第24話 海沿いの教会

 犯人が天使と解れば、居る場所は自ずと解る。

 夜。草木も寝静まる頃。メフィストは領地内でありながらほとんど近づかない海沿いの丘、そこに建つ教会へと馬車で向った。

「メフィスト様、大丈夫でしょうか」

 道中、付いて来たサルガが不安そうに問う。それにメフィストも天使を食うのは簡単ではないと頷いた。

「不利であることは間違いないな。だから、一応の策を打っておきたい」

 そして、やれることはやっておこうと、サルガにあることを頼む。

「それは」

 しかし、その内容にサルガは驚き、他にないのかと首を振った。正直、天使と敵対するのと同じくらいの危険を伴うことだ。

「他にないだろう。天使・マステマに対抗するにはそれしかないだろう」

「そうですが」

「まあ、出来る限り自力でやってみる。が、交渉が難航することは容易に想像出来る。攻撃されてもそう簡単に負けない自信もあるし、逆に食らってやる自信もあるが、戦うのは相手のテリトリー内だ。何かあってからでは遅いんだ。神をも敵に回す可能性のある戦いだ。頼んだぞ」

 まだ渋るサルガに、他にないからなとメフィストは念押しした。そして、自分だけ馬車から降り、サルガにはすぐ策を打つように命じた。

「旦那様、ご武運を」

 サルガは不安そうにそう言い、大人しく馬車で次の目的地へと向っていった。メフィストはそれを見送ると、静まり返る境界へと目を向けた。

 悪魔であるメフィストは教会に近づかない。教会は天使たちのテリトリーで、そこを犯すことは天界と対決することを意味する。そんな物騒な場所に、自分の魔力を高めるために人間界にいるメフィストが近づくはずがなかった。

 だから、ここに来るのは本当に初めてだ。ここに教会を建てる時に視察に来て以来、この丘に降り立ったことすらない。

 そんな教会に、天使に会うために自ら赴くとは何たる皮肉か。

 メフィストは思わず唇をにやりと歪めたが、すぐに真面目な顔になった。そして敵意がないことを示しつつ、教会の敷地へと足を踏み入れる。

 少しばかり気分が悪くなる波動が漂ってくるが、問答無用で追い払うような結界は張られていなかった。やはり、天使が招いているからだろう。

「厄介だな」

 しかし、教会の清浄な空気は悪魔にとって毒だ。ここにいるだけで魔力を削られる。戦いが長引けば長引くほど、マステマに有利になる。

「まあいい。無視できないんだ」

 メフィストは帰りたくなる気持ちを追い払い、一歩一歩、ゆっくりと歩を進めた。そして教会のドアに手を触れる。

 普通ならば、攻撃態勢を取らずにドアに触れれば、触れた瞬間に手が燃え上がるところだが、さすがに今回は大丈夫だ。招かれているのは間違いない。

 ドアをゆっくり開け、初めて見る教会の中へと足を踏み入れる。

 平然と並ぶ長椅子。目の前には祭壇。そして、大きな十字架。窓にはステンドグラスがあり、先ほどようやく顔を覗かせた下弦の月の光を受けて、きらきらと光っている。

「ふっ」

 しかし、そんな人間が見れば心が洗われる空間も、メフィストにとっては禍々しいばかりだ。中にいるだけで頭がくらくらとしてくる。

「さっさと出てきたらどうだ?」

 メフィストはこのまま俺が倒れるのを待つのかと、マステマに呼びかける。すると、教会の空気が僅かにメフィストに馴染みのあるものに変わった。

 マステマは特殊な天使だ。ヘブライ語で悪意を意味する名を持つこの天使は、悪魔の軍団を手下に持っている。ゆえにその気質も悪魔に近く、持ち得る空気も悪魔のような禍々しさがある。

「メフィストフェレス公。逃げも隠れもせず、配下も連れずにここまで来たことは褒めて遣わそう」

 メフィストの背後に、大きな気配が降り立つ。振り向いた先にいたのは、灰色の翼を持つ大男だ。その気は非常に大きく、まるでルシファーやサタンを前にしているかのようだった。

「お初お目に掛かります、マステマ殿」

 メフィストは気圧されるように注意しながら、優雅に微笑んで見せる。それに、マステマは満足そうに頷いた。

「それでこそ、人間に混ざり、貴族の真似事をして生きる悪魔として相応しい態度だ」

「・・・・・・」

 挑発してくれるな。メフィストは苦々しくなりながらも、笑顔を保った。

「そして貴様は、自らの魔力を上げるためと言いながら、人間を救い、堕落した魂に正しい審判を下している」

 そんなメフィストに、面倒な言い合いは不要かと、マステマはすぐに本題に入った。

「正しい審判というのは奇妙では」

 メフィストは何が目的なのだろう。そう思いながらも問い返す。

 問答無用で攻撃してくる様子もなく、どちらかといえば友好的な態度だ。教会の中の空気も、いつしかメフィストが楽に出来るほど混濁したものになっている。気に食わないから呼びつけたのかと思っていたのに、これは予想外の展開だ。

「正しい審判だ。本来は天使がすべき仕事を、公は積極的にこなしている。そこで、神は私に相談された」

「相談?」

 本当に予想していない方向に話が進むな。メフィストはどういうことだと顔を顰めた。

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