第30話 ~鋼鉄のハート~


 午後十時。何人かの職員は怪獣レーダー監視のため司令室に詰めているが、大半は私室で寝ているか娯楽室で遊んでいるため、基地内の通路は不気味なまでにげきとしている。

 昔、テレビで観た特撮番組でも主人公が防衛軍基地の静かな廊下を歩くシーンがあったな、と京香はぼんやり思い出した。


 司令室の抜け道を使わずに、第二格納庫へと降りた。

 エレベーターの扉が開くと、広い部屋の奥に守護者は佇んでいた。

 快晴と美麻はもう寝たようだ。押さえ込んだ靴音を小さく響かせながら、京香はメンテナンスハンガーのモニター前に立った。

 すると、ピッと音がして、文字が並んだ。


『こんばんは、飛鳥司令。こんな夜更けにどうかされましたか? 怪獣ですか?』


 起きていたのか、と京香は言おうとしてやめた。

 アーバロンは人間のように眠る必要がない。パソコンに似たスリープモードはあるが、近くで何かの動きを感知すると目覚めるように設定されている。


「いや、そうじゃない。お前に話しておかねばならんことが出来てな」


『私に? 快晴や美麻は、呼ばなくてもいいのですか?』


「あいつらもいずれ知るだろう。だが、先にお前にだけ教えておきたかった」


 京香は、たった今パリ本部から告げられた指令を、アーバロンに伝えた。


「…………」


『   』


 すべてを語り終えた司令官と、聴き終えたロボットとの間に、長い沈黙が流れた。


『どこかで、覚悟はしていました』


「ああ、私もだ」


 モニターの両脇に手をつき、京香は力なく項垂れた。あれっぽっちの酒が、今日はいやに回る。


『司令は、賛成ではないのですか?』


 そうだ。そう取られるのが普通だ。今までアーバロンと快晴の気まぐれには散々に苦言を呈してきたのだから。


「正直、どちらが正しいのか私にはわからん。最初にお前が感情を持ったと知ったときには、なんと馬鹿げたことかと憤りもした。その馬鹿げたことに一生懸命に向き合う快晴や美麻を見ては呆れ、内心で嘲りもした。だが、今はなぜか、無性に悔しい」


『悔しい?』


「ガールラがお前達に倒されたとき、私もまたお前達に負けた。お前達の絆こそが、この日本支部の最大の力になると悟った。だからお前がピアノを弾くことを──条件付きではあるが──許しもした」


『司令官……』


「しかし、ようやく認めることの出来たお前達が、今度は上層部の命令で失われ、私は黙って見ているしか出来ない。それが悔しくてならん」


『気を落とさないでください、司令。これでよかったのです』


「ば……!」


 バカな、と叫びかけて京香はとどまった。


『私は、もとはといえば感情のない戦闘ロボット。手違いで狂ってしまったものが、もとに戻るだけです』


「お前、それでいいのか? 快晴のことは……?」


『私と一緒にいれば、快晴はまた無茶をして戦場に出るでしょう。私はもう、彼に危険をおかしてほしくないのです。もし彼に万一のことがあったらと思うと、それだけで悲しくて……苦しくて……いっそ何も感じない方が幸せなんじゃないかとさえ考えてしまうのです』


「いつも二人で脳天気に遊んでいるかと思ったら、まさかお前がそこまで考えていたとは……バックアップ内にも見当たらなかったが?」


『映像や言語に残らない思考ですから、データやメモリーとも別なのでしょう』


 それこそ、まさに感情と呼べるものなのではないだろうか、と京香は思う。


『快晴のことは……好きです。けれど、好きになればなるほど、自分が彼に相応しくないという確信をもってしまいます』


「それはお前がロボットだからか?」


『はい。彼は気にしないと言うでしょうが、越えられない溝であることに変わりはないのです。例えば彼が私とデートに行きたいと望んだり……その……』


「セックスか?」


『あ、えっと、、。…でゃsつfjmw69^』


「恥ずかしがらなくていい。性の問題をタブーにしていては、恋も愛も語りようがない」


 暴走する文字列に、京香は冷静に返した。

 アーバロンの羞恥現象については、美麻からレポートが上がっている。


『失礼しました。仰るとおり、私がロボットである以上、肉体的な繋がりは望めません』


 車と性交したがる特殊性癖の人間もいるらしいが、と京香は考えたものの口には出さなかった。快晴はそうではないし、そうなれと強要するのは暴力だ。プラトニックを貫き通せというのも同様だ。


『私は快晴から楽しい思い出をたくさんもらいました。わがままもいっぱい聞いてもらいました。短くても、とても幸せな時間でした。でももう、彼には普通の世界に戻って、普通の恋をして、人間らしい幸せを得て欲しいのです。その暮らしを守ることを使命に、私は生きてゆきます。感情が消えれば、悲しむこともないでしょう。それがロボットのいいところです』


 最期の一文を読むまで、京香は自分がロボットと話をしている事実を忘れていた。


「そうか、それがお前の答えなんだな」


『司令官、お願いがあります。もし快晴がここを離れても、前のようなつらい生活に戻ることがないようにしてあげてください』


「ああ、そこは補償金が出せるし、いくばくかの上乗せも出来るだろう。だが、その先の人生はあいつ次第だ」


『ありがとうございます。彼ならきっと大丈夫です』


「いまのお前の話、あいつには?」


『すべては夢でした。私のことは忘れてください。それだけ、伝えてください』

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