30:女王蚊龍《クイーンレヤック》

「パラン、尾を」


「くるる……るる」


 少しだけ不満げに鳴いたパランは、ゆっくりと嘴を地面に突き立てて、体をもぞもぞと動かすと中へ潜っていく。

 あっというまに洞窟の天井すれすれまであった体を地中へ埋めたパランがいた場所からは、生の鶏肉に似た色をしたうねうねと動く触手たちが出てくる。嗅ぎ慣れた甘い香りが辺り一面に充満しはじめると、ニコはサッと口元まで下げていたストールで鼻と口を覆った。


「この尾なら、多分蚊龍レヤックを一網打尽に出来ると思う」


「お前……いいアイディアだが、その匂いは」


 慌てたようにニコは走り出して、ヴォルトの元へ向かう。

 それに気が付いたセレストも、エーテルの元へ僅かに遅れて走り出す。

 同時に、少し遠くにいてまばらだったはずの無数の瞳がいっせいにこちらへ向いた。


「ドラゴンを誘引する匂いだ! 龍除けの効果をかき消すくらい強力なやつ!」


「エーテル! 洞窟の奥へ」


 二人がパランの頭がある方向へ素早く飛んでいく。


「来るぞ、ニュイ! こっちへ」


 二人がボクを呼んでいる。ボクの耳にも聞こえるくらい蚊龍レヤックたちの羽音が近付いて来た。

 大丈夫、そう答える前に、ボクの体をパランの触手が包み込んだ。


「パラン! 食べるなよ」


 慌ててそう指示をすると、わかったとでもいいたいように触手の内側が僅かに震えた。

 羽音と、甲高い蚊龍レヤックの断末魔、そして触手があちこちにぶつかるような音は、この中にいても聞こえてくる。外の様子は見えないながらも、ボクへ向いている視線がぐんぐん減っていくのがわかる。

 静かになってから少し経つと、ゆるゆるとボクを包んでいた触手が解けた。


「すっげえ」


 興奮したように声を弾ませたニコがそう言ってパランの頭がある方から駆けてきた。

 それから足下に落ちている蚊龍レヤックを拾い始めた。

 洞窟の外にはまだ数匹の蚊龍レヤックがいるようだが、群れの大半がごっそり減ったことで、警戒を強めたようだ。洞窟の中には入ってこようとしない。


「これだけ数を減らされたら、放っておけば散っていくだろうさ。女王蚊龍クイーンレヤックでもいない限りな」


 ニコはそう言って、落ちている蚊龍レヤックを一匹拾い上げた。

 それから、辺りを見回して、パランの後ろからヴォルトが出てこないことに気が付くと、両腕を広げてヴォルトを優しげな視線で見つめる。


「ヴォルト、おいで」


 警戒をまだ続けながら、パランの影から出てきたヴォルトの胸元を撫でながら、ニコはヴォルトの鞍にぶらさげている袋を取りだして広げた。

 袋の中へ状態の良さそうな蚊龍レヤックを詰めていくニコを見ながら、セレストがいないことに気が付く。

 もしかして、なにかあったのか? それとも、パランの戦い方が気に食わなかったのか?

 視線がボクに向いていなければ、どんな風に思っているのかもわからない。

 もう蚊龍レヤックの脅威は無いに等しいし、様子を見に行ってみよう。こういう洞窟には何が潜んでいるかわからない。それこそ、大黒土蜘蛛スキュラがこういった洞窟を好む場合だって多い。

 パランが地中を掘り進んで来たなら、洞窟の中にいる危険な獣を排除していない可能性も高い。

 不安になったボクはパランから離れて、セレストを探そうと洞窟の奥へと向かおうとした。


「ニコ! ヴォルトに乗れ」


 セレストの鋭い声で、ニコは手に持っていた袋を地面に落とし、ヴォルトの背にひらりと飛び乗った。

 パランが触手を伸ばす。しかし、ボクを包むべきか、こちらに来る外敵を叩き落とすのかで迷いが生じたらしい。何匹か打ち漏らした蚊龍レヤックが数匹、そのまま突っ込んでくる。

