第二十六話 水中戦、結果


「液体呼吸か……。学会で発表すれば大成功間違いなしだ、どうだい、私たちと賞金を稼ぐつもりはないか?」

 男が水かきのついた手足を動かしながら勧誘する。

 拒否されることを承知で敢えて招待する。

 というか、異世界にも学会があることに驚く。どんな学論などを発表しているのか少し気になった。


「遠慮しておくよ、僕は唯のために、唯は僕のために生きているから、君たちに割く時間はない」


 ニコニコしながら妹との愛情を口にする。

 どうやらこの兄妹は尋常じゃないほど愛し合っているらしい。それもエリカたちが悠斗に向けている愛情よりも大きなほどに。

「それは残念だ。それならば私は力尽くで君を手に入れるしかないわけだね」

 男から動きを見せる。

「それもできない。僕は良いモノを見させてもらったからね」

 呼応するように司が跳躍し見事に男の一撃を避ける。

 良いものとは何か悠斗や唯が首を傾けていたがそんな事には気がつくいとまもない。

 それにしても水中戦上でのこの動き。陸上で戦っていると言っても納得するレベルだ。

「君の適応の能力はその場に見合った体の作りに変化する、だったね。陸上で僕らと同じ動きなら、水中でもその程度にしか適応できないんじゃないかと思ったけど、正解だったみたいだね」

 爽やかな司の言葉に男が強く歯と歯を噛み合わせる。

 キリッと小さく擦れた音は誰にも届かなかった。

「確かにその通りですが……良いのですか、お仲間――特に大事な妹さんが酸欠で死んでしまっても」

 焦燥感を与えることで行動にミスを発生させる算段だったのかもしれないが、先の間に司が言った言葉を忘れていた事が漏れてしまう。むしろその逆、自分の無知を公開してしまったことになる。

 だからこそ、それを指摘せずに相手を泳がせる。

「確かに、急がないとまずいかもしれないね」

 チラッと唯を見たのはおそらく「よろしく」という意味だろう。

 唯の魔法は今までにも述べた通り物質変化気体だ。この能力があれば空気中の酸素濃度を元に戻す程度は造作もない。

 小さく首肯してそれ以外大きな動きを見せずに濃度を弄り始める唯。すぐに酸欠になったりしないが基本的に今できるのであれば少しずつやっておく。いつどんなアクシデントが起こるとも限らない。

 こうして相手に人質をとっていると錯覚させる事が後々効果を発揮するかもしれない。

 いつの間にか水の流れは収まっており、水の通る道は全てなくなったと推測される。


 ノアは一向に目を覚まさず悠斗たちは息を飲んで見守る他ない――否、唯は空気操作を、あーちゃんはバリアを、白翼とエリカは何を考えていのか相手の隙を探っている、きっと2人にも何か作戦がある。

 ならば悠斗は……悠斗だけが、この場で最も役立たずな存在なのでは……?


 抱えたノアに目を落とし無意識に現実逃避を始める。

 そんな時でも環境の変化は止まらない。


「そろそろ危ないですよ? 味方の元に戻らなくても?」


 男が挑発するようにバリア内にいるモノ全てを指して言う。

 まだ気がついていない、これはかなりチャンスだ、どこか隙があれば司が一発入れられれば。

 そんな期待を持ちながらもしばし応戦が続いたが、数分後ついに終わりの時を迎えた。

「そろそろ終わりにしましょう」

 悪役の負けフラグの典型的なセリフを述べると男は後ろ手に何かを掴んだ。腰の裏側へ何かを隠し持っていたのだ。その動作に誰も気が付かず、男は得物を強く握るがまだ表には見せない。ギリギリまで隠し土壇場で奇襲を仕掛ける。

