第26話 ルシファー
さらに大きく清浄な空気が膨らんだ。メフィストは再び膝をついてしまう。
「くそっ」
「悪魔に固執する必要などなかろう。公が目指しているのは人々の心の安寧だ」
「違う」
マステマの言葉を否定することで何とか気を失うことから免れるが、圧倒的に不利だった。
そもそも、悪魔は人を惑わす存在であり、人を悪の道へと導く存在だ。人の傍にあって悪い方へ、欲望へと導いてこそ悪魔だ。自らの欲望と人間の欲望が重なり合ってこそ、魂を奪った時に得られる魔力が高まるものなのだ。
だから、メフィストのやっている行動はスタートからして矛盾を含むものだったのだ。魔に魅入られて欲望のままに振る舞う人間は、擁護すべき対象であり、そう簡単に魂を食らう対象ではない。これが本来の悪魔のあり方のはずなのだ。
しかし、悪魔信仰の連中を食らって魔力が上がるように、魔に染まった魂が悪魔にとって美味しく必要であることも間違いではない。ただし、自らが誑かすことなく魂を掠め取る行為は、天使に近い所業だ。
解っていたことだ。だが、メフィストはまさかそれを神が利用しようとするとは思ってもみなかった。結局は悪魔的な所業が度を過ぎるまで待ってから行動しているのだから、助けていることにはならない。そう考えていた。
「くそっ、人材不足か」
思わずそんなことを呟いてしまう。いや、そうでも言っていないと意識を奪われそうだ。
そして一度気を失ったら最後、次に目覚めた時は全く違う存在に作り替えられている。
メフィストフェレスであった自分は消え、天使という区分の何かになってしまう。メフィストが消えた後は、全く別の悪魔がメフィストフェレスの名を継ぐことになるだろう。
「俺はメフィストフェレスだ!」
自らを失わないよう、腹に力を入れて叫ぶ。
負けるわけにはいかない。
天使の領分を侵すようなことをやっていたのは、天使になるためじゃない。
あの男、魔界を牛耳る一人、ルシファーを倒し、その座を奪い、その後、サタンを倒すためだ。夜の国、魔界における下剋上のためにここまでやって来たのだ。
「俺が座るべき場所は天使ではない。魔界の王座だ!」
メフィストが魂のそこからそう叫んだ時
「意気込みだけは魔界の誰よりもデカいのがお前だからな」
清浄な空気を切り裂き、真っ黒なインクのような邪悪な空気が舞い降りた。それによりメフィストはようやく普通に呼吸をすることが出来るようになった。
「る、ルシファー様」
しかし、下剋上を目指す者として、これほど屈辱的なことはない。結局、彼の助けがなければこの難局を切り抜けることが出来ないなんて。
「なかなか面白い見物だったぞ、メフィストフェレス。この千年に一度あるかないかの椿事に免じて、其方の無礼はなかったことにしてやる」
ぶわっと漆黒が広がり、その中から魔界の王の一人、ルシファーがその姿を現した。そしてメフィストとマステマの間に入ると、にやりと微笑んだ。
メフィストに負けず劣らずの綺麗な顔に浮かんだ笑みは、悪意をそのまま表したかのようだった。
「ルシファー。貴様、どうやって」
マステマは結界を破ることなく現われたルシファーに驚きを禁じ得なかった。もしも教会の結界に干渉して来たのならば、中への侵入を阻むことが出来たというのに。
「ふっ。神も目を付けるこの男には部下が多いのだ。特にサルガタナスは本来私に使えるべきであり、旅団長の称号を持つ悪魔だ。そして、この悪魔はこっそりと空間に穴を空けることも出来る」
優秀な奴を執事にしたものだなと、ルシファーはちらっとメフィストを見る。そのメフィストはボロボロでありながらも、まだルシファーを睨む気力を残していた。
「面倒な悪魔ばかりだ。しかし、そのメフィスト=レスターと名乗る伯爵は置いていってもらう」
マステマはメフィストフェレスと呼ぶことを回避し、そう言ってメフィストを杖で指差した。まだ完全に神からの干渉が抜けていないメフィストは、それだけでびくっと身体が震え、力が抜けそうになる。
「まだ気を抜くな、メフィストフェレス」
それにルシファーが嘲笑うような笑みを向けてくる。メフィストは気合いでルシファーを睨み返すことで、何とかその干渉を撥ね除けた。
「悪いがこれは私のものだ。天使側の仕事を取ったからといって、こいつが天使に相応しいわけがなかろう。見ろ、この目が助けに来た上司を見る目か。憎くて憎くて仕方がないという目をしているだろう」
ルシファーはそんなメフィストの反応を利用して、マステマにどうなんだと問い掛ける。
「私にそっくりじゃないか」
そして、天界にて神の座を奪おうとした元天使は、自分と同じことが繰り返されるぞと、この状況を眺めているだろう神に向けて笑いかける。
「ふっ。今回は貴方の顔に免じて、手を引きましょう。しかし、その男は悪魔には相応しくない。悪魔と天使の境界を行き来する存在だ。いずれ、自ら天使になることを望むだろう」
マステマはそう言うと、ふっと姿を消した。同時に教会がガタガタと崩れ始める。
「おや、我らの気が勝りすぎたようだな」
「いや、嫌がらせでしょう」
メフィストはそう言い返すが、もはや動く気力がない。このまま教会の崩落に巻き込まれてはただでは済まないだろうが、避ける力がない。
「まったく。手の掛かる」
そんなメフィストを、ルシファーはひょいっと肩に担いでみせる。
「なっ」
「一先ず、お前の屋敷に向おうか」
ルシファーとメフィストが姿を消した瞬間、教会は完全に瓦礫と化していたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます