32:警告色

「下がれ! 右! 危ない」


 エーテルは初めてボクの指示を受けるとは思えないほど素直に言うことを聞く。といっても、複雑な命令まではもちろん通じない。

 簡単な単語を組み合わせて、パランの触手が届く範囲でエーテルを戦わせる。

 ボクたちの目的は、パランの触手に噛みついている蚊龍レヤックをどうにか引き剥がすことだ。無理をしないように、慎重にエーテルに声をかける。


「ロ、ロ」


 パランの触手は鱗に覆われていないから比較的やわらかい。しかし蚊龍レヤックの牙がその表皮を貫通できるような柔らかさではないはず。 

 触手に噛みついている蚊龍レヤックは、エーテルが近くに来ても逃げだそうとしない。小さなドラゴンにとって、エーテルは天敵として十分な体格差なのに……。これも女王蚊龍クイーンレヤックがいるからなのだろうか?

 尾や前脚で一匹ずつ蚊龍レヤックを叩き落とし、噛まれた痕を目視する。

 生の鶏肉に似た色をした触手は、少しだけ腫れているが、どうやら流血はしていないようだった。


「あいつ……気持ち悪いな」


 女王蚊龍クイーンレヤックは、パランの触手が届かない場所に位置取って、相変わらずボクをじっと見つめている。

 まとわりつくような視線は、痛みを伴うような敵意ではないが、べたべたとしたもので身体中を撫でられているようなそんな気持ち悪さがある。


「ロ!」


 エーテルが、まるで注意しろと言わんばかりに短い鳴き声を上げた。女王蚊龍クイーンレヤックの方から、ぼたぼたぼたと湿った音が響いている。


「また産卵か?」


 膨らんだ女王蚊龍クイーンレヤックの腹からは、鶏の卵より一回りほど大きいくらいの卵が産み落とされる。何度目の産卵かわからないが、彼女の下に落ちている薄い緑色をした卵の殻と、今産み落とされた卵は色が全く違っていた。

 粘液でてらてらと光る黄色の卵は、すぐにヒビが入り、成体の蚊龍レヤックよりも二回りほど小さい幼体がうぞうぞと這い出てくる。

 しかし、先ほどまでの小さいだけの幼体とは様子が違っている。こいつらには羽根がないし、体の色も全く違う。灰色っぽい色をして、緑色の腹を持つ他の蚊龍レヤックとは違って、卵の殻と同じような鮮やかな黄色をしている、

 もしかして、正常な兵隊を生めなくなったのか? いや、それなら体色は変わらないはずだ。他の兵隊たちとは別の役割を持っているのか?

 早めに処理した方がよさそうだ。


「エーテル、降りろ」


 地面に急降下したエーテルの両翼が巻き起こした風で、女王の周りを囲うようにして飛んでいる蚊龍レヤックたちは、女王もろとも少し遠くへ吹き飛ばされた。

 しかし、小さな蚊龍レヤックの幼体は、発達した前脚を地面に食い込ませて、風圧に耐えていたらしい。

 生まれたばかりの幼体を観察している間に、女王蚊龍クイーンレヤックは洞窟の入り口まで戻ってきていた。

 吹き飛ばされていた蚊龍レヤックたちも、次第に洞窟の入り口に集まりはじめる。


「あいつら、また動きを変えたか?」


 蚊龍レヤックたちは、最初のように洞窟の方へ入ってこようとしない。

 幼体たちだけが、鮮やかな黄色の体を動かして蠢いている。


「なんだ?」


 羽根のない奇妙な蚊龍レヤックたちは、卵の殻と同じような黄色をしているし、前脚が他の蚊龍レヤックたちと違ってカマのようになっている。灰色の背鱗と、緑色の腹、それに細長い四本の脚を持つ他の成体たちとは全く違う見た目だ。女王から産み落とされたのを見ていなければボクなら別の種族だと勘違いしてしまいそうだと思った。

 羽根なしの蚊龍レヤックは、うずたかい山の様なものを作ると、外側に向けている尻を震わせて一斉にジッジッっと大きく短い音を発しはじめた。


「ロ」


 苛立ったように、エーテルが駆けていく。止める間もなく、エーテルが尾を振り回し、幼体の蚊龍レヤックで出来た山へ叩き付けた。

 派手な音がして、蚊龍レヤックの幼体たちが洞窟の岸壁に激しくぶつかって絶命する。


「あれ? おい、エーテル?」


 すぐに、ガクンと大きく視界が揺れた。

 エーテルが前脚を折るように畳んだのだと少し遅れて気が付く。


「しまった」


 蚊龍レヤックに噛まれたエーテルの体には毒液が付着していたことを思い出す。

 毒液を出す生き物は、どこにその毒を蓄えているのだろうか。冷静に考えれば簡単にわかるはずだ。

 ボクは、潰れた蚊龍レヤックたちの幼体へ目を向けた。

 蜂蜜のような色をした体液がどろどろと壁や床に飛び散っている。あのせいか……。


「ぐるるるる」


 一斉にこちらへ向かってくる蚊龍レヤックに、エーテルは立ち上がれないままでも応戦しようと低く唸る。

 両翼をばたつかせて、尾をなんとか振り回すと、飛んできた蚊龍レヤックの何匹かは叩き落とすことが出来た。


「エーテル! ニュイ」


 セレストの声が聞こえた。同時に景色がすごい勢いで前に流れていく。よく見てみると、パランの触手で体を掴まれたエーテルが後ろに引っ張られていくせいだった。


「くるるるる」


 パランは大きく鳴いてからエーテルをボクごと触手で包み込んだ。うるさかった蚊龍レヤックたちの羽音が小さくなり、ボクたちを包んでいる触手が揺れる。


「……時間稼ぎは出来たみたいだな」


 心地よいぬめぬめに包まれて安心していると、横から「ロ……」とか弱い鳴き声が聞こえてきて、視線をずらす。


「大丈夫、食われるわけじゃない」


 不安そうなエーテルの頭を撫でてやりながら、ボクはそう声をかけた。

 この音と揺れは、多分土の中へ潜っているのだろう。

 地面の下を移動するときによくパランがする行動だった。

 触手に包まれていれば、地中でも比較的安全に移動が出来るから便利なのだが、本来は捕食に使う部位だ。初めて呑まれたエーテルが怯えるのも仕方ない。


「すぐにセレストにも会えるはずだ。がんばれよ」


 少しの間、ボクたちは真っ暗で温かくて湿っている触手に包まれながらゴツゴツという石や土が砕かれる音を聞いてすごした。

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