第36話 私の上で寝る男

 春先にはどこからともなく変なヤツが現れる。三月の始めに、バイトに行こうと起きると、ベッドの脇にオッサンなのか若いのか分からないヤツが立っていた。こっちが何か言う前に、向こうから、


「めし食いに行きません?」と誘ってきた。第一声がそれだった。


 睡眠薬でも飲んでそうな緩い喋り方だった。名前どころかオッサンなのか若いのかシラフなのかも分からなかったがせっかくの誘いなので受けて立ちたかった。しかし、「これから仕事がある」という世の中で一番つまらない理由で断り、お互いに自己紹介だけした。


 彼は、ヨシノブという名前で、沖縄から出てきたのだと言った。ビギンと同じで名字が明らかに沖縄系だった。追々分かることだが、自衛隊経験者で、オッサンではなく二十歳の若者だった。ヨシノブにもなぜ東京に出てきたのか、聞かなかった。やっぱり聞いとけば良かったと今になって思う。


 ヨシノブは私の使っているベッドの上の段に入った。

「窓際なんで、なんかいいかなと思って」と言っていた。バカは窓際を好む傾向にあるのだろう。


 マイペースで、なかなかに迷惑なヤツだった。なぜか毎朝六時半に携帯のアラームを掛けているくせに、本人はいつまで経っても起きない。そもそも起きる理由がないのにその時間に目覚ましを掛けているのである。その内にヨシノブの携帯が鳴ると、私は勝手にベッドに手を突っ込んで、アラームを止めてから二度寝するのが日課になった。



 日によっては、窓際のベッドはメチャクチャに寒かった。三月の半ば、ベッドの中で暖かいココアを飲んでいて、なにかの拍子で携帯にこぼした。水没してしまい修理に持っていったが、二ヶ月間滞納するまでは止まらないのをいいことに、一ヶ月分料金を滞納していた。一ヶ月分でも料金の滞納がある人間は、せっかく入っていた修理の保証オプションが使えないと言われた。滞納分を払う余裕がなく、壊れた携帯をそのまま持ち帰った。


 ゲストハウスにはWi-Fiが飛んでいて、持っていっていたノートパソコンをネットに繋ぐことは出来た。携帯が使えない間パソコンでフリーメールとmixiのメッセージを使い知り合いとは連絡を取った。携帯で電話やメールが出来ないのは困ると思いきや、むしろ自分の都合が良いときにしか連絡を確認出来ないというのは悪くなかった。なので早く携帯代を払おうという気は起きなかったが、目覚まし代わりに使うことが出来ないのは困った。とりあえず寝る前にわざとトイレに行かず、尿意で起きるという技を使い、バイトに遅刻しないように試みたが、あまりあてには出来ず、睡眠前のプレッシャーも相当なものだった。


 それで、ヨシノブの意味の無いアラームで起きたときに、自分が起きたい時間に設定を直すことを思いついた。携帯を直すまでの間、それでやりきった。

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