28:蚊龍《レヤック》

「ニュイ、おはよう」


 肩に手を触れられたが、それが脅威では無いとわかる。

 頬に当たっているのが太陽の光と、それによく似た温かな視線の持ち主はボクに気概を加えてこないことを知っているからだ。

 知り合って日が浅いにも関わらず、そんなことを思っている自分に少し戸惑いながら、ボクは目を開いてセレストの顔を見る。

 昨日は、ニコが作った飯を食ってから、そのままぼうっとして眠くなって……記憶を辿り、それから勝手に眠ったことを咎められないことに少しだけ戸惑った。

 でも、微笑んで右手を差し出しているセレストの空みたいに真っ青な瞳を見ていたら、それが当然のことだと思えるから不思議だ。


「ニュイの目、夜の空みたいでかっこいいよな。髪も月に似た綺麗な銀色だし」


「は?」


「ほら、起きようぜ」


 この瞳の色も、髪の色も気味悪がられることばかりだった。驚いて固まっていると、ボクがまだ寝ぼけているんだと勘違いしたらしいセレストに腕を引っ張られた。

 促されるまま立ち上がって、セレストの後をついていく。昨日、この家に入ってきた扉とは別の扉を開いて、外へ出た。

 湿った冷たい朝の空気に肌を撫でられて、少しだけ頭がさえてくる。

 バルコニーと呼べるような場所には、腕くらいの太さがある植物の茎をくり抜いた半円状になった管が垂れていた。どうやら、上の方から水が伝ってきているみたいだ。

 その水は、ボクたちの背丈よりも大きな樽に注がれているらしい。

 樽から突き出た管についている取っ手を捻り、出てきた水を桶にためたセレストは、掌ですくった水で顔を洗い始めた。

 ここへ連れてこられたと言うことは……恐らくボクも同じことをする習慣があるのだと思われているのだろう。

 水浴びは嫌いではない。だから、セレストの真似をして、ボクも桶に貯めた水で顔を濯いだ。

 水を外に捨て、壁に吊されている植物の繊維を編み込んだ布で顔を拭い、部屋に戻る。

 すると、ニコが何かを木箱の上に並べている。


「昨日あまったナマズの骨と、野菜クズを煮たスープだ」


 木製の深皿に注いだスープの良い香りが空腹を刺激する。黒パンも皿代わりにした葉の上に並べていた。

 ふと目線をずらすと、バルコニーの壁から少し離れた位置には、竃が設けられていた。その上には、洗っていない鍋が置かれたままだ。

 横目でそれを見ながら、後ろ手で扉を閉め、昨日と同じようにセレストの左側へ座る。


「昨日、お前らが探してくれた獣だが、どうにもそれらしい角を持つやつらはいないみたいだ。ドラゴンにも……」


「王都から遠い場所で見つかる生き物か、角じゃ無くて爪か何かを使ってるってコトか?」


「ああ、それか、大きな角や骨からこれを削り出してるかなんだが……この加工の仕方はそうじゃなさそうなんだよなぁ」


 ニコとセレストが話し合っているのを聞きながら、スープにパンを浸して食べていると、遠くからボクを見つめる視線を感じた。

 ヒトのものではないことはわかる。だが、それは無数にこちらへ向かっている視線に紛れてすぐにわからなくなった。

 嫌な予感がして、二人に言うべきか迷っていると、セレストの肩がピクンと動く。


「なんだ?」


 不意にセレストが顔を上げる。それから少しして、角笛に似た音と、獣が唸るような声が外から聞こえて来た。

 木箱からすぐに立ち上がったニコが、窓から身を乗り出して外を見る。


蚊龍レヤックの群れだ」


 ニコの言葉を聞いて、ボクたちも窓辺へ向かうと、確かに、少し離れた場所で、細い竜巻のようなものが渦巻いている。

 灰色の渦からははっきりとした無数の視線を感じた。あいつらがボクを見ていた視線の正体らしい……。

 ボクのせいでこんなことになったのなら、今度こそ責められたりなじられたりするだろう。

 おそるおそる隣をみたが、二人にそんな素振りはない。


「うわ……こんな規模の群れみたことがない」


「ドラゴン除けを撒いてるから、こっちにまでは来れないだろうが……」


 ゲ……という声と共に上体を仰け反らせたセレストがそういうと、ニコはツリーハウスを建てている木の下に目を向けながら顎をさする。

 エーテルのとなりにいたヴォルトが、ニコに気が付いたらしい。こちらへ一目散に飛んできて「ガ!」と短い鳴き声を上げた。


「よしよし。ちゃんと俺たちに知らせて偉いぞ」


 ヴォルトの細かい傷がある立派で太い嘴をさするように撫でながらも、ニコは蚊龍レヤックの群れから目を離そうとしない。


「全部を駆除する……とまではいかなくても、少し数を減らしておいた方がいいかな」


 セレストは、いつの間にか自分の外套を手に取っていた。

 

