では軽率に一人で行動する王に少し呆れながらも、王と会話すること自体には慣れてきた自分がいる。


「クックック。君は本当にダダンに似ているな」


 愉快そうに肩を揺らすと、王は綺麗に手入れをされている豊かな顎髭を撫でながら目を細めた。

 コツコツと冷たくて固い床をゆっくりと歩いて、王はこちらへ近付いてくる。どうやら、それなりに長話になりそうだ。


「ダダンが死んだときはどうしようかと思ったが、君があいつの跡目を継いでくれて助かっているんだ」


「祖父が陛下と知人で、城に生物の記録を寄贈していたなんて知りませんでしたよ。おかげさまで生活に不便はしていないですが。それと……龍騎士ドラグライダーと揉めた時も助けていただきましたし、恩は感じています」


 王という立ち位置はあれど、俺にとってこの人はよく知らない相手に変わりない。身の丈以上の待遇を受けているし、よくしてもらっている恩はあるが、他人だ。

 あちらからはなにやら特別な好意を感じるのを、少し居心地が悪く思いながら俺は苦笑いを返す。

 

「君に、話しておかねばならないことがある」


 しんと静まった部屋に、真剣な声が響く。

 気が付けば司書はいつの間にかいなくなっていた。まあ、自分の命が惜しければここで聞いた話が内密にしないといけない内容なら外部に漏らさないと思うが。

 こういうときの察しの良さがきっと王城内で生き残っていくためには必要なのだろう。

 捲っていた本のページを閉じながら顔をあげると、椅子を引いて俺の隣へ腰かけてくる王の真剣そのものの表情が見えた。


「ドラゴンの体を人の移植する悍ましい所業を知っているか?」


 低い声でそっと言われた内容に、思わず息を呑む。

 ニュイのことか? どういう要件なのかわからない限り、安易に知っていると頷くのはまずい気がする。

 ポーカーフェイスを装いながら、俺は肯定とも否定と取れないように曖昧に首を振り、王に話の続きを促した。


「はるか昔……人の体にドラゴンの力を宿らせる研究がされていた。その技術を模倣しようと、悍ましい実験を繰り返している集団を捕らえたと密偵から報されてな」


 王は目を伏せて、両肘を机に突いて指を組むと、眉尻を下げながらそう呟いた。

 傷ましい実験に嘆き悲しむ姿は悲壮さが漂っているが、俺はこの人が陰謀渦巻く王城で生き抜いてきた化け狼をも騙す海千山千の強者つわものだと知っている。

 まだ、ニュイの情報を出していいか判断が付かない。

 迷っていると王は顔を上げた。


「嘆かわしいことに一部の血潮龍イーコール騎士団も、そのおぞましい実験に関わっていたのだ。話は、五年前に遡る。タイモグ……そう、君とダダンの故郷近くの出来事だ」


「俺の故郷?」


 ニュイの存在がバレたわけではなく、俺の故郷に関する話だから話し始めたのか?

 訝しみながら俺は王の話にさっきよりも真剣に耳を傾けることにした。

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