 それに、こいつらは、さっきと比べても予想出来ないような速度でボクの方へ向かってきた。


「――クソ」


 右からガチンと耳障りな音がして、視線を向ける。数匹まとめてボクに突進してきた蚊龍レヤックは、ヴォルトとエーテルが対処してくれたが、落としきれなかった一匹がボクの右腕に噛みついていた。腕ごと地面に叩き付け、最後の蚊龍レヤックを叩き潰す。


「――っ」


 それから、ねちっこい視線でボクを見つめてくるヤツがなんなのか確かめるために、顔を上げた。

 洞窟の入り口には、蚊龍レヤックを二回りほど大きくして、腹と尻を肥大化させたような異形のドラゴンが羽ばたきながらその場に静止して四つの目でボクをじっと見つめていた。


女王蚊龍クイーンレヤックだ……最悪な状況だ」


「羽音が違う個体が一匹混じってたから警戒してたんだ」


 エーテルの前脚でマントを挟まれて洞窟の奥まで運ばれる。

 並ぶように飛んでいるニコは、恐らく後ろを振り返りながら、あの異形のドラゴンについてそういった。

 それにしても、セレストが警戒をしていてくれたおかげで助かった。あのままだったらボクは蚊龍レヤックの第二陣に囲まれていただろう。

 パランが触手をめいいっぱい広げているおかげか、追いかけてくる蚊龍レヤックはいないようだ。二人は頭がある場所まで後退する。後ろから何も来ていないことを確かめてから、エーテルは一度ボクを地面へ降ろした。


「くるるる」


 反省しているのか、それとも落ち込んでいるのかわからないが頭を地面に伏せて、目をしょぼしょぼさせているパランの頭を軽く撫でてから、ボクはニコを見た。


「で、何がまずいんだ?」


 ニコは、前方を警戒しながらボクの問いに対して声をひそめて話を続ける。


「普段はバラバラに動く蚊龍レヤックだが、女王が近くにいると統率した動きを見せる」


「なるほど……だから数を減らされても退かなかったのか」


 セレストが感心しながらそういうと、ニコは肩を竦めて頷いた。


「それに……女王はいつでも孵化出来る卵を体内に溜めていてな……」


 声を低くしながらニコが話している間にも、ボクを見つめる視線が少しずつ増えていくのを感じる。セレストも羽音が増えているのを感じているのだろうか? 落ち着かない様子であちこちを見回している。

 嫌な予感が的中しないことを祈りながら、ボクはニコの言葉の続きを待った。


「即席の兵隊を殖やすことが出来るんだ」


「悪い知らせがあるぜ」


 ニコの言葉が終わると同時に、セレストが人差し指を口の前に持っていきながらそう言った。

 ボクたちが自分の言葉に気付いたのを確認してから、セレストは洞窟の奥を指差す。


「どうやらここは、大黒土蜘蛛スキュラの住み処らしい」


 きぃきぃと硬いものを擦り合わせる音が僅かに聞こえる。セレストが指差した方向に目を凝らしてみると、雄牛ほどの大きさはあるゴワゴワした黒毛を生やした蜘蛛がこちらへ向かって歩いてきているのが見える。

 まだ距離はある。


「最悪の中でもまだ救いなのは……こいつが一匹しかいないことみたいだ」


 大黒土蜘蛛スキュラのことは知っている。

 小型のドラゴンを捕獲するための罠や、中型ドラゴンを足止めするために使われる非常に強靭な糸を持つ蜘蛛だ。

 蚊龍レヤックの羽音が大きいからか、パランの匂いが強すぎるからか、まだボクたちに気付いた様子はない。


「糸を吐かれたら、エーテルとヴォルトはしばらく動けなくなるぞ」


「かといって、パランが動いたら気付かれちまう」


 二人が顔を見合わせているのを見て、ボクはポーチに手をかける。


「ボクの出番だな。確か、大黒土蜘蛛スキュラの糸でも大型ドラゴンは止められない。そうだよな?」


「パランが今派手に動いたら大黒土蜘蛛スキュラもこっちに気付いちまうって」


 ニコが声をひそめながらも、非難めいた声を出す。ボクを見る視線には怒りは宿っていないが、不思議な感覚を覚えた。これはボクが腕を切ったことを知ったときのセレストと同じような感情らしいということだけわかる。


「パランじゃなくて、ボクがやるんだ」


 ボクはポーチから薬筒を取りだして、右肘の窪みに突き刺した。

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