八、昼に見た景色

 「さて、どうなのかなぁ?」


 指をくるくるして、質問の答えのカウントダウンが下された。


 「俺も、柚月は感染していないと見込んでいる。……外のあいつらは多分空気感染か、接触感染の二つで完全に感染されると思う。でも、柚月は空気感染の線はとうに無くなっているはずだ」


 滴る水道の水が廊下の床にぽとりぽとりと落ちていく。

 その際も、窓から見える景色に曇った空と唸り声を上げるゾンビが屯しているわけで、


 「分かってたのに、水ちゃんの事になると目の前が見えなくなるんだよねぇ。あー、ウブすぎて可愛いわこの子達」


 「違う。いや、半分は合ってるけど違う」


 そこで、花井は気付く。恐るべき徹底された計画の全貌を。


 「……本当に怖いわね。奏多の先を見据える能力的なの」


 「これも大事な事だからな」


 理解した顔で花井は顔を歪ませる。その理由が推測で出された今、意表をつかれたような感慨を覚えさせられた。

 奏多は、二本の指を出して補足を付け足す。


 「柚月が空気感染されていない理由は、主に二つある。まず一つ目は、ゾンビが一斉に出始めた時点では、柚月はまだ感染してはいなかった。その点に関しては俺の推測に過ぎないが、空気感染はもう消滅したと考えられる。俺達が未だに空気感染してねぇのはおかしいからな。それに、一時的に膨張し始めた可能性もある」


 「つまり、それでゾンビになった人達が第一波って事?」


 「そうだな。その後に感染してない奴が感染し始めたのは、接触感染によるものだと思う。そして、柚月は接触感染はしていねぇ。今の柚月は完全なゾンビ状態じゃあないって事だな」


 「で、私だけに聞かせたかったの?その話は」


 静かに頷く。意図がわからなければ、質問の内容など皆目見当もつかない。だが、これは計画通りに過ぎないのだ。


 「お前が俺に追いついて来るのは分かってた。無理に俺が別棟の校舎に行こうとすると、必ずあの二人は止めにかかる。そして、俺が血が昇ったフリをして、お前を誘い出して―――」


 「柚月が完全に感染してないって、言うかどうかを試したの?」


 「そうそう。これをあの二人に聞かれるとまずいんだ」


 「どうして?」


 「それは後で、だ。ま、よく考えてみればこの俺が身を挺してまで一人で行くなんて考えられねぇよ」


 肩を竦ませ、自分の作戦が上手くいった事への充実感とは違い、あの二人はどこまで奏多を過大評価しているのか聞きたくなった。

 思っている程、偉い人間では無いのだから。


 「そして、もう一つ聞きてぇ事があるんだが……」


 「どうして、奏多と竜禅寺を騙すような真似をしたのかって事かしら?」


 こくりと頷き、話の矛先を促す。


 「奏多がいない昼にね……」


 語り出す。奏多のいない間に起きた出来事を。



**********



 頬杖をつきながら、昼食を食べる花井はどこか哀愁が漂っていた。


 「どったの?花ちゃん?」


 前の席に後ろ向きに座った花井の友人である玉崎奈津子ともざきなつこが話しかけてきた。

 玉崎に対してもどこか落ち込んでいる瞳で見つめる。


 「どうしたもこうしたも……あぁ奏多が別の女の懐に収まってしまったのだよぉ」


 「あはは……私にはよく分からない事でしたね。そうか、花ちゃんの初恋の人って―――」


 「それ以上言ったら、口の中に卵焼きを突っ込むよ!」


 「むぐっ!もふ、ふっこんでんじゃん!」


 卵焼きを箸につまみ、豪快に口の中へとシュートを決めた。

 もぐもぐと美味しそうに頬張り、玉崎はよしよしと慰めてくれる。食べながら、友人に慰められるとはこれ如何に。


 「新しい春を探そっかなぁ……。いやいや、奏多に敵う奴なんてこのクラス、いや学校にいる?いや、いないわね」


 ふと、会話に混ざってこない玉崎を見やると、なぜか、震えた瞳で自分とは違う方向を見ていた。


 「は――― ―――?」







 その瞬間、人の叫び声が、木霊する。


 口の周りに血のついた目が虚になっている生徒は、他の生徒の腕を噛みちぎっていたのだ。

 腕を喰いちぎられた生徒は泣き叫び、痛い痛いと嘆いている。

 もう、死を待つしかない。医者でもないのにそんな感想を言わざるを得ない。





 そして、そしてそしてそしてそしてそしてそしてそしてそしてそしてそしてそしてそしてそしてそしてそしてそしてそしてそしてそしてそしてそしてそして―――死んだ。


 今、目の前で、人が、一人、死んだ。


 「きゃぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁあぁぁ‼︎」

 「うぉぉぁぁぁぁぉぁぁぁあぁぁああ‼︎」

 「なんだ?なんなんだこいつ‼︎」

 「や、やめろ!こっちに来るな!」

 「いやぁぁあ‼︎死にたくない死にたくない死にたくない死にたくないよぉ‼︎」


 それ相応の反応が、教室中、学校中、世界中で響き渡る。


 それまで傍観者に徹していた花井は、ふと我に帰って玉崎の腕を引いて教室を出た。

 もう既に廊下には人の死体死体死体死体死体死体が、散乱している。


 「花ちゃん……これ、何……」


 「とにかく走ろう!このままじゃ、私達までやられる!」


 震えた声で問い掛ける玉崎を、花井は自身の心を叱咤して、今の現状の打破を試みる。

 走っても走っても走っても、血が、死体が、ゾンビが、逃げている生徒が行き交う廊下が続くばかり。


 この学校は広く、校舎が二つもある。つまり、空き教室があるはずだ。そこに入り込めば、花井を含む二人でなら生き残れ―――




 ―――奏多と水ちゃんは、屋上……!




 廊下の最奥。三階の突き当たりの、理科室の前だ。そこで、二人は、花井は止まる。


 「ごめん、奈津子。私、あの二人を助けにいかなくちゃ……」


 「え?何言ってるの?え?え?え?普通は私達だけで、あの二人は別に良いでしょ?普通は自分の命優先でしょ?なのに助ける?何それ何それ何それ。ふざけてるの?もう廊下の奥まで来たし、後もうすぐしたらあいつらが来るかもしれないんだよ?分かってるの?本当に分かって、発言して、あなたはそんなふざけた妄言を吐いてるの?やめてよ。あなたは私の為に走って、何かを考えて、私の為につくしてよお願い。なのになのになのに初恋の相手ってだけで助けに行くの、考えてる事が分からないよ、え?もう水城さんと付き合ったんだよね?だったら諦めてどっかの教室で私を匿った方が良いよ、ねぇねぇねぇ、あいつら来ちゃうよ?親友の為に尽くすんじゃなくて、まずはあいつらに尽くしちゃうわけ?お願いお願いお願いお願い聞いて?あなたは、本当に―――」


 「ごめん。私は、助けるよ」


 言葉の嵐を遮るように、花井は言った。

 顔を赤くして怒りが込み上げられ、いずれ殴られるに違いない。それでも、一発でも二発でも三発でも、何度でも殴られよう。あの二人を助けられるなら。


 「ふざけるなぁ……‼︎ ―――ぁ」











 小さく、か細い声を上げて、倒れた。

 倒れた玉崎の後ろには、口角を上げて笑っている、ゾンビの姿が―――


 「本当に……ごめんね」


 ゾンビは倒れた玉崎を喰らい尽くす。喰らって喰らって喰らって喰らって喰らって喰らって喰らって喰らって喰らって喰らって喰らって喰らって喰らって喰らい付いて喰らい付いて喰らい付いて喰らい付いて喰らい付いて喰らい付いて喰らい付いて、最後には、











 

―――死んだ。

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