第28話 死の波動
マリアライト女侯爵からクラウス宛てに手紙が来た翌日、私達はラインヴァイスに乗ってマリアライト領へと向かった。
「せっかくですから、祝歌祭までマリアライト領でゆっくりしませんか? 女侯爵がおられる
と、嬉しそうにぐいぐい推してくるセリアの提案で出発したものの、目的地に近づくにつれてどんよりとした暗雲が空を覆い。
それに引き寄せられるように憂鬱な気持ちが心を覆う。
マリアライト女侯爵――綺麗な紫の長髪と鋭い紫の眼を持つ、クールな顔立ちで気品と女帝感溢れる、紫のオバサマ。
(あの人、侯爵裁判の時に死刑派だったから会うのちょっと怖いのよね……)
侯爵裁判の後、私の罪を軽くする嘆願書に署名してくれたらしいから、今も死刑にしたいとは思ってない――と思いたい。
けど、私が息子の長年の想い人らしいマリーのノルマを回収してしまった事で、また殺意高められてるかもしれない。
クラウスが「飛鳥が会いたくないなら僕も会わない」って言いだすから(流石に侯爵の至急の手紙を無視するのは不味いでしょ!)と思ってついてきたけど――正直、会うの滅茶苦茶気まずい。
そんな感情が表情に出てしまっていたのか、クラウスが心配そうに私の顔を覗き込んできた。
「飛鳥、どうしたの? 具合悪い?」
「だ、大丈夫……マリアライト女侯爵の用事ってなんだろうと思って」
言いながらクラウスのコートのポケットからちょっとはみ出している、薄紫色の封筒に視線を移す。
この国の手紙は護衛付きの馬車や飛竜、魔鳥に運んでもらったりするほかに
手荷物くらいの大きさで、生き物じゃなければ一瞬で転送魔道具間を行き来できるそれは、金融業や倉庫業も兼ねる一大国営機関の要として必要不可欠なものになっているとか。
ただ、不便な面もある。
転送魔道具は大魔道具と同じく古代の遺産で、量産できる類のものじゃないそうだ。
そして、設置されてるのは各領の主都だけ。
だから転送魔道具がある主都まで転送したい物を持って行ったり、転送されてきた物を転送屋が輸送業者に託したりといった手間がある。
つまり、メールやメッセージアプリみたいにリアルタイムで延々とやりとりできる訳じゃない。
どれだけ急ぎで手配してもせいぜい1日1往復のやりとりが限界だそうで。
だったら用件も全部書いてくれれば良かったのに――何でそうしなかったんだろう?
「僕を頼ってくるなら重い病気の人を治療してほしいとかじゃないかな……? 教会関係のトラブルならまず皇家に相談するだろうし」
クラウスはあまり『至急の用事』にも『詳細を書かなかった理由』にも興味がないようで、他人事のように呟く。
「あえて詳細を書かないのは手紙に書いたら断られるような案件……あるいは交渉が必要な案件だから、と考えられます」
「それってどっちのパターンも厄介な話だから、だよね」
「うーん……厄介な話抱えてる状態で会うのはこっちも同じだし、人の事言えないんだけど……」
考えれば考える程憂鬱になってくるので、気を紛らわせようと片手でロイのお腹を撫でる。
良い感じのモフモフを堪能してもため息が出てしまうのは、いま私の手にある今朝の新聞のせい。
新聞には写真こそ載ってないけど、その分<前代未聞の公開会議>という大きな見出しがひと際目立つ。けど、問題なのは次のページ。
<渡り鳥、次の標的は魔獣使いの公子か>とマリーのノルマを回収した経緯がフレデリック公子関連の話も含めて片面使ってガッツリ書かれている。
ため息しか出ない。
もう片面には<名門シルバー家、崩壊の危機か?>という見出しの記事にはクリスティーヌ嬢が私を自らの卓に誘って
そっちは私とクリスティーヌ嬢の対立よりも公爵達の不快を買ったシルバー家の今後に注目した内容のお陰か、私が今にも泣きそうな声で言ったらしい<死なない宣言>について載ってないのがありがたい。
けど、家が崩壊の危機に追い込まれてるとまで書かれてると被害者ながら罪悪感がつのって、本当にため息しか出ない。