蚊龍レヤック……あいつはどんなドラゴンなんだ?」


 見たことはある気がするが、覚えていない。おそらくパランが一瞬で倒すか食べたかしてしまったんだと思う。


「こいつらはヒトや獣の血を吸う。なるべく肌を覆って噛まれないようにすれば脅威も少ない」


 ボクの質問に答えながら、壁に吊してあるストールをボクたちに投げたニコは、自分も首にストールを巻き付ける。そして、使い込まれているが手入れが行き届いている革のマントを羽織った。

 セレストも外套に袖を通してから、首元をストールで覆う。


「エーテルは……落ち着かないみたいだな」


 地面で頭を低くして、時折、角笛のような音で鳴いているエーテルを見たセレストは、眉尻を下げて困ったように笑いながら、懐から竜笛を出した。

 血色と艶の良い薄い唇は、虹色に光る笛にそっと息を吹き込む。音色はボクの耳には届かないが、エーテルにはしっかりと届いたようだ。

 エーテルがこちらをみたことを確かめたセレストは、自分の笛を素早く懐に収めると、こちらへ向かって真っ直ぐ飛んでくるエーテルに「よしよし」と声をかけていた。

 外へ出たセレストは、指を指しながらエーテルに着地した場所を教えているようだった。

 大きな黒い鳥と空の仔ドラゴンがいれば、ボクは留守番をしていた方がいいだろうか。戦えないことも無いが、中型ドラゴンやそれに似た大きさの獣と共に戦う術に関しての適切な振る舞いを知らない。

 セレストを追って外へ出たはいいが、どうしていいかわからずに、ヴォルトの背中にまたがるニコへ目を向けた。


「どうした?」


「ボクが行っても足手まといにならないか?」


「んなわけあるか。あんたも狩人ハンターだろ? 頼りにしてるぜ」


 ふっと息を漏らすように短く笑ったニコの言葉にホッとしていると、後ろからグイッと腕を引かれた。転びそうになるのを持ちこたえて後ろを振り返る。


「ほら、ニュイ、行こう」


 太陽の光みたいに眩しい笑顔を向けられて、自分が何を気にしていたのかと馬鹿らしくなる。こいつも、ニコも、ボクを邪険に扱ったり、馬鹿にしたことなんてない。

 一人前の狩人ハンター扱いをしてくれるのならば、それに応えよう。

 セレストの言葉に頷いてから、首に巻き付けたストールを持ち上げて口元を隠す。そして、手に持っているだけだったドラゴン革を鞣して作ったマントを羽織った。


「少し待っていてくれ」


 使いかけの薬が入った筒を木箱から一本だけ取ってポーチにしまっってから戻る。セレストは一足先にエーテルの背に乗っていた。ボクもエーテルの前脚をよじ登り、背に乗る。


「待たせたな。行こう」


 セレストが頷いて前を向いた。


「ニュイ」


 一足先にヴォルトを飛ばしたニコが、大きな声でボクの名を呼ぶ。


人間俺たちは弱い。お前が特別な腕を持っていても。頼りにはしているが、無理はするなよ」


 ニコの視線にも、相変わらず嫌悪や怒りは宿っていない。

 本当に、変わったヤツらだなと思いながら、ボクは首を縦に振る。


「わかった」


 ボクが頷いたのを見て、片腕を上げて応じたニコは、蚊龍レヤックの群れへ視線を戻した。


「あれだけ大規模な群れなら、普段は森の生き物に片っ端から襲いかかっているはずだが、あいつらはまだ何も食べていない。ニュイの体質の影響かもしれない」


 そう告げて、同じ場所で旋回していたヴォルトと群れの方へ向かっていった。

 セレストが「行くよ」と声をかけて、踵でエーテルの体を何回か刺激する。首を反らすように持ち上げたエーテルが「ロ、ロ」と鳴いて、大きく翼を広げた。

 少し遠くに見えるヴォルトを追うように、短く助走をしたエーテルが地面を蹴ると大きな体が空に浮いた。


「ニュイ、しっかりつかまっててくれよ」


 前を向いたままそういったセレストの声は、緊張しているのか少しだけ上擦っていた。

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