第29話 ~残酷!アーバロン感情消去命令!~
モニターを見る京香の眉間に深い皺が寄った。
部屋の一角を占めるCD・LPの棚とオーディオセット以外、広さのわりにたいした生活感のない私室だった。普段から司令室詰めで、とくに怪獣が現れ出したここ数ヶ月は寝に帰るくらいしか用がない。
シャワー上がりにYシャツ一枚を羽織って、お気に入りのヴァイオリン協奏曲を聴きながらスコッチを一杯、などというのも久しぶりだ。到底、部下には見せられない姿だ。
だが、せっかくのリラックスタイムも早々にお開きとなってしまった(プライベートを利用して、前から気になっていたことを確かめようとしてしまったばかりに)。
いまの京香の耳に、部屋を満たす弦の旋律は入っていなかった。
目の前のパソコン画面には、参謀、形梨格司のプロフィールが表示されていた。
日本支部に所属する全隊員の記録が納められたデータベースである。基本的には全員に公開されている情報だが、なかには上階位の者にしか閲覧を許されない部分もある。
例えば、貴志快晴が以前にやらかしたバイク窃盗や道交法違反もろもろの罪と、それを帳消しにした顛末などがそうだ(もっとも、これは日本支部公然の秘密となっているが)。
そして先日のガールラとの戦いで発覚した、形梨がBI六七のテストパイロットだったという経歴も、シークレットとはいえ当然のごとく記されている。
それが京香の腑に落ちない。
司令官の任に着いたとき、預かる部下のデータにはすべて目を通し、細大漏らさず記憶した。内容の編集も、自分のチェックなしには出来ないようにしている。
にもかかわらず、形梨とBIの関係については今の今がまったくの初見だった。
(私の知らない間に
実際にBIを操縦して見せた参謀の腕前は伊達ではなかった。では、隠されていた事実が書き加えられたことになる。
問題は誰が書いたのか。この支部の人間だろうか。
でなければ、日本支部司令である自分を通す必要なく情報を編集できる者──データを統括しているパリ本部だ。
(参謀と本部に関係が? 一体、なにが起こっている……?)
眼鏡を外し、天井を仰いで考えるが、疑惑の材料が増えるばかりで、一向にまとまらない。
このうえは、参謀に直接問いだたすべきか。
そう思ったとき、机の端に置いていた公務用スマートフォンが着信を告げた。
司令室の外部連絡担当からだ。
「どうした、怪獣か?」
「いえ、パリ本部からです」
京香はまた眉根をひそめた。
噂をすれば影か。
「重要な通達があるので、至急ホットラインをつなげと」
「本部が? わかった。ご苦労」
通話を切って立ち上がると、いそいそとスーツに着替え、溜め息を吐きながら部屋の奥にある扉を開けた。
円形の狭い部屋だった。床も壁も天井も、すべてが真っ白い。
中央には腰丈ほどの細い鉄柱が立っていて、ボタンがいくつが備わっていた。
そのなかのひとつを京香は押した。
たちまち、白かった壁が光を散りばめた黒──宇宙空間──へと変わった。部屋全体がプラネタリウムになったかのようだ。
距離感が失われた世界のなか、京香を囲むように、デスクに座った人々が次々に現れた。
京香は彼らを知っている。パリ本部の幹部達だ。
部屋全面が3Dモニターになっていて、遠く離れた本部や他支部と、あたかもそこにいるかのように会話が出来るようになっているのだ。
だが、敵を囲むようなこの陣容は異様だ。
(まるで査問委員会だな)
「ご足労感謝する。ミス・アスカ」
正面のひとりが切り出した。
「通達とはなんでしょう」
状況からして、あまりいい話ではなさそうだ。
形梨を疑っているのがバレたか?
となると、自室の端末が監視されている?
「単刀直入に言おう。日本支部のロボットG10QのAIに生じた誤作動をただちに解析、これを消去してもらう」
「な────!?」
京香は絶句した。
AIの誤作動、つまりアーバロンの感情である。
「これは本部決定である。人員はこちらから派遣する。G10QのAIの精巧さは把握しているが、その道では世界トップレベルのチームだ。どんな理由があれ、彼らの作業を妨害することは本部への背信行為とみなす」
「待ってください! なぜ今さらそんなことを!?」
「カイセイ・キシという民間人の青年を、きみは以前、独自の権限で隊員に任命しているな」
クッ、と京香は歯がみした。
話が読めたのだ。
「それ自体は構わない。だが、先日の飛行怪獣ガールラとの戦いで、彼を前線に投入したのが今、裏で問題となっている。表面化はかろうじて抑えているが、いくら本人の強い希望があったとはいえ、訓練もしていない民間人を戦場に赴かせたのは事実だ。この情報が広まれば、対怪機構そのものが国際世論から攻撃され、我々の活動を支えている国家や企業からの融資にも悪影響を及ぼしかねない」
「しかし貴志快晴の行動は、結果的には被害を最小限にとどめたうえでの怪獣の撃破に繋がっています」
「そこを見ぬのが世論というものだ。また、カイセイ・キシについては日本支部隊員の資格を剥奪していただく」
「快晴を罷免しろと!?」
「本当なら、ミスターキシは情報保護のために軟禁せねばならぬところ。これだけで済むのは、きみ達の戦果に対する我々の恩情と受け取ってもらいたい」
──もっとも大事なものを奪い取ろうとしておいて、なにが恩情か!
叫びそうになるのを堪えながら、京香は咄嗟にそう思った自分を不思議に思った。
アーバロンに感情が芽生えてからこれまで、一番振り回され、頭を抱えてきた自分が今、二人が引き裂かれることに憤りを覚えている。
馬鹿馬鹿しい。アーバロンは兵器だ。兵器に感情は要らない。これまでがおかしかったのだ。これで、当初予定していた日本支部の姿に戻れる。
──本当にそうか? 私は本当に、アーバロンと快晴のコンビを認めていなかったのか?
ガールラに対する逆転劇は、快晴なしに成しえたか?
自問自答と葛藤とが頭のなかでミキサーに掛けられる。その回転音に心をかき乱され、京香はそこからの幹部達の言葉を、すべて聞き流した。
気が付けば3Dモニターは切れ、京香はもとの白い部屋に佇んでいた。
居室に戻れば、協奏曲はすでに閉幕しており、パソコンの脇に残されたグラスだけが、京香がくつろいでいた一瞬を忘れさせまいとして輝いていた。
半端に残ったスコッチをあおると、京香は部屋を出た。
本部の方では日本支部司令官との通信を切ったあとも、幹部達の円卓がまだ、星々のなかに留まっていた。
すると、今度は別の人物が円の中央に現れた。
「ずいぶんと思い切ったことをなさいましたな」
現れた男は
「これは我々、組織の問題だ。貴殿においては指図無用としていただきたい」
幹部のひとりが中央の男に釘を刺す。
「あなた方の世界には、まだしがらみが多すぎる──文化的にも、精神的にも」
「私達には、私達の積み重ねてきた
「これは失礼。では、あなた方と彼ら、どちらが是で、どちらが否と出るか、見守らせていただきましょう。あなた方が是であった場合は、致し方ありますまい。しかし彼らが是であった場合は、私も観測者ではいられませんぞ」
そう言うと、男はその空間から姿を消した。
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