九、隣り合わせの死
屋上は広い。どこの位置に奏多がいるのかは、流石にドローンを飛ばして見るしか方法は無いだろう。
でも、ドローンは手元に無い。なら、奏多の思考を汲み取ってどこの位置か把握する。
「まず、三階の廊下はもうダメね。一階も二階もそんな感じだと思うし、階段経由か、ベランダから非常用の梯子か……」
顎を揉み、空き教室の扉の前で座った花井は考えに更ける。
「うーん……奏多なら、多分、水ちゃんを守る為に行動するわよね。でも、肝心なのは今も尚生きているか」
生きていたら、大声を出してどこにいるのか斡旋すれば良い。
「ここからじゃ、遠い?」
理科室は無人だ。だから、ここに隠れているのだが、屋上に繋がる階段は反対側。これでは声を出しても届くはずがない。
つまり、花井がベランダを伝って奏多の場所まで行かなければならないのだ。
「でも、それじゃあゾンビが私に気付いて襲って来る確率が高いわね。いや、いやいやいや!私は絶対に助ける。ひよってる場合じゃないわ!」
立ち上がり、理科室から抜けられるベランダを目指す。まずは、反対側の放送室のベランダに向かう必要がある。
「よしっ!気合‼︎」
走る。息が切れても荒れても上がっても、足を止める事は無い。
窓ガラスは殆どが割れていて、再生不可能なのは目に見えている。それに、ゾンビがまだ教室で蠢いていた。花井に気付いて襲って来る可能性が高い。
だから、花井は出来るだけ足を止めない。
「ぐぉぁぁ……‼︎」
「うわっ……!」
間一髪。
窓ガラスを突き破って、血塗れのゾンビが襲いかかって来た。
後を追いかけて来る。でも、花井の使命はただ一つ。助ける事。今やられては、何もかもがジリ貧だ。それに、玉崎の事も―――
放送室の前のベランダまで走り、十数メートル地点前にゾンビ。
ここが、正念場。
「すぅ……」
息を吸い込み、最大の声で、
「奏多ぁぁぁ!屋上の下ぁ!」
少し裏返ったけど、何とか伝えられた。
屋上の下には、非常用の梯子がある。それに気付いてくれたら、まずは安全だ。
梯子の位置は、多分放送室の前の廊下。
後は、何とかしてくれる。
その前に、目の前に迫るゾンビと、梯子付近のゾンビを退かさない、と。
「…………よし、気合‼︎」
気合の掛け声は、ゾンビの顔を見た瞬間、止んだ。
―――その人物が、玉崎奈津子だったのだから。
顔面蒼白にながら、眼前で虚な瞳を保っている友人だった物を見て、本能的に警鐘を鳴らしている。
逃げたくてしょうがない。でも、逃げたらもう玉崎には会えない。黒い黒い罪悪感のような靄が、心をみるみる蝕んでいく。
玉崎奈津子を殺したのは―――私だ。
「飲まれてちゃ、ダメだ……!」
己を戒め、向き合い、今を打破する。
出来る事を、出来る分だけ、なんとかする。
「うわっ……‼︎」
しかし、自我を失ったゾンビは待つ行為自体を知らない。ただ、淡々と殺しに来るだけだ。
一度目の突撃は、上半身をベランダの柵より外に乗せて、猪突猛進気味のゾンビを避けられた。学習しなければ、これで一生弄んで玉崎を殺す事はしないで済むが、流石にそれは駄目だ。
ここで、何とかしないといけない。
すれ違い様にベランダの向こう側へと滑り込んだ花井は、理科室へと再び向かう。
追いかけて来るが、その分花井も遠ざけている。一進一退だが、必ずゾンビは追い付くだろう。
「負けるな負けるな。ここは気合で正念場!あの二人が無事に脱出できるようにして、私はやられるなんて落ちはごめんだ。奈津子には……悪いけどぉっ‼︎」
大声を出して気を紛らわすしか無い。そうしないと、今から殺すであろう玉崎のことを考えてしまって、精神が狂ってしかねない。
ベランダは遠く、遠く、でも、終点までもう少し。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……!」
肺が少しずつ酸素を拒絶している。幾ら呼吸を繰り返しても、入る量が先程よりも少なすぎるのだ。
「さて、ここからよ……!」
理科室は歓迎の兆しを見せて、間近に迫っていた。
**********
たん、たん、たん……。
水滴を含んだ足音が理科室に反響していた。
「ぁぁあぁぁ……ぁぁあぁあぁ……」
唸り声を上げながら闊歩していく。
一撃でも傷付けられるものなら、それは人間として終わってしまう事を意味している。
固定された机の下に隠れ、ゾンビからは見えない位置。ここから、どうやって理科室から脱出するかはまだ分からない。だが、必ず死角を行く。
「………………」
沈黙が、沈黙。沈黙?なぜ?足音が、聞こえない。
「っ……‼︎」
―――バリンッ‼︎ガシャガシャンッ‼︎
実験用のフラスコやビーカーが飛び散る。ガラスは粉々に割れ、もう跡は残っていない。
「……くっ……!」
呼気を乱しながらも、ゾンビの一撃を回避した。
いつの間に、後ろに回っていたのだろうか。いち早く気が付かなかったら、今頃死んでいた。
「ぁあぁぁぁ……‼︎」
「……奈津子……」
親友を裏切った。救えなかった。殺してしまった。これは罪悪感だ。消す事の出来ない大罪だ。
名前を呼んでも唸りを上げるばかり。あの明るい友人では無く、今は、一種の世界の敵。
「ごめん、ごめんごめんごめん……」
向かってくる玉崎を意にも介さず、謝る。これは恐怖から来る謝罪では無く、謝りたいから謝る。何度も何度も、繰り返し繰り返し謝って謝って謝る。悪いと思っているから、お願いだから、
―――許してください。
ガラスの破片を拾い、動きの鈍い奈津子の首へと、突き刺した。
「ごめん。ごめん、ね…………」
理科室の床には、血が大きく広がっていた。
俺は死ぬまでこの笑顔を見続けたい 黒丸あまつ @haya6214
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