第19話 最後の解答
幡野さんの家では、康子さんが熱いお茶漬けを用意して待っていてくれた。細かくほぐした甘塩鮭と香り高いもみのりに炒りたての白ごまを冷やごはんに載せ、刻んだ生わさびをちょっぴり利かせて、上から熱い番茶をかけ、さらさらとかき込む。合間に康子さん特製の白菜の漬物をぱりぱりと噛む。
俺はお茶漬けを二膳、お代わりしてようやく人心地がついた。
幡野さんは康子さんに「やまと」での出来事を話した。
「沢木が『やまと』に入る時、口をきいたのは俺なんだ。あんな人でなしだって知ってたら、絶対に紹介なんかしなかったんだが」
暗い顔の幡野さんを康子さんは、しょうがないわよ、と慰めた。
「知らなかったんですもの」
「日本人が日本人を搾取する。イヤな世の中になったもんだよな」
「人の好い人間には、段々、住みにくい世界になっていくようね」
好人物の代表のような幡野さんは、永住権こそ取ったが、いまだに自分の店を持っていない雇われシェフだ。
「昔はこんなじゃなかったって、聞いてます」
ラフカディオ・ハーン――後の小泉八雲――は十九歳で、英国からアメリカへ移住した。懐中無一文で、シンシナチに住んでいた遠縁のいとこを訪ねた。いとこは、五ドル札を一枚、ハーンの上着のポケットに押し込み、肩をポン、と叩いてドアを閉めた。一八七〇年のことだ。あとは自分でやれ、飢え死にしようが凍死しようが知ったことじゃない。
当時の移民はそういうものだった。労働許可などいらない代わりに、自分しか頼るものはなかった。だから、移民は大人も子供も必死で働いた。将来に夢を抱いて。
人間はどこで生まれようと、自由に、おのれの望むところに移住して暮らしをたてていた。それがどうしてこんなに窮屈な世界になってしまったのか。
「社会保障制度ができたからよ」
康子さんが言った。
社会保障と移住の自由。
なんの関係があるのかわからない、というと、康子さんが説明してくれた。
「ヒロ君、知っていた? ここでは、子供の朝食と昼食は無料なのよ。お金がありませんと言えば、子供は学校でシリアルにミルク、フルーツの朝食や温かいランチをただで食べられる。アメリカ市民の子供に限らない、不法移民の子供でもいいの。もちろん、食べ物が魔法で空中から出てくるわけがないから、実は税金でまかなってる。その税金は誰が払うの? アメリカ市民でしょ。なぜ、自分の子供でもないのに養わなきゃならないんだ、という反発が出てくるのは当然なのよ」
康子さんはため息をついた。
「社会保障制度は、一種のクラブみたいなものだわ。安全で暮らしやすい社会を作ろうと、国民が税金を払って長い時間をかけて作り上げた。だから、その国の国民が利用する分にはいい。彼らの親や祖父母や曽祖父母が子孫のために身を粉にして働いた結果なんだから。でも、移民は? 移民の祖父母は、クラブの構築に何一つ貢献してない。なのに、その恩恵だけは当然のように受け取る。そんな人間が大勢いるのは困る、だから移民は制限されるようになった。かっての移民は貴重な労働力として歓迎された。社会保障制度が発達すると、福祉にタダ乗りする重荷としてしか扱われなくなった」
幡野さんがつぶやいた。
「移民の意識も変わった。俺は、子供に食わせ、着せ、教育を受けさせるのは、親の役目だと思う。だが、そうしたくても、できない親が増えてきた。だから社会がその役目を引き受けた。そのうち、それを当然と思う人間が多くなった」
康子さんが言った。
「社会保障制度は、人間にパンを与え、自由を奪ったってことかしら。どんなに良い意図から始まった制度でも必ず悪用する人間が出てきて、そうなれば制度は腐敗していく。実さんは、その矛盾の犠牲者なんだわ」
自由の女神が泣いてるぜ。
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