 何度繰り返したかわからない攻撃動作を再度行い司へと接近する。

 司も同じように回避して距離を置こうとする。

 そこを狙って男が追撃を行う。先より攻撃的になった敵を見て一瞬顔をしかめた司はさらに後方へと飛び退き華麗に舞う。

 男は懲りずに追撃を繰り返し、やがて距離が詰まった。


 バリアに少し近い位置で司はバリアのことを気に掛けざるを得なくなる、故に一旦後ろに流した目は男の動きを見切れなかった。


 その瞬間を逃すまいと男は後ろ手に潜めていたナイフを高速で取り出し、波の抵抗を押し返しながら司の胸部目掛けて腕を大きく回す。


 司がそれに気づいた時はもう手遅れ、間も無く少年へと刃の鋭角部が突き刺さる。


「ぐぐぅっっ」


 その男を突如荒波が襲う。

 突然の大波に体を揉まれ司へと接近した身はみるみる距離をとりやがて壁へとぶち当たる。

「ぐっ」

 衝撃に声を漏らす男は刹那の間だけ閉じた目を正面へと集中させ波の原因を凝視した。

 しかし、それもまた一瞬。次の瞬きを終える頃にはナイフを手にした司が目前へと迫り一気に振り下ろした。

 このナイフは今の大波で男がうっかり手放したものだ。

「ひぃっ…………」

 男は恐怖などにより反射をおこす。顔から微妙に血が引いており、エラの付いた手で身を守ろうと必死になっていた。

 だが結局刃は何を突き抜けるわけでもなく男に衝突する直前で停止させられていた。


「……この水、戻してもらえるかな」


 脅迫のように聞こえる問いで男を圧迫する司は割と優しげのある表情だった。

 その顔に逆に恐怖した男は素早く首を数度振るとボタンを起動させた。

 爆音に近い音で何かが引いていく音が室内へと響き約1分後に水は全て何処かへと消え去った。

 水が消滅した頃にはバリアが消え、男のエラなども全てが元通りになっていた。

「司先輩、大丈夫ですか」

 解放された一同は労を労うために奮闘した先輩のもとへ駆け寄る。

 ナイフを男に突き付けたまま司は一度ニコッと笑いすぐに男へと向き直った。

「ここのボスは君かい?」

 まるで初対面かのような口調で平然と問う司に悠斗が惚れ惚れしていたが男の動きにハッと我に帰った。


「わ、私です」

 口を震わせて告白する男の言葉は誰も信用しなかった。

「ほ、ホントなんです。ウォルトとミミックは雇っただけなんです」

 しかし続く言葉を聞けばある程度納得がいった、特に司以外のものはウォルトが雇われたことを本人から聞いている。

 しかしミミックとは初耳だ、擬態の魔法を操る変態野郎の名前はミミック、それを記憶しておこうと悠斗は頭にねじ込む。


 色々な出来事を確認し合って事実だろうと推測を立てた一同。

「ならこれだけ言っておくよ――次僕たちに手を出したら、多分大変なことになるよ」

 司の『僕たち』という単語に一瞬「俺もか?」と勘違いした悠斗は後ろの方で小さく照れている唯を見て認識違いに気がついた。

 コクコクと頷いた男は逃げるようにして去っていった……というより逃げて行った。


「…………」


 その背を無言で見つめる司に1番に称賛をかけるのは誰であるべきなのだろうか。

 面倒臭くそんなことを考えた悠斗は唯を手招きし話すように目と仕草で伝える。

 怯えるように司の背後に近づく。本当にぶつかってしまうかと思うほど接近すると少し高い位置にある頭を見上げて声をかける。


「…………にい……さん」

 恐る恐る声を発した唯に司は爽やかな笑みを見せる。

「どうしたんだい?」

 勝利を喜ぶのかと思いきや突然頭を下げた。


「ごめんなさい、アタシ、兄さんに……迷惑を」


 だんだんと沈んでいくトーンは正真正銘唯の心境だった。泣きそうな声で、震えた体で司に謝り暗くなっていく。

「僕の方こそごめんね、唯に心配をかけちゃったみたいで」

 唯の頭に目を置きゆっくりと撫でると少女は頰を赤らめ小さくなる。

 悠斗たちが想像する以上にラブラブな光景を見せつけられなんとも言えない空気に包まれるがいつまでも風景に徹するわけにもいかず声をかけることにした。

「えっとですね、これからどうします?」

 割り込み方に困った悠斗が妙な尋ね方でカップル兄妹に話しかける。

「君たちもごめんね、私事……とは違うけどそんな感じの事に介入させてしまって。僕のことは知ってるみたいだけど一応ね――露無高校3年4組、科学部所属、宮園司。よろしくね」

