溢れた先に 中編

 勉強に送り出したはずのミモルがアルトに伴われて神殿に戻ってきたため、エルネアは目を丸くしかけ、すぐさま細めて駆け寄った。常ならぬ事態が起きたことは明らかだ。離れた場所にいるフェロルに戻ってくるよう心の声で伝えることも忘れない。


「アルト、何があったの」

「緊急ではありません」


 鋭い問いに、使いは極めて冷静に応えてから、後ろからついてくるミモルを見遣りながら夢の話を伝え、「どう思いますか」と逆に問い返した。天使は思案するまでもなく頷く。


「『予兆』だわ。朝、様子がおかしかったのは、そのせいだったのね。……気付かなくてごめんなさい」

「エルは悪くないよ。私がただの夢だと思って話さなかったんだし」


 エルネアは首を振って、「見ておくべきだったわ」と呟いた。無論、少女の夢をである。心が繋がっていればこそ、夢を覗くことも、必要となれば割り込むことも出来る。これまでは、そこまではしてこなかった。必要ないと思っていた。

 青い瞳に不安げな色を浮かべた少女にパートナーは笑いかける。


「ミモルちゃんの心の奥まで入るつもりはないの。はリーセンが守ってくれているものね。夢はから浮かび上がってくる知らせシグナルだから、それを見せて貰うだけよ」

『当たり前でしょ。用もないのにズカズカ入られたんじゃ、こっちが休まらないわ』


 頭の中では、まさにの住人がやんやと文句を言っている。普段はミモルにしか聞こえないように話すが、今はより外に向かって言葉を発しているのだろう。エルネアも「解ってる」と深く頷いてみせた。


『……こっちも、アンタ達がそんなことしないのは解ってる。一応言っておきたかっただけ』

「信じてくれてありがとう。リーセン」

『そ、そんな畏まらないでくれる? ……恥ずかしいから』

「ふふっ、リーセンてば照れてる」

『わっ、笑うな!』


 ミモルはあたたかい気持ちになりながら、そっと胸に手を当てた。

 この奥には力の源となる扉があり、リーセンは今やその扉を守る番人のような役回りに収まっている。外見こそ宿主であるミモルと瓜二つだが、正体はかつての女神の片割れだ。これ以上に信頼の置ける門番はいないだろう。


 そんなやり取りをしていると背の高い青年――もう一人のパートナーであるフェロルがやってきたため、これまでの話を繰り返して聞かせた。エルネアほどの経験のない彼は端正な顔を多少歪めたけれど、それも数瞬のことだった。


「ミモル様はよろしいのですか?」

「二人が私の夢を見るんだよね? それならいいよ」


 この立場に身を置く前から、ある程度は覚悟してきたことではあるのだ。それに、誰彼構わず許すわけではない。エルネアもフェロルもずっと自分に寄り添い、守ってきてくれた相手だから。心が繋がっていても、ミモルの意思を尊重して無理に踏み込んでこない二人なら信じられるからだ。


「そちらの話がまとまったのでしたら、こちらを片付けましょう」

「あ、そうだった。ねぇ、私、危ないの……?」


 アルトの凛とした声音が沈みかけた意識を現実に引き戻す。その冷えた手を取ったのはエルネアとフェロルだった。二人とも頼もし気に微笑んでいる。


「まだ予兆だもの。今のうちに対処すれば大丈夫よ」

「お体には全く問題なさそうですから、安心してください」

「本当? 良かった」


 危険が自分だけで終わるなら、きっとこんなに怖さは感じない。どこまで影響を及ぼすか分からないのが不安で、そうなった時に矢面に立つのが目の前の二人だと分かり切っているから恐ろしいのだ。


「それでは、そのままお二人に力を流してください」

「えっ……」


 アルトの指示に胸がドキリと鳴った。

 確かに、天使達を世界に顕現けんげんさせるためにミモルは常に力を与え続けているし、受け皿となるために彼女達が存在していることも知っている。でも。


「だっ、駄目! そんなこと出来ない!」


 繋いだ手を放して後ずさる。前に感情のままに無理を強いてエルネアを傷付けてしまった時を思い出し、汗が噴き出た。


「私達なら大丈夫よ」

「ほんの少し、いつもより多めに引き受けるだけですから」


 それは辛くないのだろうか。痛かったり、苦しかったりしないのか。

 いや、たとえ苦痛を覚えることでも二人は笑顔で引き受けてしまうに違いない。そんな目に遭わせるのは嫌だ。それくらいなら、このまま自分で抱えておいた方が――

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