第十七話 本当の依頼
丁寧に階段を降りて悠斗がリビングへと繋がる戸へ向かう。
その辺りから唯の嗅覚が反応を見せた。
わずかに香ばしくスパイスの効いた鼻に残る匂い。
作る家庭によってスパイスの強みや入れる具材に微妙な差があるがこの匂いは間違いなくみんな大好きのアレだった。
「この匂い……」
後方で小さく呟く唯に苦笑して扉を開く。
すると、籠もっていたカレーの鼻をつく匂いが一気に押し寄せすり抜けていく。当然その感覚はその場にいた全員に伝播する。
食卓には6つの食器が準備されておりカレーの他の食品はない。毎度毎度想定外の食卓風景があり、結果として計算よりも早くにお金と食材が嵩むが、空腹状態の放置は良くないことだと習った悠斗はどうしても作ってしまう。
そのまま先まで歩み寄り片手で示す。
「ご自由な席へどうぞ」
4人で囲むことを理想として作られたテーブルは窮屈だ。
椅子も足りないため二つほど他の部屋と物置から取り出してきた。
椅子の配置はテーブルの各辺に1・2・1・2という形だ。
「はあ? 何でよ」
白翼やあーちゃん同様警戒する。突然知らぬ人に『飯奢るから一緒に食おうぜ』と声をかけられて『はい!』とお供するのと同じである。誰一人として警戒しない者はいない……恐らく……多分……。
「俺たちも食ってないんだよ、時間的に腹減ったから早く」
食を勧める理由は触れず席につくことを催促する。
「イヤだって」
うまく誘導しようかと考えたが、簡単ではないらしい。仕方なく唯を置いてそれぞれが席につく。
「じゃあ先食べるから食べたくなったらそれ食べて」
悠斗は説明するといつも通りの挨拶をして食事を口へ運び始める。食事が始まると黙っていた女子たちが一気に弾ける。何かを会話し出したり無駄なアプローチを悠斗にかけてみたりと行動は様々だ。女三人寄れば姦しいとはこのことだ。ここにいる女子は4人プラス1人だが。
「食べなくてもいいから会話には参加してくれよ」
数度カレーを呑み込み再び唯に声をかける。
気を使って敢えて騒々しくしているのか他の4名は騒ぎながらも黙々と食を進めている。
「はあ⁉︎ さっきからアンタ何なわけよ!」
怒りとは違う罵声が悠斗に突き刺さる。とは言えこの少女が今回の事件の鍵を少なからず握っている。故に避けては通れない道だ。
「何があったか覚えてないか?」
その質問には喋っていた4名も興味を持ち視線を集中させる。視線を浴びた唯は一瞬怯えたように一歩引くがすぐに強気に戻る。
「何がって何よ、兄さんに会ったことなら覚え……て…………」
言いかけて目を見開く。辺りを見回し兄の不在を確認するが当然いるはずがない。確認するまでもない事実を確認する唯の動揺は全員に読み取ることができた。
「ちょっと、兄さんはどこにいんのよ!」
自身の身に起きたことが分かっていない唯は悠斗に牙を剥き物凄い形相で歩み寄る。悠斗が身の危険を感じ席を立つ。
「おい、落ち着けって、その事なんだよ。君のお兄さんの司先輩はどこにいるか分からないんだよ」
「ナワケないでしょ、さっき会ってるし番号も知ってんでしょ! どこよ!」
悠斗の言い分も信じず更に詰め寄る。鬼気迫るその形相は悠斗を殺しかねないものだった。
「はへはひはひはっはんはよ」
エリカが口を挟むが誰にも解読できない暗号だった。
「飲み込んで喋れ」
この状況でもいつも通りふざけているエリカ、相変わらずな性格だったがそこが面白い。
「……、アレは擬態だったんだよ」
完璧に喉を通り過ぎた後言い直すエリカ。今度ははっきりと聞こえた。
「は? 擬態って…………あぁ……」
擬態の単語より連想される様々な事柄をもとに得た結論に納得を見せる。それと同時に唯の体から僅かに力が抜けるのが悠斗にはわかった。
「道理で……ってかそれならもっと怪しいし」
司の正体のことを明かしてみたが逆効果だった。話に応じるどころか不審感が増した。仕方なく心を抉る形で話を進めることにする。
「ならキミは何をしに探偵所へ来たか覚えてるか?」
悠斗は表情をガラッと変化させて唯を圧迫する。
言葉、表情、その他様々な方面から圧力をかけ脅すように尋ねる。流石にこの雰囲気の中で騒ぐほどエリカたちもアホではなかった。
「そ、それは……」
唯がその迫力にたじろぐ。一歩、二歩と足を引き動揺を見せる。
分かっている、見えている。自分がこの状態へ至った経緯や、この場へ足を運んだ理由。気が向かないながらも兄のためにとここへ足を向けた理由、それは頭の中にあるが故に避けたくなり、逃避したくなる事実だ。
「キミは今が緊急時だと思ってるんだろ、だからそうやって怯むんだ」
悠斗の指摘に唯は顔を蒼くして首を何度も振る。悠斗の言葉を、振り払うために。
全てを話すならここがチャンス、この機で事実を全てぶちまけて反応を伺う。
