十三・復活 その5

 久山と峰川は連れ立って散策をしていた。湖やキャンプ場から少し離れ、林道を行く。

「骨休めには最高かもしれないよね」

 先を行く峰川は、両手を左右に広げ、景色を見渡す素振りをした。遠くに見える山林はまだまだ緑色をしており、紅葉のシーズンではない。

「そうですねえ、何にもないから、本当に休むだけ。集中できますね」

 久山の方は、ゆっくりとした歩み。普段外へ出歩くことが少ないから、たまには自然を満喫しようという魂胆かもしれない。

「真夏なら泳げるんでしょうけど」

 と、首から提げたコンパクトカメラを持つと、シャッターを押す峰川。

「人が少ないのもいいじゃないですかあ。峰川さん、すっかり有名人だものね。こんな場所じゃないと、のんびりできない」

「さほどじゃないのよ。名古屋から向こう、西日本の方ではまだまだ。だから、これからも売り出していくみたい、事務所」

「首輪がなくなってから走り続けのせいで、お疲れ? なんて」

 峰川に追い付くと、首を斜めにしながら久山が尋ねた。元々ちょこんと乗せた感じだった黒い帽子が、大きくずれた。

「いえいえ、とんでもない」

「そうですよねえ。仕事が来る内が華ですから。脚本屋さんもタレントさんも」

「聞いていいかしら」

 わずかに口調を改めると、峰川は久山の真正面に立った。

「はい?」

「四人の中で、誰が一番、仕事をこなしてる?」

「四人というのは、私と堀田さん、江藤さん、塚さん?」

「そう。一番の売れっ子放送作家はどなたかしらね」

 問いに対し、久山は顎先に人差し指を当て、考えるポーズをしてから答えた。

「さあ。原稿一枚の単価がまちまちでしょ。だから、単純には。でも、注文量から言えば、堀田さんじゃないですかあ」

「あ、そ。やっぱり、あの人なのね」

「堀田さん、ワイ・サス(=『ワイド・サスペンス』)枠だけじゃなく、ゴールデンの一時間単発にもちょくちょく書いてます。その内、一クール物を任されるんじゃないかなあって噂です」

「あんな人が書いたのが受けるなんて、分かんない世の中」

「前から思ってたんですけどお、峰川さんは堀田さんをお嫌いなんですね」

 間延びした、しかしきっぱりとした調子で言った久山。

 やや面食らったかのように口をぽかんとさせた堀田であったが、すぐに唇を結ぶと、その端に笑みを浮かべる。

「そうよ。嫌い。そりが合わないってやつね」

「じゃあ、どうしてワイ・サスの仕事、受けてるんです? 狂言回しの役割だから、毎回出ないといけないと分かってて」

「それは恩義あるテレビ局だし、生島さんはプロデューサーとしていい仕事すると耳にしていたし、何と言っても数字、いいものね」

 番組視聴率のことを言っているのだろう。峰川は目配せをした。

「顔を売るため。大を取って小を捨てる。これよ」

「でも……何がそんな気に入らないんです? 堀田さん、いい人じゃないですかぁ」

 子供っぽく口を尖らせる久山。

「色々あって」

 対する峰川は、その一言でかわした。相手が喋り出す前に、カメラを構える。

「撮っていいかな」

「あ、いいですけど、ちょっと待ってくださいよぉ」

 上目遣いに帽子を直す久山。

「はい、オッケー」

「いい? 笑って笑って。――はい、チーズ」

 シャッターが下りてから、顔を上げた峰川は、じっと目を凝らしている。

「? どうかしたんですか?」

「え? ううん、何でも」

「おかしいですよ。明後日の方を向いてます、峰川さん」

 久山の指摘に、峰川は肩をすくめた。

「久山さんは子供ぶってるけど、ちゃんと見るとこは見てるのよね」

「そんな話よりも、何か見つけたんですか」

 峰川が向いていたであろう方向を見当づけ、振り返る久山。

「今さら見ても遅いんだけど。撮る瞬間、何かさ、影が見えたような気がした。それだけよ」

「影? 何か生き物ですよね?」

「ええ。現れたと思ったら、見えなくなった。何だったのかしら、あれ」

「熊とか」

 首を傾げつつ、真剣な顔で言う久山。

「まさか。熊が出るような場所にキャンプ場を作るはずない。出るとしても、注意書きの一つや二つ」

「そうですよねえ。あ、でも、江藤さんの言ってた緋野山、向こうですよね」

 と、久山は腕を真っ直ぐ伸ばし、一方向を示した。わずかにもやのかかる中、緋野山を始めとする山並みがあった。

「それがどうかした?」

「緋野山には熊がいるそうですよ」

「本当?」

「ええ。ですから恐らく、お腹を空かした熊が出て来る可能性、ないと言い切れませんよ」

「やあね」

 笑い飛ばしたかったのかもしれないが、峰川の台詞はそこでストップした。

「散歩するんだったら、湖の周りがいい」

 どちらからともなく言い出し、二人は今まで来た道を引き返し始めた。


             *           *


 千春は芹澤の右隣に少し間を置いてしゃがむと、相手の横顔へ話しかけた。

「休憩中?」

「そうだよ。千春もか?」

「ええ。ねえ、『経済学概論』のレポート、できた?」

 芹澤は抜けるような笑みを見せたかと思うと、力なく首を振った。

「……何か、元気ないよ」

「そうか? そんなことないつもりだが」

「お客さん、今の人達が最後になるみたい」

「ちょうど休みも終わる」

 芹澤は石を拾い、湖に投げ込んだ。小石だった割には大きな音がして、波紋ができたが、風の起こすさざ波にきれいな円形はすぐに崩された。


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