第二十五話 水中呼吸


 ノアを抱えて走ると、一同はすぐに広間に辿り着いた。

 それはノアとウォルトがぶつかり合った、悠斗たちが初めて踏み入れた広間だ。

 空間の数ヶ所に血が滴れており、その臭いからノアの血液であることを瞬時に理解した悠斗。ノアに一度視線を落とし様子を窺うが静かに寝息を立てている。どうやらコアの調節が済むとすぐに正常な体に戻るらしい。

 その寝顔をしばらく見つめた後に何となく苦笑した後出口を目指して再び走り出す。


 しかし、一同の元へ行手を阻む乱入者が現れる。

「おおっと、ここは通すわけにはいきません。不法侵入及び誘拐の疑いで逮捕しますよ」

 変体男が突然現れたかと思うと何かのスイッチをポケットから取り出し迷う事なくボタンを押す。それに反応したのは全員が集った一室。警報のような音が室内に鳴り響き一瞬にして通路が塞がれた。何かシャッターのようなものが仕掛けてあったらしく、それが作動し道を封じたのだ。

 悠斗だけであれば道が途切れる前に通り抜けられたが他のものを置いていくわけにもいかず敢えて留まった。

「不法侵入と誘拐って……お前もだろ」

 己を棚に上げての警告に悠斗が突っ込む。

 しかしそんなことは気に留めず、また別のボタンを作動させる。

「さあ、私のフィールドで私の戦に付き合ってもらいますよ」

 両手を盛大に広げ歓迎するような態勢を取ると声高々に叫ぶ。その言葉に訝しげな顔をした悠斗だったがすぐに真相を理解した。

 天井の二箇所が開いて大量の水が滝のように押し寄せてきた。それは留まる事を知らず空間一帯を埋め尽くす量だった。

「うおっ、これはまずいんじゃ」

 悠斗の悲鳴を仕切に多様な声が聞こえる。

「に、兄さん」

「唯、こっちにおいで」

 唯は何かを恐れ司の袖を引く。対する司は優しくにこやかに、不安を払拭する顔を向けながら手招きすると片手をつなぎ、もう片方の手を唯の肩へ回す。

「悠くん、ヤバイよ」

 エリカは水が溜まり始めた足下に視線を落とし悠斗の側に寄る。既に靴の中が濡れてしまったのか嫌そうな顔つきで足を上げたり下げたりしている。

「あぁ、これは」

「お姉ちゃん、私?」

 誰も状況に対応できないと悟った白翼が本人にのみ分かるような曖昧な視線を向ける。

 当人もそれを受け自分の出番か?という視線を返す。

「あーちゃん頼む」

「分かったの」

 どこから捻出しているのかわからない水の勢いは非常に強く分も経たずにどんどん増水していく。

 悠斗は壁を壊せないか挑戦していたが、ノアへ注入した魔力により、自身の魔力が足りておらず余力が少ないため不可能に近かった。


「全員あーちゃんに集まれ!」


 白翼が小範囲にばらけた味方戦力に声を掛けると、作戦も聞かず一同はその言葉を信じあーちゃんの元へ集合する。

「んんっ」

 全員が集ったところであーちゃんの風貌が変わった。

 隠していた両翼を勢い良く広げ数秒眼を閉じた。開眼した時、その目はいつものおしとやかな空色から煌々と光る赤眼へと変貌していた。展開した翼は、右側が黒で左側が白、以前見た時と同じで実に勇ましい。

 手を前へ突き出し踏ん張る時のような唸り声を出すと一味を取り囲むように『何か』が展開された。無色透明ながらも何故か目視出来るそれは非常に薄く頑丈だった。その強さを証明するようにそれを広げて以降水が悠斗たちを襲うことはなかった。


