第二十九話 面倒な兄妹


「まさかの選択ミスかよ」

 第一理科室を後にした悠斗が沈んだ唯に話しかける。

「だってプリントにこっちが化学と物理って書いてあったし」

 そう言ってポケットから折りたたんだ用紙を開くと悠斗に突きつけた。

 そこには『一年生部活動紹介案内図』と大きな見出しがついており間違いなく『第一理科室・化学と物理』と記載されている。

 何故か第二理科室は階が違うため階段を使い一つ上へと上る。扉の前まで到着したが唯が入るのを拒む。兄には会いたいが先みたいな事態を恐れているのだ。

 悠斗がため息をつき仕方なく先頭で入室すると真っ先に司の顔が目に入った。

「あれ、悠斗くん?」

 悠斗の登場が予想外だったのかきょとんとした顔をしていたが裏に隠れる唯の姿と表情を見た途端全てを悟ったような顔をする。

「なるほど……ありがとう悠斗くん」

 続く言葉は謎の謝礼、理解できずに悠斗は訝しげな顔をした。


 こちらの展示方法も先と同様で自由なためエリカたちに展示を見て回らせると司、唯、悠斗で会話を開始する。

「さっきのは何の礼だ」

 朝にボロを出してしまったので躊躇わずにタメ口で会話を進行する。躊躇のないタメ口に唯が一瞬視線を向けるがすぐに弱々しく俯く。

「それは後でね。それより唯は観てこなくていいのかい?」

 悠斗に優しく微笑んだ後唯を上から見下ろす。顔はニコニコとしていて美少年の爽やかフェイスを伺わせつつも圧迫感があった。

「……見てくる、兄さんのは何番?」

 恥じらうような畏怖しているような面持ちで見上げる。

 これはきっと司の唯払いだ。唯をこの場から立ち退かせ男子の会談を成立させるための作戦だ。

 唯もきっと承知している、自分は今、邪魔者だと。それでも兄の側にいたい……1人は怖いから。

「僕の展示は3、7、12番だよ、行っておいで」

 優しく微笑みかけ退散を促す。

 小さく頷き歪な笑顔を見せた唯は小走りに3番台へ向かった。


 司の対応を不審に感じた悠斗が懐疑的な視線を浴びせていたが彼は一切気に留めない。

 目力でどうにかできる相手でないと再認識した悠斗は真意を問いただすために司と向き合った。

「まず礼について聞こうか」

 ある程度の予想はついたためほぼ確認だが気は緩めない。

「唯と第一理科室へ行ったでしょ? 唯1人だとあそこを抜け出すのにもう暫くかかったんじゃないかな」

 悠斗の眼を見て笑いかける。その相貌は強い何かを纏っていた。顔はいつもの司だがそれはただの面、裏に隠された想い、信念とは異なり願いとも表せない何かを持っている。

 悠斗は本心を包み隠さず晒す。

 ここでは「そうだろうな」と答え言葉を続けた。


「やっぱり仕組んだのか」

 直感から始まった思考がほぼ的中していることが判明したためそれを問う。

「少し違うかな、プリントのミスは偶然なんだ」

 平然と言ってのけたが果たしてそれは許されることなのだろうか。

「つまり分かってて訂正しなかったのか」

 そういうことだ。

 今の言い回しから考察していくと間違いを認識しておきながら修正も伝達もしなかったということになる。訂正しようと思えば教師からの伝達でどうとでもなるからだ。

 尚も笑みを保つ司に一定の不信感と不気味さを覚える。

「そうだよ。顧問の先生にもそのまま通すように申請したんだ」

 認め、大きく顎を引く。丁寧に顧問までも欺いている。

 唯1人のために司は学校のほとんどに嘘をついていたということだ。いや、なおもその嘘は継続中。


 と、そこでふと疑問に思う。

「待て、ほかの科学部員は納得したのか?」

 今までよりも勢いを増して問いかける。何がおかしいのか司は小さく笑うとそれをも肯定する。

 悠斗は次第に恐怖を感じて来た。何故ここまでして唯に変化を求めるのか、そもそも本当に唯の進化が目的なのか、と。

 鋭い睨みを無意識のうちに利かせていたがそれさえも仮面を使って跳ね返す。

「上手く説得できたけど、勿論『唯のため』なんて言えば反対されるから、そこは……ね」

 だそうだ。

 部員全員が一個人の妹のために学校中に嘘をばら撒いたりはしない。おそらく生徒に興味を持ってもらうために嘘の情報を流してどちらの展示にも来てもらおうなどと偽ったのだろう。


「…………いい、機会だったんだよ」


 不意にそんなことを口走った。

 唐突過ぎて悠斗は反応が遅れる。言葉を呑み込んでもその意味は理解できない。

 その疑問符を知らぬまま、司は少し離れた位置で鑑賞している唯を見つめる。

 じっくり観る要素があるのかはわからないが彼女はまだ3番展示品の前にいた。ちなみにエリカたちはというと10番展示の多色スライムで遊んでいた。

 さっと室内を見回した後すぐに司の横顔に視点を合わせる。


「…………」


 その眼差しは司も承知していたがしばらく無言のままで時を過ごした。悠斗も続けていい言葉が浮かばず隣に並んだまま司か少女たちを待つ。

「……悠斗くん」

「な、何だ」

 またしても突然に発したその声に悠斗が動揺し珍妙な声を上げてしまう。

 2人はいつの間にか視線が交錯しあっていた。

「一つ…………一つ、依頼がしたい」

 珍しく躊躇いがちに曇った眼光を見せて来た。

 タイミングよく切り出したつもりだったようだが流石の悠斗も心が激動した。


 眉目秀麗、頭脳明晰、判断力からスポーツ(は推測)まで完璧な先輩からの要請など一片たりとも考えなかった。

「お前に……お前に貸せるほど俺の力は優秀じゃない」

 遠慮がちに答え否定とも取れる返し方をした。

 別に嫌なわけではない、ただ単に目の前の少年に助力できないと感じたのだ。


 しかし、その声などまるで届いていないかのように言葉を続けた。


 その依頼内容は短くこうだ。



「唯を、成長させて欲しい」



 ただこれだけのことだ。

 表情に変化を与えないまま司の顔を、眼を凝視する。

 それに応えるようにして頷くと詳細を話し始めた。

「朝も、話したよね。君は唯に進化をもたらすって」

 静かに頷くと同時に朝の会話を掘削し掘り起こした。そしてその際、司は自分のことも変えてくれると言っていたことを思い出す。

 廊下からは何年生か知らない生徒の声が聞こえてくる。

「唯が……妹が、自信を持って、堂々と僕の前に立てるように……して、欲しいんだ」

 一部に見られる躊躇は彼の弱さそのものだった。

 その様子と依頼が表すものが、彼が本当に求めるものが、ついに悠斗に見えて来た。


 宮園司は強い。それは決して不適切なものではない、だがこれだけでは齟齬が発生する。

 彼は強くあると同時に弱者でもある。あらゆるものに対してそれなりの能力を見せるが、一点においてはどうすることもできない。否、どうしていいのか分からないのだ。

 そもそも世界には圧倒的な強者などいない。その強者にも突かれたくない弱点があり、突破不可能で難攻不落な城門に衝突する事もある。いや、人生に一度は必ず起こる。

 だから悠斗に頼む。少し回りくどいやり方で。

 悠斗の眼を恐る恐る確認する司はその顔を見た途端安堵の吐息を漏らす。

 悠斗は自身がどんな顔をしていたのか分からず眉を顰めたが一度咳払いしジャッジを下す。

「……まあ、それはいいが……。俺は恋愛経験ゼロだぞ、兄妹カップルなんざ見たこともない」

 悠斗が頰を赤らめながらそっぽを向く。

 司にはいつの間にかいつも以上の笑顔が戻って来ていた。


 司の依頼を解読するならこうだ――僕と唯の距離を縮めるのを手伝って欲しい――と。


 2人は結局ラブラブカップル兄妹なのだ。

 互いのことを想い合い、その愛ゆえに苦悩している。

 兄へ近づきたくても遥か遠くの存在へ手を伸ばす方法がわからない。

 妹へ手を差し伸べたくとも歩幅の合わせ方が、声の掛け方が、何より手の差し出し方が分からない。

 その相反するような2人を繋ぐ存在が悠斗だと、司は目をつけた。

「大丈夫だよ、なんて言ったって悠斗くんだからね。あ、勿論僕も僕なりに努力するよ」

 屈託のない笑みの後何かを取り繕うように異なる微笑みを向けて来た。

 まるでマジシャンのような巧みなフェイスだ。

 悠斗は心の中で気分のいい奴め、と愚痴っておいた。


「んで、司の気持ちについて唯には……」

「君が必要と感じたら暴露してしまっても構わないよ」

 先を促すように視線を送ると迷いなく一任された。何を材料に悠斗なんかを信じているのだろうか。


「お前も――」

「悠く〜ん、次行こ〜」


 悠斗が話しかけようと少し姿勢を整えたところに間が悪いというか良いと言うか……とにかくエリカたちが一周を終え戻ってきた。

「あ、あぁ……。おい、唯!」

 適当な相槌を打ちながら司へと流し目を送ると苦笑が返ってきた。これは行ってらしゃいという意味だろう。

 その笑みに合わせて肩を縮こまらせた後7番台を真剣に鑑賞していた唯を大声で呼んだ。

 ビクッと過剰な反応を見せ畏怖した様子で駆け寄ってきた。

「お前も一緒に見学行くぞ」

「へ?……はぁ?」

 憂いた表情から一変し嫌悪感を露わにする。

 数度目を動かして兄の様子を窺っていると、

「行っておいで」

 そんな屈託ない美しい笑みを返した。

 その笑顔は同性の悠斗ですらも見惚れてしまうほど秀麗だった。

 部外者である悠斗以外の探偵部員は首を傾げたりコソコソとしていた。

「分かった、兄さんが言うなら」

 渋るような喜ぶような何とも言えない顔と声で頷き部屋をあとにした。

 去り際に司がありがとうと呟いたのが聞こえた。きっと悠斗にしか聞こえなかった、それでもその言葉は唯へも向けられていた様に感じられて……。


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