 謝罪のあと軽く衣服などの汚れやシワを直して身嗜みを整えると自己紹介に移った。

 畏った物言いに小さく会釈してしまったが順番と弁え的に自身も名乗る。

「俺は2-3神本悠斗、探偵部所属です」

 先輩ということもありやはり敬語で紹介を終える。

 年上と関わることの少なかった人生だけに気恥ずかしさを覚える。

 それに続くように探偵団のメンバーの紹介が終わる。但し、目を覚まさないノアは悠斗が説明しておいた。

 一箇所気になったのはエリカが本名ではなく偽名で名乗ったことだが、別に指摘されずに終わった。

「それにしても……神本くんか……。あ、僕のことは別に先輩なんてつけなくても、司って呼んでもらって結構だよ」

 普通に提案してくるがそう簡単な話ではない。

 学校では先輩が必要そうな上にそもそも人間性というか存在の仕方というか……実に年上らしい振る舞いだ。それこそ大学生を思わせるほどに。


 それ以前に悠斗は――


「その、呼び捨てはまだ気にならないんですけど……名前呼びが……」


 この部分に恥ずかしさを感じたらしい。

「えー、私たちのこと名前で呼んでるじゃん」

 エリカが久しぶりに喋る。確かにエリカのツッコミは的確だ。悠斗はエリカ、ノア、白翼、あーちゃんと下の名前で呼んでいる(あーちゃんは少し例外)。

「いや、お前は本名じゃないし、ノアはあれが名字……じゃないのか? 白翼とあーちゃんも本…………俺がつけた名前だし」

 悠斗の考えも間違いではない。エリカとあーちゃんは仇名でノアは恐らく苗字、白翼は名付け親として特に緊張感はない。ハーフの無名について触れかけたが何となく悪く思い言い方を変更した。


「……アタシ」


 そのやり取りの忘れ物を気付かせるために自身を指しながら悠斗に視線を送ったのはもう1人名前で呼ばれている人。

「あー……確かに」

 悠斗も盲点だったのか全く気にも留めなくなっていたのか、唯もファーストネームで呼んでいた。

「ちょっと、アタシは下でもいいとか気持ち悪いんだけど」

 悠斗の失態に辛みを取り戻した唯が暴言?を吐く。

 それを見て司が目を見開き2人を視野に収めた。

 当然その変化に敏感に反応する悠斗、不思議や間違いを指摘せずにはいられないのかここでも例外なく尋ねる。

「どうしたんですか」

「ん、いや……唯がそっちで人と向き合うことが珍しいからね」

 唯に笑みを向けながら発したその言葉は、悠斗の言葉の返答だが唯に向けられているようだった。その言葉にピクッと肩を跳ねさせた唯はまたしても萎縮し縮こまる。

「そっちってのは?」

 指示語の意味するものが分からずに問い返す悠斗。


 変わらないスマイルで司が唯に視線を向けながら話し始める。

「唯はあまり人と話をしないんだ」

 開口一番はそんなありきたりな告白だった。

 それでも、この数時間で見てきた唯はそれなりの頻度で喋る上に口調もタメでギャルっぽさなど特に話し上手に思える要素なため、ある程度の衝撃は受けた。

「僕の前だとこんな風に小さくなるし、知らない人とは会話があまり成り立たないんだよ」

 唯を手で示し状態のことを取り上げると唯は余計に萎縮し目を背ける。

 兄が好きということなのか、それともそれ以外なのかは定かではない。

「昔は君たちに見せるような子だったんだよ。でも大きくなって僕に依存するようになると……次第に、ね?」


 最後は何故か悠斗ではなく唯に向けて疑問符を加えた。ここでも兄妹にしか分からない意思疎通のようなものが働いているのだろうか。

 話の最中に時々向けられる視線に悠斗は少し怯えていた。唯からの冷たい視線で「この話を切り上げろ」と訴えているように思えた。きっと弱い自信を知られたくなかったのだろう。