「これってもしかしてバリア?」


 薄い膜とその効能を見て思考が追いついたのかあーちゃんに疑問をかけるエリカ。しかしあーちゃんはそれに応える事なく静かに直立不動のままでいた。

「ああ、あーちゃんの魔法はバリアだ。バリア内にいるものをあらゆるものから守ってくれる」

 変わって答えたのは白翼。軽く解説をすると全員に注意を促す。

「悪いな、あーちゃんは優秀なバリアが使えるんだけど集中力が無いと途切れるんだよ」

 それを聞き出てきた相槌は「なるほど」だった。だからエリカの言葉も無視して全神経を集中させていたわけだ。もしかするとエリカの言葉は耳に届いていないかもしれない。

 すぐに室内は水で満たされ敵の理想の戦場へと変化した。


 そこで悠斗は一つ気に掛かった。何故水中が理想の戦場なのかと。

 護身のために意識を外していた変体男を見てみると正面の水中に漂っていた。

「いや〜、水泳も久しぶりだね。君たちも一緒にどうだい?」

 男はすいすいと辺りを泳ぎ回り悠斗たちを挑発する。バリアの中に入ろうとしない事から、話は聞こえていたと見るべきだ。

「何だあいつ、水中で呼吸してる上に普通に会話してやがる。しかも泳ぐ速度えげつないぞ」

 人間としてあり得ない動きをする相手を見て衝撃を受ける。

 男は水中を一般の魚以上の速度で泳ぎ回り、見たところまともな呼吸を行っていた。足は靴を履いているため見えないが手には水かきのような器官が形成されていた。


 まず悠斗が想像したものは魚人。アニメなどでよく出てる半人半魚で水中に入るとあらゆる能力が上がると言うものだ。しかしながら目を凝らせば呼吸がえら呼吸ではなく明らかに口と鼻で水を吸っている。にも関わらず溺れる事なく延々と動き回る。よって、魚人の線を消す。


 次に浮かんだものはこの世界の掟のようなもので、魔法だ。

 水中で自在に行動できる魔法かと思いつき、それを否定する材料がないためにとりあえずそう結論づける。


 だが、男自身がそれを否定するように解説を始める。

「私の魔法は面白いですよ。魔法名は適応、環境に応じて自身の体の構造を最適化する能力です。私はどんな世界でどんな環境でも生き抜くことができるのです」

 悪役の典型とも取れる簡潔かつ丁寧な説明にエリカが疑問をかける。

「つまりお兄さんは二重魔法師?」

 その疑問は悠斗サイドから見れば極めて普通であったが、相手側から見るとツボにくる要素だったらしく、男が大笑いをして転がるように暴れる。

「そうだったそうだった。まだ話してなかったが、私は擬態の魔法など使えないのでね」

 その申告には理解が一瞬遅れる。

 しかし、いち早く気が付いた司がそれを周知させる。

「なるほど、擬態の人間が唯たちに見せたのは素顔ではなく君の顔だったと言うことか。初めから僕たちの考えが間違っていたんだ」

 その指摘を受けて全員が納得すると同時に緊張感が増す。悠斗たちは相手の掌で踊らされていたのだ。だとすれば、この先の展開の多くは相手陣によって都合の良いものが多い、どうにかこの場から逆転を図らなければならない。

「そうか……。あ、ちなみに唯はあの顔見てないぞ」

 少しばかり気になったのか、悠斗が司に突っ込む。

 その後の何とも言えない空気に悠斗は少し萎縮した。


「さて……種明かしは終わりましたが……これでは私も手を出せませんが、あなた方はそのままでいいのですか?」

 ニヤニヤとしたいやらしい笑みを向けながら主にあーちゃんに声をかける。

「そのままだと空気中の酸素が次第に無くなって全員窒息死しますよ? 私は水で呼吸できる体へと進化しているので困りませんが」

 その脅迫にあーちゃんの腕がピクッと反応する。

 現状保持ではいずれ全員が死ぬと宣告され動揺したようだ。このまま男に主導権を委ねると窒息以前にバリアの崩壊で全員溺死してしまう。どうにか策を練ろうと頭を回していたがやがて状況に変化が訪れる。


「…………私が――」


「――ここは僕に任せてもらいたい」


 エリカが仕方なく戦場に入ろうと挙手しようとするのを遮るように司が名乗り出る。

 エリカはホッと安堵の息を吐き、何事もなかったように挙げかけた手を静かに下ろすと司に目を向け尋ねた。

「大丈夫なの?」

 珍しくエリカが悠斗以外の心配をしたため悠斗が絶叫に近い声を上げた。その声に数名が肩を跳ねさせ悠斗に視線が集まったため、「何でもない」と謝罪のように頭を下げて身を引いた。

