第20話 ポルスト伯爵

 軍医、エレン・クラウトの作ったドラッグは非常に強力だった。さらに依存性も高い。それを売り払う伯爵のポルストは、それだけで莫大な利益を得られた。

 だから、クラウトが怪しい実験をしているのも目を瞑っている。死体を弄って何が楽しいんだと、そう思うだけだ。

「それに」

 そんなクラウトの実験の一つはポルストを満足させるものだった。足元で裸のまま、恍惚な表情を浮かべて横たわる女を見て、にやりと笑ってしまう。

 そう、ドラッグの実験だ。娼婦や男娼に渡してある程度その効果は解っているが、使い続けるとどうなるかという点は確認できていなかった。そこで屋敷の使用人で試してみたところ、すこぶる面白い状態になった。

「ほら、薬が欲しければもっと乱れてみろ」

 ポルストは寝転ぶ女に向けて、そう命じる。

 薬漬けにされた女はもう、薬という単語にしか興味がない。そしてそれを貰うためには何をすればいいかだけしか考えない。

 従順にそれだけをこなす女は犬猫のようだ。それをポルストは見ているだけでいい。ワインを傾けながら、目の前で繰り広げられるストリップを堪能するだけだ。

「くくっ。愚かだな」

「ええ、愚かですね」

 乱れていく女に向けて放った言葉に同意があって、ポルストはぎくりとした。そして、声がした方を見てさらに驚く。

 そこにいたのは、あまりに綺麗な顔をした男だ。そして、その綺麗な顔には見覚えがあった。

「あ、あなたは」

「お久しぶりですね、ポルスト伯爵。貴族院で姿をお見かけしなかったのでどうしたのかと思ってましたが」

 ちらっと、メフィストは床で乱れ続ける女に目を向ける。彼女はもう周囲を把握する能力も残っていないようだ。

「予想以上に堕落されているようで何よりです」

 メフィストはそう言うとパチッと指を鳴らした。すると、床で一人乱れていた女の身体がびくんっと震える。そしてさらに恍惚な顔をするようになった。

「な、何を」

「ふふっ。優秀な部下のさらにその下で働く下位悪魔への報酬にしたまでですよ」

「な、何を言っているんだ」

 綺麗な顔で自分ばかりを見て、奇妙なことを言い続けるメフィストに、ポルストは震え上がった。

「ああ、申し遅れました。私はメフィストフェレス。悪魔の中でも最も狡猾でずる賢く、人を幸福の絶頂で突き落とす者と知られています」

 メフィストはあえてそう名乗ってにやりと笑った。それにポルストは目を見開き、口をパクパクとさせることしか出来ない。

「伯爵様」

 しかし、そこに予想外な声がした。ドアをノックしているのは、問題の軍医だ。

「く、クラウト。私を助けろ!」

 ポルストは必死になってクラウトを招き入れた。しかし、それでメフィストは揺るがない。じっとポルストだけを見る。

「失礼します」

 実験で何か問題があったのだろうと思ったクラウトはすぐにドアを開け、そして、ポルストと女以外に人がいることに驚いた。そして次に

「メフィストフェレス」

 と呟いた。常に付き纏っているムールムールが教えたようだ。

「私の獲物はこいつだけだ。ムールムール」

 メフィストはそこでついっとクラウトへと目を向ける。

 そのクラウトは歪んだ欲望を実現させようとした結果か、あちこちに包帯を巻いた、薄汚れた白衣を着た状態だった。さらに、頬は痩せこけ目だけは異様にギラギラしたその顔は、悪魔に取り憑かれて末期の状態の顔だった。

「さて」

「待て。伯爵がいなくなっては」

 実験が続けられない。目的しか見えなくなったクラウトはメフィストを止めようとしたが、それよりも先にムールムールが動いた。

「ここまでだ」

 ムールムールはそれだけ言うと、クラウトの魂を喰らって消えてしまう。姿は見せなかったが、黒い霧が広がった瞬間に白目を剥いたクラウトの姿に、ポルストは何が起こったか理解した。

「あ、ああっ」

 自分もああやって殺される。それに気づいて後退ろうとしたが

「ふふっ」

 悪魔の手によって乱れる女に阻まれる。

「く、くそっ、退け、このゴミが」

「お前がそういたんだろ」

 にやっと笑って指摘してくるメフィストに、ポルストは震え上がる。

「下衆であればあるほど、悪魔である私の力となる。さあ、貴様の魂、私の糧となるがいい」

 メフィストの綺麗な顔が、不気味な笑顔を浮かべたまま近づいてくる。ポルストが認識できたのはそこまでだった。

 朝、屋敷には三人の死体だけがあった。見つけた使用人は仰天し、また、地獄のような日々が終わったことを理解すると、すぐに警察に連絡していたのだった。

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