「なるほどな、まあ俺をストレス発散として使うのはいいけど……学校で友達作ればいいのに」

 友達のいない悠斗がいうのも変な話だが率直な意見を述べる。校友を作って自身の生き方を貫けば少しは気が楽になると思う。

 唯から向けられる視線に目を合わせ悠斗からも訴える。

「アタシ、兄さんがいればいいから」

 ツンツンとした態度で適当にあしらわれる。それを見て司はふふっと穏やかに笑った。

「ごめんね、無駄話だったかもしれないね。家まで帰る方法だけど………………このテレポーターを使うといいよ」

 唯から一度離れ何処かへ行った後この場へ再び顔を見せ悠斗の元に歩み寄ると、見覚えのある小型の道具を取り出した。それを丁寧に渡すとエリカたちにもそれぞれ渡していく。

 大量に持っているそれは恐らくテレポーターだ。

「これどうしたの?」

 エリカが先輩などお構いなくタメ口のような感じで尋ねる。自身から唯に「年上には敬語使わないと」的な発言をしたことはきっと彼女の頭の中で無かった事になっているのだろう。

「学校には僕本人が行っていたからね、これの在り処は聞かされていたんだよ」

 それを聞いて悠斗も合点がいった。

 確かにそれならばこの数持ち出して来ても不思議ではない。


「そうだ、ふたつだけいい?」

 人差し指と中指を立てて何かを繋げようとする。


「ひとつはまあ、明日学校で話したいかな。できるだけ朝早くに図書室で。あと一つは……そこの君、白翼さんだったかな? さっきはありがとうね、波を操ったのはキミだよね」


 常に爽やかに、和やかに笑いながら依頼と謝礼を残して唯と共に場を離れた。

 白翼は小さく会釈していたが、それが司に見えたのかはよく分からなかった。

 何とも奇妙な幕引きだが、ひと段落ついた事に安堵の吐息を漏らす悠斗。背に抱えたノアに一度目を向けたがすぐに他の4人にそれぞれ目を合わせる。


「まあ、ありがとな……あと、お疲れ」


 こちらも謝礼を述べたあと労いの言葉をかけた。

 その号令?でスッと緊張感が抜けていった。

「本当に疲れたんだが」

 白翼が愚痴のような台詞を吐いたが、それを真っ直ぐ受け悠斗は自身の弱さを呪った。

「マジで迷惑かけて悪かったな。ま、一旦帰ろう、話はそこでな」

 そう言った悠斗を先行にそれぞれテレポーターを使用して自宅へと戻ったのだった。




         *****




 至る所で動きが見られる。

 この時代を境として世界が大きく動き出すことはすでに予言されていたことだ。但し、それはどんな未来なのか、どんな変化を遂げるのかは未知数であり、その予言を知る全てのものは事態を己の望む方向へ突き動かすためにあらゆる策を講じる。


 この男もまた例外ではなかった。

「見つけたか」

 何の作業をしているのか、手を動かしながら振り向くこともせず尋ねる。

「はい、あの少女が持っていました」

 予測が当たっていたことと自身の未来を見据えてと、二つの事に顔が歪む。

「まずはそれからだ、俺様が直々に動いてやる」

 ここの者にとっては冷たい地の上に膝をついたまま従者が続ける。

「あの2人のアプローチに関してはどうしましょう」

「ハッ、あんな雑魚どもに興味なんざネェが、それなりに役に立ってもらう。主力を集めろ、俺様が指示してやる」

 この日初めて従者の方を振り向き命令を下す。

「はい、至急」

 そう言ってその場から影さえも残さず消え去った。

「先ずは隗より始めよ」

 男――ヴァラグ・デスサタンの笑みは止まらず、燃え盛る暗闇の中かすかな笑い声が木霊した。


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