「僕なら平気だよ、水中戦は僕の得意分野だ。唯、ここはお願いするよ?」

 司が淡々と答えた後、唯に笑みを向ける。その笑みに頬を赤らめながら唯が首肯するのを確認するとバリアを越えて水の中へと潜り込んで行く。

「君はどうやら水中だと負けないと踏んでいるようだけど、僕が相手だとわからないよ?」

 司が水中で男に向かい声を発する。

 相手も含め一瞬何の違和感も感じなかったが次第に不自然さに気がつく。いや、逆に一瞬違和感を感じなかった事がおかしい程不自然だ。

 唯はもともと知っているため不安げに見守っているだけだったが。


「えええっ!!」

「な、オマエ! 何故水中呼吸ができる!」


 男が悠斗たちの代役のように司に疑問をかけた。

「僕の能力は物質変化液体、それはここにいる全員が知っている。でもこの能力、液体の影響を受けずにいられるという特殊で強力な副産物があるんだ」

 爽やかなウィンクを決めると悠斗たち――主に唯に振り向きスマイルを作る。その笑いに呼応して唯も笑みが出る。

「そして僕の優秀な妹は物質変化気体で、気体の影響を受けずにいられる。僕たちは化学兄妹、ケミカルファミリーなんだ」

 兄妹とファミリーは違うとツッコミたかった悠斗は、先の空気を思い出し心の奥底にしまう。それともこの先同じ家系の人間が物質変化個体の魔法を持って登場するのだろうか。

 ともあれそんなことはどうでも良いことで、司の能力だが、これがあれば水の中でも呼吸が可能ということだ。

「だがそれはおかしいではないか。私の適応や鰓呼吸ならともかくオマエは完全なる人間で水を体内に取り込んでいる」

 全く持って悠斗と同じ叫びであった。

 悠斗の知識で見れば司の状況で生き物は生存できない、何故なら司の周りに気体が無いからだ。液体の影響を受けずに溺死しないことは何となく理解ができるが、気体がなければそもそも呼吸ができない、つまり司は呼吸をしていないことになる。


「はあ、やっぱり気がつくよね……。僕が行っているのは液体呼吸だよ。流石にこの空気のない空間で通常呼吸なんてできないよ」

 司がため息……?を吐き告白する。どうやら初めの言葉の一部は誤魔化し程度のものだったらしい。その言葉を聞いて悠斗は半分納得したがやはり半分ほど疑問が残る。

 唯と司は確認済みで他の者は全く理解が及んでいなかった。

「司先輩、それはまだ未完全な技術なんじゃ?」

 悠斗が敬語を使いながら確認をとる。悠斗の記憶が正しければ2030年になった今も液体呼吸の技術は完成していなかった。いくつかのアニメやドラマなどでは使用されているみたいだが現実では人間の使用できる域に達していない。

「確かにそうだね、未だ液体呼吸を成功させた例は発表されていない。でも僕はできる。これは科学者たちの実験する方法ではなく僕だけができる、独自のやり方なんだよ。まあ、弱点もあるから、やり方については内緒ね」

 そう言って爽やかなウィンクを決めると再び男と向き合う。


 弱点を口実に詳細を明確にしなかった理由があった。

 一つは純粋に相手に情報を与え自信や唯たち(主に唯)を守れなくなることを恐れたからだ。悠斗たちはこちら側だけを本心と見て深く詮索しなかったが、彼が重きを置いているのはもう片方だ。


 それはこの呼吸法にある。司が行っている呼吸は液体呼吸とも異なる。体内に入り込んでくる液体、つまり口、鼻、目などから取り込む液体を全て液体空気へと変換しているのだ。これを通常魔法の火力(冷却も含む)を使って気体化し、通常呼吸を行なっている。

 しかし、この液体空気は僅かな燃焼や摩擦などにより簡単に爆発する起爆性能が極めて高い液体である。体内でその液体と火を扱えば爆発する可能性は極めて高い、少しの衝撃や一心の乱れが司を殺すことになる。

 司は僅か10分ほどの間に悠斗の人間性を理解した。だからこそ無駄な心配をかけないためにと情報を未開にしたのだ。


「…………」


 仕掛けを知る司の妹は冷や汗をかきながら静かに兄を見守っている。

 そんな2人の気遣いや不安も知らずに他のものは2人の状況を見て息を飲んでいた。


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