第18話 二番目の解答

 幡野さんは胸倉をつかんだまま、森田氏を揺すぶった。森田氏は、離せ、とわめいて幡野さんの手首を掴んでもぎ離そうとしたが、幡野さんは手を離さなかった。

「お前が殺したんだ、自分でわかってるんだろう、森田!」

 離せええ、と森田氏が悲鳴をあげた。顔が真っ赤に染まっている。幡野さんが寿司職人の強い指で喉元を締め上げているから、息ができないのだ。俺は、幡野さんの腕に手をかけた。幡野さんは、森田氏を床に投げつけた。森田氏は這いつくばったまま、激しく咳き込んだ。真っ赤な顔を上げて、幡野さんをねめつけた。

「貴様…こんなことをして」

「どうするって言うんだ? この人殺し!」

 森田氏は立ち上がった。上着の前やズボンを手ではたいた。

「今すぐ出ていけ。さもないと警察を呼ぶぞ」

 結構だな、と幡野さんはうそぶいた。

「警察を呼べよ。ついでにテレビ局と新聞社と雑誌社もだ。そしたら俺は、お前がどんなに卑劣な手段で、沢木を殺したか話してやる」

 森田氏の顔に狼狽の色が浮かんだ。

「沢木実は自殺したんだ。証人もいるし、遺書もあるじゃないか」

「ああ、沢木は自分で包丁を腹に突っ込んだ。だがな、その沢木の手首を握って、無理強いしたのはお前なんだ」

「馬鹿な。わたしはあの夜、自宅にいた。妻も息子も知っている」

 幡野さんと森田氏は睨みあった。俺は口を挟んだ。

「森田さん、俺は沢木さんの部屋で、弁護士の名刺を見つけました。幡野さんは昨日、そのトーマス・J・オカモトという弁護士に会ってきました。オカモト弁護士の専門は移民法で、沢木実さんの永住権取得について相談を受けていたと話してくれました」

 森田氏は突然、へなへなと床にすわりこんだ。俺は構わずに続けた。

「沢木さんは何年も前から永住権取得の申請をしていました。オカモト弁護士が調べてみたところ、雇用主が提出しなければならない書類がまだ出ていないために、事務手続きが滞っていることがわかりました。オカモト弁護士は、沢木さんに大至急、その書類を雇用主から提出してもらうように、と言ったそうです。沢木さんの労働ビザ切れの期日が迫っているために、一刻の遅れも許されない、と繰り返し警告したと言っています。雇用主というのはあなたです、森田さん。あなたは、その書類を沢木さんに渡しましたか?」

 沈黙。

「あなたは沢木さんを低い給料でこき使ってた。なにごとも永住権のためとがまんする移民の足元を見る雇い主は少なくありません。でも、あなたのやり方はひど過ぎた。沢木さんは腕のいい寿司職人です。永住権さえ取れれば、あなたに縛られている必要はない。現に、沢木さんの昔の同僚は、レストランオーナーになって彼を引き抜きに来ています。彼だけじゃない。永住権さえ取れれば、LAにいる必要もない。ニューヨークでも、アトランタでも、シカゴでも、腕のいい寿司職人を求めているレストランはたくさんある。あなたは低賃金で文句も言わずに働いてくれる沢木さんを失いたくなかった。だから、沢木さんに永住権を取ってほしくなかった」

「違う! 忘れていたんだ。忙しくて、つい、忘れていたんだ」

 森田氏はしゃがれ声で抗議した。

「お前は最低の畜生だよ、森田」

 幡野さんは唸るように言った。

「あなたの怠慢のせいで、永住権が取れないうちに、沢木さんの労働ビザは切れてしまった。こうなれば道は二つしかない。日本に帰って一からやり直すか。このままアメリカに不法滞在して生活するか。この国でビザなしで働いて生活している人間は大勢います。生きていくだけなら、ビザはいらない。でも、沢木さんの夢――自分の店を持つことは不可能になる。ならば、日本に帰って、一からやり直すか。日本は年齢にうるさい国です。沢木さんは三十五歳を過ぎてました。どこかの寿司店で雇ってもらうにしても、半端な年齢です。いったん日本に帰ってから再渡米というのも、アメリカの移民規制がますます厳しくなっている現状では、難しいでしょう。どちらの道を選んでも、沢木さんの夢は消えたんです。結局、沢木さんはどちらの道も選ばず、第三の暗い道を選びました。選んだのは沢木さんですが、その道を開いたのは、森田さん、あなたです」

 黙ってうつむいていた森田氏がふいに顔を上げた。開き直ったようにふてぶてしい表情がその目に浮かんでいる。

「そんな証拠がどこにある? 沢木の遺書を俺は警察に見せてもらった。永住権のことなど何も書いてなかった。俺は無関係だ」

 この人でなし、と幡野さんが森田氏に掴みかかった。森田氏は抵抗したが、幡野さんの怒りは膨れ上がって止まらない。一発、二発と幡野さんのこぶしが、森田氏の顎に炸裂した。森田氏の鼻から血が噴出すのを見て、もう、いいでしょう、と俺は幡野さんを止めた。

「森田さん、そう簡単には逃げられませんよ」

 俺は言った。

「あなたのやったことは、幡野さんが知ってる。俺も知ってる。オカモト弁護士も知っています。いつでも証言してくれるそうです。もし、今度、こんなことがあったら……あなたが、永住権を餌に従業員に滅私奉公を要求しているとか、永住権取得の妨害をしたとか聞いたら、俺は沢木さんの物語をネットに流しますよ。匿名の噂の恐ろしさは、あなたはよくご存知だ。誰もがあなたと、あなたの店からそっぽを向くでしょう。幡野さん、行きましょう。こんな人間に時間を使うのはもったいない」

 幡野さんは汚いものでも見るような目で森田氏をみると、ぺっとつばを吐きかけて出ていった。

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