35:別れと約束

「隠しているつもりはなかったが……」


 太陽はまだ高く昇っている。

 ボクの服を干したニコがバルコニーから戻ってきて木箱に座る。


「俺は……お前が女だからって態度を変えるつもりはないけどよ」


「僕もそれは同じだけど、驚いたのは許して欲しい」


 ニコが口を開くと、それに釣られてセレストも言い訳めいた言葉を漏らす。

 

「怒っているわけじゃない。その、ボクの方こそ悪かった。あまり他人とすごす経験がなくて起きた事故だ。今後は気をつける」


 本当に知らなかった。水浴びをするときも他人が近くにいることはなかったし、他人の前で鎧を脱いだこともなかった。

 ボクに向けられているのは常に嫌悪か怒りの視線で、先ほど外で向けられたような熱っぽいけれど妙に甘ったるい視線や慌てた視線を人間から感じたのは初めてだったから、なんだかむず痒い気持ちになる。

 ワシワシと肩まで伸ばされた髪の毛を乱暴にかいたニコが、バンっと強めに机代わりにしている木箱に右手を置いた。


「この話は終わりにして、大切な話をするとしよう。ニュイの薬筒についてだが」


「どうにか出来そうか?」


「仕組みはなんとなくわかったから直せるが……ちぃと時間が必要だな。幾つか材料を仕入れなきゃならんのと、俺にも仕事の優先順位ってのがある」


 小鼻を人差し指でこするようにかきながら、ニコは確かに「直せる」と口にした。


「ありがとう。恩に着る」


 あまりにうれしくて、身を乗り出すとニコの薄い唇が片方だけ持ち上がり、フッと短い息を漏らす。


「まあ、ニコ様の腕にかかれば当然だ」


 そう言って腕を伸ばしたニコは、セレストの肩をポンと軽く叩いた。


「こいつに頼まれた仕事と同時に仕上がるようにするから、二人でまた取りに来いよ」


「どのくらいかかる?」


「ええーっと王都の暦で言うとそうだな……今が夏の真ん中だから……収穫祭くらいには」


 そのくらいなら、大人しく過ごしていれば筒を使わなくて済みそうだ。

 薬は巣に帰れば作れるが、毎回二本しかないのでは心許ない。

 それよりも、もう一度この二人に会えるという用事が出来たことを喜ばしいと思っている自分がいた。

 パランがいればそれだけでいいと思っていた。今もパランが一番大切であることには変わりないが……。


「そうだ、ニュイ」


 先ほどから口数が少なかったセレストが、ようやくボクの顔を見た。

 温かな日差しに似た視線は、出会った頃と変わらない。

 少し口ごもって、一度目を伏せる。長い睫毛が頬に影を落としているのをじっと眺めていると、セレストの空を切り抜いたような瞳がボクへ向いた。


「帰る家とか、今はどうしてるの?」


「家は……ない。パランの巣になりそうな洞窟を点々としている」


「僕の家に来るかい? ああ、でも海を越えるからパランは大変かな」


「……泳いでいけないこともないが」


 パランはどんな荒れた海でも渡れるはずだ。実際に、ボクたちが出会った場所は王都がある大陸ではない。

 人目を避けながら海を渡って、数年前にこの大陸までやってきた。

 王都からの追っ手も、こちらの大陸に来てからは全く遭っていない。全員返り討ちにしたから、ボクのことなんて諦めていると思いたいのだが……。

 行っても迷惑にならないだろうか……と少しだけ考えてから、ボクを見ているセレストへ視線を戻す。


「そうだな……パランの隠れる場所はあるか?」


「大丈夫。僕の故郷には森も洞窟も山もある」


「それなら、世話になることにしよう」


 首を縦に振るなり、ボクの右手をセレストが両手で掴んだ。にっこりと幼い子供のように笑うこいつに釣られて、ボクの頬も思わず緩む。

 木箱をトントンと指先で叩く音がして、ボクたちは揃ってニコの方を見る。


「まあ、カエルム家なら安心か。じゃあ、また収穫祭の時期にな。支度が出来たらセレストの家に手紙を出すよ」


 そういってニヤリと笑って、なんだか妙な目配せをしたニコは立ち上がってバルコニーの方へ歩き出した。


「さてと、飯にしようぜ」


「手伝うよ」


 セレストに手を引かれながら、ボクもバルコニーへ連れ出される。

 少し陽が傾いた気持ちの良い夕暮れ前の時間。下へ目を向けてみると、地面には龍芹草アニスが独特の香りがする小さな白い花を満開にさせている。

 ニコが、内側が煤だらけの木箱を開いて、肉の塊を取りだしている。

 二人が料理をする様子をただ後ろから眺めながら、ボクはバルコニーの手すりに背中を預けた。


「ニュイも、こっちに来いよ」


 むんずと左腕を掴まれて、ボクは体を起こす。

 太陽みたいな男だな……と改めてセレストを見て思いながら、ボクはナイフで切った肉を平らな岩の上に乗せているニコへ声をかけた。


「これは?」


「塩で出来た岩の板。こいつで肉を焼くんだ」


 そういって、ニコは竃に火を入れて鍋を置いてあった場所に岩の板を置いた。

 しばらくするとパチパチと薪の燃える音と共に、肉の焼ける香りが漂ってくる。

 短い間の付き合いだと思っていたが、想像していたよりも長い付き合いになりそうだ。

 

「……なんだ?」


 一瞬、刺すような痛みを感じて後ろを振り向いた。

 しかし、気配は一瞬で煙のように消えたし、視線を感じた方向には何もいなかった。

 何か小さな生き物がボクを一瞬見ただけだろうか?

 僅かな不安が脳裏をよぎる。


「どうかしたか?」


 異変に気が付いたニコが声をかけてくる。


「何かに見られている気がした。まあ、気のせいだと思うが」


「何も聞こえないから、大丈夫じゃないかな」


 耳を澄ませて辺りを見回したセレストを見て、ニコも火から離れる。目を閉じて、すんすんと風が運んでくる匂いを探っているようだ。


「……なにもないみたいだな」


 ニコも首をかし家ながら目を開いた。

 気のせいだったか……と胸をなで下ろしながら、ボクはもう一度振り向く。

 夕焼けで辺り一面が真っ赤に染まっていた。

 なにかを思い出しそうになって、思わず右手で額を撫でる。

 暗い廊下、赤みを帯びた銀の髪。赤い鱗……伸びた角……これは、いつか見た記憶?


「ニュイ、飯にしようってさ」


 セレストに声をかけられて、我に返る。

 今見たものがなんなのか思い出せないまま、ボクは二人と共に部屋へ戻った。

 なんだったんだ。だが、この白昼夢のような記憶をどう伝えればいいのかわからない。

 モヤモヤとした不安が胸に居座っていたけれど、それは仲間達と穏やかな時間を過ごしているうちにそれは薄れていった。

 いつの間にかボクは眠っていて、昨日と同じように朝の日差しとセレストの声で目を覚ました。


「じゃあ、また」


 早々に準備を済ませて、ボクたちはニコに別れを告げる。

 パランにはボクの匂いを追いかけてもらうことにして、エーテルにセレストと共に乗った。

 ニコは腰に腕を当てながらボクたちを見送るためにツリーハウスから降りて、ヴォルトと共に佇んでいる。


「元気でな」


「ああ、そっちもな」


 それだけ言葉を交わして、ボクたちはニコがいた樹海を後にした。

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