第20話 ドリーム
実さんの葬儀は、LAのジャパニーズ・テンプルでこじんまりと行われた。喪主は実さんの弟さん、参列者は幡野さん夫婦とのりと俺。「やまと」のマネージャーの梅田さん、同僚だった咲枝さん、麻美さん、ルディ。他のスタッフの参列はなし。森田氏が来ないのは当然だが、他のスタッフはきっともう、他の店で仕事を見つけて働いているのだろう。不法滞在のメキシカン労働者に、遊んでいる時間はない。それでも、実さんが以前働いていた店のオーナーとそこでの同僚が数人、参列してくれた。コジロこと長井氏も言葉通り、焼香に来てくれた。ルディは、彼のメルセデスを感嘆の目で眺めていた。真由ちゃんへも知らせたが、来なかった。ただ、大きな白いユリとトルコ桔梗の花束が届いた。
日本語メディアの記者が数人、現れたが、実さんの弟さんは一切ノーコメントで通したし、俺たちも何も言わなかった。英語系のメディアは関心なし。殺人事件じゃなかったわけだし、テレビ放映までされた事件でも、日々の出来事に埋もれて、こうして忘れられていく。みんな毎日を生きていくのに精いっぱいなんだ。
それからひと月ほどたった夜、香織さんが「エコー」に顔を出した。あのシャワーの夜から初めてのことだ。店は暇で、常連のよしさんが一人、カウンターで仕事帰りのビールを飲んでいるだけだった。
「いらっしゃい。何にします?」
香織さんは、コーヒーお願い、と言ってカウンターに座った。よしさんが、よう、久しぶりだな、元気だったか? と声をかけても、生返事をしただけだ。いつもの香織さんらしくない。香織さんは、コーヒーにミルクを入れてかき回しながら、何か考え込んでいる。こんな風に静かな香織さんは珍しい。
「香織さん、試験、終わったんですか」
俺が言うと、え、ああ、と頼りない返事が返ってきた。
「どうしたんですか? なんか、心配ごと?」
「別に。どうして?」
「いや、なんか、珍しく考えこんでるから……」
「珍しくって何よ。私は考えてるわよ。毎日、いつも考えてる。ヒロ君と一緒にしないで」
やっと、香織さんらしい返事が返ってきた。
「シャワーギフトのことを考えてたの。ウエディングがキャンセルされた時、ギフトはどうしたらいいのかって」
「キャンセルって、真由ちゃん?」
「おいおい、あの細っこい子か? ここでシャワーやった…」
飛び入り参加したよしさんも、驚いたような声を出した。
香織さんはため息をついた。
「ヴィンスが婚約破棄したの。実さんと真由ちゃんの関わりを、誰かがヴィンスに話したらしい。実さんが死んだ夜に、真由ちゃんが実さんに会ってたって。で、ヴィンスが真由ちゃんに問いただして、真由ちゃんは何もかもぶちまけちゃった。で、婚約解消」
「ひどいな。真由ちゃん、ショックだろう?」
「それが、そうでもないの。なんか、ふっきれたように、さっぱりした顔してる。ヴィンスは本音では、結婚なんかしたくなかった。お見合いパーティに参加したのも、色々、違った女の子と付き合いたかっただけだって言ったそうよ。真由ちゃんが妊娠を知らせた時、泣き出したんですって。僕を破滅させないでくれって。あと二年だ。あと二年で一番下の娘が十八歳になる。養育費の支払い義務が終わる。ここでまた、十八年の養育費を背負い込むのは耐えられない。費用は払うから、中絶してくれって頼み込んだんですって。真由ちゃんが拒絶すると、黙り込んで、それなら、結婚しようって言ったそうなの。でも、今度のことで、嫌気がさしたらしい」
そんな事情だったなら、結婚したってうまくいくとは思えない。破談になってかえって良かったように思うけど、でも……。
「でも、真由ちゃん、赤ちゃんがいるんだろう?」
「そのことで、今日、真由ちゃんと一緒にオカモト弁護士に会ってきたのよ。オカモト氏は、まず、真由ちゃんが意思をはっきりさせることが一番大切だって言った。生みたいのか、中絶するのか、生んで養子に出すのか、生んで自分で育てるのか。もしも生んで自分で育てるならば、ヴィンスから養育費を取れって」
「払ってくれるのか?」
「払ってくれる、くれないの問題じゃない。払わせるの。これは戦いよ。ヴィンスの子なんだから、ヴィンスはその子が十八歳になるまで、養育費を払う義務がある。養育費の額は裁判所が決めるけど、当然、母親として真由ちゃんも養育に責任を負う。でもね」
と言って、香織さんはちょっと黙った。
「ここで生まれた真由ちゃんの子は、アメリカ市民なのよ」
アメリカ市民は、自分の親のための永住権を申請できる。
「シングルマザーで子供を育てる覚悟が、真由ちゃんにあるかどうかよね。これは、真由ちゃんにしか決められない問題よ」
俺の知り合いにさ、と黙って聞いていたよしさんが言った。
「うちの店の常連客に、建築家がいるんだ。彼がいつか言ってた。人生は建物を建てるのとおんなじだって」