おまけに途中から記事がスッパリ切り抜かれるからスッキリしない。
セリア曰く『裏面に大好きな歌い手の写真が載っていたので、つい切り取ってしまいました。大した事は書かれてませんでしたよ』とのことで。
裏面を確認すると来節皇都で行われるらしい歌劇の案内が書かれてるから、嘘を言ってるようには見えないけど――
(もしかしたら、私の悪口書かれてるの見せないようにしてくれたのかも知れないし……)
だとしたらそれはセリアの優しさだ。そう思うと、追及する気も起きず。
今は切り取られた記事の内容より、この新聞――皇都で発行された新聞は一日遅れで他領の主都に届くらしい。
つまり私達がマリアライト領に着いた翌日、女侯爵はこの新聞について知る事になる。
事情を知らない女侯爵に対してこっちから『貴方の息子さんと友達の子作り話が持ち上がったんですけど、友達が可哀想だったんで私が台無しにしました』なんてとても言い出せないし、とはいえ翌日には知られる事だし――この状態であの紫の女帝に会うの、本当気まずいなぁ――とラインヴァイスに乗ってからもう何度ついたか分からないため息を付く。
「大丈夫ですよ、アスカ様……マリアライト女侯爵はヴィクトール様の忠臣として有名な方です。ヴィクトール様がアスカ様に強い関心を寄せている以上、全てを知った後でもアスカ様を傷つける発言はされないはずです。もっと気を楽になさってください」
何でもお見通しなセリアがそう言いながら指さしたのは、シルバー家の崩壊危機について記載された一文。
<ラリマー公は公開会議前、数々の暴言を繰り返したクリスティーヌ嬢のような娘を育成したシルバー家にウェスト地方の民は預けられない、とヴァイゼ魔導学院からウェスト地方の生徒を引き上げる事を宣言した。また、同じ卓に座っていた令嬢達に対し『抗議』する予定であったが、アスカ夫人の大事にしたくないという想いに応えて『警告』に切り替えた>
「マリアライト女侯爵は賢い方です。この記事からヴィクトール様が自分の不快感よりアスカ様の意志を尊重する程度にはアスカ様を気にかけている事、アスカ様を不快にさせればラリマー家も黙っていない、と読み解けないはずがありません!」
セリアが自信満々に言い切ると、そこでまた疑問が生まれる。
(もし本当にセリアの言うとおり、私を不快にさせたらラリマー家も黙っていない、という主張が含まれているとしたら。何で、ヴィクトール卿はそんなに私の事を気にかけてくれるんだろう……?)
アレクシス公子が誘拐された時、アスカ様がダグラス様に頼んで助けに行ってもらった事を感謝してるから?
友達になってほしいと言われたルクレツィアと仲良くしてるから?
(後、ロイド君達を助けた、あの森……)
氷竜に襲われて瀕死だったロイド君や魔獣達を助けた、ルドニーク山の麓の森。
そこで偶然会ったヴィクトール卿はダグラスさんが意識を取り戻すまで私を保護しようとしてくれた。
(そして……私の事を励ましてくれた)
ツヴェルフを逃がした私の事を恨んでいないと言ってくれた。ツヴェルフが逃げた程度で皆騒ぎ過ぎだと。
私の事を気遣ってくれているのが伝わった。温かいお茶だって淹れてくれたし、私の気持ちを汲んでくれた。
(そうだ……あの時も私、悩んでて……あの人は私の悩みを聞いてくれた)
周りがどんなに恐れている人でも――私にとっては紳士的で、温かくて、優しい人だった。
「……ヴィクトール卿、もうすぐ死んじゃうのよね?」
一度考えたらずっと考えてしまいそうになるからあまり意識しないようにしてるけど、やっぱりこれから人が死ぬ事を考えるのは辛い。
それがお世話になった人なら、尚更。
「ねえ、死ぬのって何とかして止められないかしら? シャニカが私の暗殺に失敗したみたいに、私達が上手く動けばヴィクトール卿だって死なずに済むかも……」
「そうは言っても、寿命はどうにも……って、あれ? でも……」
私の呟きに対して、クラウスが何か思い出したように考え込む。
「……どうしたの?」
「……解析できたシャニカの記憶、飛鳥が暗殺されたり早々に亡くなった世界線では、あの人もあまり間を置かずに亡くなるんだ。でも、飛鳥が生きてる世界線だともっと長生きしてる……寿命だとしたら、そんなに差が出るのはおかしいなと思って」
「それって……早々に死ぬ場合は寿命じゃないから、じゃない?」
「いや、あの人が亡くなるって聞いてからそれとなく観察してたんだけど……あの人、微かに死の波動が出てる。間違いなく寿命は近い」
「死の波動……?」
聞き慣れない上に怖い言葉に戸惑っていると、クラウスが察したように言葉を重ねる。
「えっとね、この世界の人は皆、死期が近くなると独特の魔力の波を起こすんだ。魔力を抑えられないくらい体が痛んでる、って言ったら分かりやすいかな?」
「死ぬ前って体が震えて、上手く体が動かせなくなるイメージがあるけど……魔力にもそういうのがある、って事……?」
「うん。波動にも色々種類や程度があるけど、ヴィクトール卿の波動は前の皇帝と同じ、寿命……体の限界からくるものだ」
「え……それじゃ、皆ヴィクトール卿の寿命が近いって知ってるの?」
丁寧な説明から浮かんだ疑問をぶつけると、クラウスが首を横に振る。
「いや。あの人、自分が死の波動出してる事に気づいてるんだろうね。常に一定の魔力を放出して波をかき消して、周りに悟られないようにしてる。魔導に長けてる人間が疑いを持って長時間注意深く観察しない限り、あの人が出してる波動に気づかないと思う」
「へぇ……あ、あともう一つ、変な事聞いてもいい?」
「うん。一つと言わず、気になる事は何でも聞いて? 僕に分かる事なら何でも答えるから」
「そ、それじゃあ……この世界って治癒魔法があるけど、お年寄りに治癒魔法をかけ続けてたらずっと生き続けられるものなの?」
クラウスの勢いに飲まれて今まで誰にも聞けずにいた疑問を呟くと、クラウスは一瞬呆気にとられた顔をした後、微笑んだ。
「それ、僕も子どもの頃同じ事考えたなぁ……でも、治癒魔法は体が持つ本来の生命力を増幅させるものだから、体が限界だと効果が薄いんだ。僕くらいの力があれば強引に治療する事も出来るけど、治療を止めると急速に悪化する。治癒魔法をかけ続けて永遠に生きる、なんて夢物語だったんだ」
やっぱりそんな都合の良い話はないか――と納得しつつ、子どもの頃の疑問と言われてちょっと恥ずかしい。
(私、この世界に来てから一年も経ってないし! 子どもと同じ疑問を抱いてもおかしくないし……!)
そう心の中で言い訳しつつ、更に疑問を重ねる。
「……それじゃ、若返りの魔法や寿命を延ばす魔法を使ってるとか?」
「そんな魔法、聞いた事ないけど……でも、そういう秘術や薬がないと辻褄が合わない。『ラリマー家の闇は深海より深い』って言い伝えもあるし、可能性はあるね」
「でも、そういうの使ってますか? って聞いてもきっと答えてくれないわよね……」
「もし当たっていた場合、いくらアスカ様と言えど答えてくれないだけで済むとは思えませんから、絶対聞かない方がよろしいかと」
優しい言い方だけどセリアの目は笑っていない。クラウスの眼も微妙に泳いでいる。
ヴィクトール卿、そんなに恐い人じゃないと思うんだけどな――って言いたいけど、コッパー領でのあれこれを思い返すとダグラスさんと同じく人を殺す事に慣れてる感はあったし、自分の魔法に巻き込まれて死傷した人達に対しても運命だと割り切ってたし、こうして恐れられるだけの理由はあるんだろう。
オジサマやルクレツィアへの態度を今更改めるつもりはないけど、ラリマー家は相当ヤバい家だって事は頭に叩きこんでおこう。寿命について聞くのもやめておこう。
「アスカ様、クラウス様、見えてきましたよ。あれがマリアライト領の主都、ウェノ・リュクスです」
今にも雨が降りそうな暗雲の下、セリアが指し示した広大な草原の先に、白い城壁が見えた。
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