「俺たちのもとに、この家にキミの兄さんから依頼があったが、恐らくそれはその擬態の男だ、キミの観察を頼まれた。その際に『唯にはこのことを伝えないでくれ』的な発言をしていたがこれは保険だろうな。そして今日の放課後二人を合わせた時宮園司の偽者がキミをスタンガンで気絶させて連れ去ろうとした。よく分からないがその場ではキミを誘拐されずに済んで今に至る。俺が嘘をついていると思うならそれでもいいが…………真実だったら兄さんは大変なことになっているぞ」
言葉を切らず長々と説明することで緊迫感と緊急性をアピール、更に言葉の圧で危機感を募らせ選択肢を減らしていく。
唯は怯えながら下を向いて震えている。
その姿はまるで泣いているようだった。
唯の目が潤み光が頰を伝い一粒、二粒と床へと落ちる。フローリングに落ちた水滴は染みることもなく少しずつ溜まっていく。
それでも涙を必死に堪え、目の淵が赤みを帯びる。涙を我慢するその様子はまるで子供のようだ。
もしかすると、本当に子供なのかもしれない。兄に甘えたいのが妹だ……と思う。
頼りたい兄はいない。人への頼り方を知らない。自分の身の守り方を知らない。人に助けてもらえる条件を知らない。そして……世界には多くの優しき人がいることを知らない。
悠斗の前にいるのは悠斗のよく知る『誰か』では無い。
なら、きっと上手くいく。
「でもアタシ……学校にも異世界にも、頼れる人いないし」
「だから、頼れる人ならいただろ。俺たちに頼りに来たんじゃ無いなら何しに探偵所に来たんだよ」
悠斗が自身の、チームの存在をアピールする。
そんなことでは煮えきらない、人は簡単に納得できない。
こんな時同情してやると一瞬気持ちは楽になる。でも同情されればすぐに気付く。自分は哀れで惨めだということを理解する。
だがそれは仕方がない。世界がそういう作りなのだ。言葉というものは無意味に存在しない、その言葉があるということは必ず何かが言の葉に適合する。でも、その共通範囲から外れることはできる。哀れ、惨め、この言葉の集合から自分を除外すればいい。それは容易ではないが一度達成できれば後はすんなりと通る。
「でもやっぱり……知らない人に頼るのは」
この手の人間の負の思考はある程度理解しているつもりだ。悠斗がそうであったからだ。
「だったら殺人事件が起きたとき、それは誰に頼る」
全く関係ないような話を持ち出して例え話を始める。
唯は少し治った涙を拭い「え?」と応える。
「警察に頼るよな、でも俺たちは警察の人の個人個人なんて知らない。消防士、救急救命士、医師や教師。あらゆる知らないに人に頼ってるだろ」
悠斗の例えの意味がよくわからず「それが?」と怒ったように言う。
「だから知らない人に頼れないっていう言い訳はできない」
「…………でも……」
「ならわかった。もういいから帰ってくれ」
それでも渋る様子を見せる唯を悠斗は冷たく突き放した。
「え……まっ――」
「俺たちに依頼は無いんだろ、だったらここにいなくていい」
待って、と言いかけたのだろうか。何にせよ唯の言葉を遮り冷たくあしらう、そうすれば彼女が本音を引き出してくれると信じて。
彼女はどこかの誰かとは違い誰かに頼れる。普通の人間ならできる。だからその言質を取るために冷酷な言葉で距離を取る。
ここが正念場、唯の実力が試される。
ここで悠斗の聞き覚えある言葉が出ようものならどうしただろうか。そんな事にならないと踏んでいるときその最悪の事態が起きれば人は簡単に過去の言葉を捻じ曲げ矛盾を作り出す。
「ぁっ……あ……たし……」
声が出た。恐怖し唇が振動した。
突き放された唯は本心を曝け出そうとしている、あと一息、あと一歩前へと歩みを進めればいい。でもその一は非常に大きい。
「……」「……」「……」「……」「……」「――――」
躊躇い、躊躇し、『困惑』し、逡巡し、因循し……言葉が……続かない。
時間が経てば次第に力が削がれていく。
消耗されるのは時だけでは無いのだ。世界の全ては消耗品。人も人の気持ちも。
これ以上は無理かと悠斗が諦めかけた。諦めて別の言葉をかけようかと思案を始める。
「――――――依頼、する」
唯から視線を外し新たな策を企てていた悠斗の耳に唐突に飛び込んできた弱々しくも力の込められた言葉。
驚嘆しバッと顔を上げると決意の眼差しと拭いかけの滴の輝が悠斗の眼を貫いた。
「…………そうか」
嬉しいことだ。実に素晴らしいことだ。
自分の弱さを振り払って頼み込んできた。とても立派なことで誇るべきことだ。悠斗としても頼られることが有り難い。
……有り難い、はずなのに。
これは……この気持ちは…………嫉妬だ。
「……依頼なら、仕方ないから聞いてやる」
唯の涙が悠斗の涙腺を刺激し悠斗に悲しみがこみ上げる。でもそれはまた別の話、こんな場面で見せることのできないどうでもいい余談。
悠斗は押し寄せてくる負の感情を心の隅へ追いやり唯の依頼を再び引き受けた。
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