十三・復活 その4
「冗談だからね、相手にしなくていいから」
堀田に言われた芹澤は、「は、はあ」と答えつつ顔を赤くした。急いだ風にきびすを返すと、大股で歩き始める。
「いやはや、最近の若者にも、すれてない子はいるもんだ」
「そうじゃなくて、気を悪くしたんじゃないかしら」
塚と堀田がそんなやり取りをする間もなく、ボートの前まで来た。
「手漕ぎですか、ペダル式ですか」
芹澤は、ぶすっとした口調になっていた。
「もちろん、手漕ぎ。釣りだって言ったでしょ」
「漕げるんですか」
「大丈夫よ」
堀田が笑顔で応じる。
「それより、ポイントってあるのかしら? この人、下手の横好きだから、付き合わされる方はたまんなくて」
塚を指差しながら言う堀田に対し、当人は大声で笑い出した。
「下手の横好き、蟹の横這い、ヨコバイは虫」
訳の分からないフレーズを唄うように言って、また一人で笑う。
「僕はよく知りませんが、一応、こちらがそうなってます」
呆れたのか軽く息をつき、湖の俯瞰図を出してきた芹澤。コピーした物らしいその地図のところどころに、網かけの丸囲いが記されている。
「おお、ありがたいなあ。これ、もらえるのかい?」
「どうぞ、ご自由に」
塚に地図を渡した芹澤は、いくらか機嫌が直ったらしく、笑みを見せていた。
* *
梨本が煙草を吹かして一休みしているところへ、生島は現れた。
「いいかな」
「当然、歓迎しよう」
座る場所を用意して、促す梨本。
「飯には満足してもらえたろうか」
「うまかったよ」
「夜のバーベキューは質は上等、鮮度もまずまずだから、これも期待しておいてくれ。あとは焼き加減だ。ははは」
「楽しみにしとくよ。――さっき、江藤さんが来たと思うんだが」
「ああ、電話と自転車を借りに来た人か。レンタカーの予約をして、さっさと行ってしまったよ。サイクリングじゃ飽き足らず、ドライブする気かねえ?」
「まあ、そうとも言えるかな。緋野山へ行きたいんだと」
「……何でまた、あんな場所へ」
地元で暮らすせいか、梨本の口は重くなった。煙草を灰皿に押し付けた。
「作家根性ってやつらしい。取材だよ」
「そんなつもりで行って、人殺しの犠牲になった連中は数知れん」
「物騒なこと言うなあ、おい」
生島は声を立てて笑ったが、梨本はすぐには反応しない。
「おいおい、冗談だろう? そんな恐ろしい奴がいるなら、本格的に山狩りするだろう」
「したさ。知らないのかい? ニュースでやってたはずだ」
「あいにくと、テレビ番組を作る人間の中には、テレビ番組を全く観ない人種もいるんだ。俺もその一人。ニュースも新聞で済ませちまう」
「山狩りの結果は空振りだったんだよ。その様子だと生島さん、あれも知らないな」
「あれって何だ?」
煙草片手に、肘を突いた生島。じっくり聞く気になったのだろう。
「緋野山に出ていた人殺しだがな、この夏、どうやら本拠地を移したようなんだ。緋野山と隣り合う朱寿山にな」
「へえ……待てよ。聞き覚えがあるぞ、朱寿山。やくざ崩れと学生何人かが死んだんじゃなかったか?」
「何だ、知ってるじゃないか。一人だけ、女の学生が助かった」
「それよりも、あれも緋野山の殺人鬼、ジュウザの仕業なのか?」
「さあなあ。こっちも噂の形で聞いただけだよ。難を逃れた学生も、直接犯人を見た訳じゃないそうだ。ただまあ、場所が近いから、同じ奴の仕業と考えたって無理なかろう」
「……殺人鬼が場所を移したとしたら、江藤さんは安全だな」
こじつけるように、生島。彼も煙草を消した。それから軽口を叩く。
「はは。ひょっとするとジュウザの奴、この付近まで降りて来るんじゃないのかい? 江藤さんの心配よりも、自分達のことを――」
「それはない」
梨本は断言した。
「下に降りてくるまで、人目に付かないはずがないんだ。それに、身を隠す場所がない。どこか廃屋なり何なりを確保できたとしても、今度は食糧の問題があるんじゃないか。何を食ってるか知らんが、山奥ならともかく、人は多くないとは言え街まで来て誰にも見られないなんて、あり得ん」
「ジョークだよ。それより聞きたいことがあったんだ。あの吉河原って男だが」
「新しく雇ったんだよ」
「とぼけるなって。いつから方針替えした? 知ってる奴しか雇わないって言ってたよな、梨本さん」
言いながら相手の肩を叩く生島。梨本はその手を邪険そうに払った。
「知ってる奴だよ」
「千春ちゃんの知り合いか? とてもそうは見えないね。吉河原って男は、芹澤君のようなタイプと正反対と言っていい」
「……観察眼は衰えていないようだ」
頭を左右に振る梨本。
「当たり前だ。一線で働いてんだ、人を見る目をそう簡単になくしちゃ、話にならない」
「参った」
両手を小さく万歳させると、梨本は再び煙草を吸い始めた。
生島が姿勢を改めると、梨本は紫煙を吐き出し、そして始めた。
「……ちょいと訳ありでな、あいつ」
* *
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