人は生れ落ちたその瞬間から、おのれの人生を築き始める。まず、身体を作り。精神を作り、性格ができ上がる。友人を作り、キャリアを築く。すべて建築にはルールがある。ルールを知り、ルールを尊重すれば、失敗のしようがない。大邸宅であろうと豚小屋であろうと、ルールに従って築けば、ちゃんとできあがる。
「どんな建物を建てたいのか、よく考えろ、とあの子に言ってやってくれ」
と言って、よしさんは帰っていった。
「忘れてた。シャワーギフト、どうしたらいいのかしら」
突然、香織さんが言い出した。
「ギフトったって、ベビー用品ばかりだろ? 香織さんがギフトくれたみんなに挨拶状を出せばいいじゃないか。ウエディングは中止になりましたが、ベイビーはやってくるかもしれません。だから、この間のシャワーは、ベイビーシャワーにさせて頂きますって」
「そうね。それならみんな、納得してくれるかも。ねえ、ヒロ君。うちまでライドして」
「車、どうしたんだよ」
「ここへは、真由ちゃんの車で来たのよ。わからない人ね。仕事終わるまで待ってるから早くしてね」
外へ出ると、星がいっぱいに出ていた。
「なあ、香織さん」
「なに?」
「真由ちゃんとどこで知り合ったんだ?」
前から不思議だった。同じ年頃ではあるけど、大学生の香織さんと、ELSに通う真由ちゃんとじゃ、あまり接点は無かっただろう。
「教会よ」
香織さんはあっさりと言った。そう言えば、香織さんはクリスチャンだし、大学の専攻は教会音楽だった。
「真由ちゃんもクリスチャンなのか?」
香織さんは首をかしげた。
「さあ。今はともかく、前は違ったと思う。教会へ来たのは、方便でしょ」
結婚相手を探すための方便、という意味だろう。教会は誰でもウエルカムだし、メンバーはお互いを良く知ってるから、そんなに危ない相手に出くわすことはないだろうと言われてる。
やっぱり計算高い。そういう動機から宗教団体に加入するって、どうなんだろ。
俺がそう言うと、香織さんは、それだけ必死だったってことよ、と言った。
「真由ちゃん、二十七歳なのよ。実さんが永住権とれないってわかって、どうする? 日本に帰るの? 帰ってどうする? 失われた二十年とか言って、日本が今、どんな状況か、ヒロ君だって知ってるでしょ? 日本で安定した職に就くには、新卒でなきゃだめなのよ。あの国は年齢にうるさくて、いったんレールから外れると、敗者復活戦はない。自己責任と言われ、負け組の烙印を押されて、非正規で、安い給料で、将来を心配しながら働き続けることになる。夢も何もない。実さんみたいに手に職でもあればまだ、それでも生きていけるでしょうけど、真由ちゃんには何もなかった。わたしは、真由ちゃんの気持ち、わかるから、何とか応援してあげたかったのよ」
俺は何も言えなかった。俺だって、あの国では先に何もなかった。だから、出てきたのだから。
ウエディングシャワーの時の真由ちゃんを思い出す。半泣きになりながら、幸せになります、とあいさつした。真由ちゃんは、幸せを求めた。俺がそれをどうこう言うことはない。
俺の忠実な相棒が、誰もいなくなったパーキングの真ん中で待っていた。香織さんは、助手席に乗り込むと、バッグから小さな四角い包みを取り出して、俺に渡した。
「はい、これ。ヒロ君にはお世話になったから、お礼よ」
中からはカセットテープが出てきた。
「うちの大学の聖歌隊が歌ってるの」
「かけてみて」
俺は香織さんにテープを渡すと、車を出した。
かって、高賃金と豊富な仕事に釣られて、大勢の移民がヨーロッパからアメリカにやってきた。根無し草の暮らしには、小さな船に乗って行き先の見えない航海に出るような心細さがある。行き着いた先に、成功と幸福が待っているという保証は何もない。それでも人々はアメリカン・ドリームと呼ばれた船に乗った。
今、移民に向けられる視線は確実に冷たくなっている。仕事そのものが国外へ流れ出して、生存競争は一段と厳しい。
シヴィックは110フリーウエイに乗った。この時間でもLAを走る車の流れは途絶えることはない。みんな、どこへ行こうとしているのだろう。
どこかで聞いたような曲がスピーカーから流れてきた。俺はヴォリュームをあげた。
――この身と心が滅びる時
――この世の生が終わるだろう
――そしてわたしはかなたに渡り
――静かな喜びに満ちた生を得るだろう
アメイジング・グレイス。
実さんは、夢を追って、追って、追い続けて、遠くへ行ってしまった。
それでもまだ、みんな、夢を追い続けるのだろうか。幡野さんも、コジロこと長井さんも、咲枝さんも、麻美さんも、のりも、ルディも、香織さんも、真由ちゃんも、そして俺も。この国のすべての移民たちも。
夜空の下、LAのフリーウエイはまっすぐに伸びている。俺のシヴィックは、ネオンの輝く街を突き抜けるように走り続けた。
サムライUSA 日野原 爽 @rider-k
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