第28話 ~文字じゃわからんものもある~

  終章   青空



 緩衝材と耐衝撃フレームの中央で、スーパーコンピューターが虹色の光を放っている。

 その光と対峙するように、快晴はあぐらをかいていた。足にはノートパソコンを乗せ、眼はモニターのなかを流れてゆく文字の羅列を眺め、耳は外から入ってくるピアノのメロディを聴いていた。

 スーパーコンピューターから伸びたケーブルの先では、メンテ用リフトの上に乗った銀色の指が鍵盤の上をゆるやかに舞っていた。

 アーバロンがピアノを弾くことを、京香が許可したのだ。ただし、有事の際には即座に取り外せるよう、演奏中は快晴がアーバロンの頭部内に常駐するという条件つきだ。


(うん、わかんねえ!)


 快晴は心の中で叫んだ。

 アーバロンの弾いている曲ではなく、目の前の文字列がである。

 プログラミング言語だとしても、快晴のまったく知らない様式だ。これも仁博士が組んだのだろうか。英数字や記号だけでなく、言葉になっていないひらがなや漢字まで混ざっている。まるで暗号だ。


 アーバロンがピアノに強い反応を示し、実際に悠々と弾いて見せたことが以前から気になっていたので、この機会にとメンテ用ノートPCをスパコンに接続して、解析を試みたのだ。

 ピアノを弾いているときは、たしかにアーバロンの頭脳は活発に動いているようだ。が、それくらいしかわからない。

 例えるなら脳波測定器で人の脳の活動を調べているのと同じだが、すべてが未知の配列で言語化されているわけだから、どの部位がどう活発化しているのか皆目見当がつかない。

 この暗号じみた言語の解読法がないか、技術主任に訊いてみようか。いや、どうせはぐらかされるだけだ。

 そもそも、こうしてアーバロンのAI情報を見ていることすら彼女には秘密なのだ。


 快晴はいさぎよく諦め、ノートPCを床に置いて、自分も両手を枕にして寝そべった。

 天井にまで張り巡らされた耐衝撃フレームを眺めていると、頭蓋骨を内側から見ているようで不思議な気持ちになる。

 そういえば、いまソラが弾いている曲はなんだろう、と快晴は思い至った。

 曲調からしてジャズだろう(もちろん詳しくはない)。小洒落たカフェでかかってそうな雰囲気だ。

 そんなことをぼんやり思いながら耳を傾けているうちにメロディは止んだ。


「いまの、なんていう曲?」


 するとノートPCがピコンと鳴って、画面のすみに文字列が出た。今度のは日本語だ。


『『スターダスト』というジャズの曲です』


「ソラ、ジャズも弾けるんだ」


 双方のピアノの弾き方がまったく別物だというのは、素人の快晴でもなんとなく判る。


『ピアニストはほとんどクラシックかジャズかに別れるんですけど、私は両方好きなので。今日はジャズの気分なんです』


「へぇ、そうなんだ。なんか、ここにカフェかバーが欲しくなるな」


『私の頭の中にですか(^v^;)w』


 末尾に笑いを意味する顔文字とネットスラングが付く。最近ではこういう砕けた文章も出るようになってきた。文字だけでしか会話が出来ないから、感情表現の方法として取り入れたようだ。こちらの冗談が通じているのがよくわかるので、快晴としてはありがたい。


『快晴のほうの調子はどうですか?』


「ぜーんぜんだめー。仁博士が作ったんだろうけど、プログラムがサッパリ読めない」


『そうですか。でも、快晴ならいつかきっと解けますよ』


「ありがとう。でも、ごめんね。主任にも秘密にして付き合ってもらったのに」


『逆ですよ。私が快晴を付き合わせたんです。危ない真似をさせてごめんなさい』


 前の日、会話の流れで「AI情報を見たい」と興味半分で言ったのは快晴だったが、積極的にその話を推し進めたのはアーバロンの方だった。

 司令や技術主任の同意が得られるはずのない危険な行為であるうえに、アーバロンにとっては自分の頭のなかを覗かれるにも等しい。言い出した快晴の方が戸惑ったくらいである。


「いや、言い出しっぺはオレだから。正直、ソラがこんなに食いつくとは思ってなかったけど……」


『自分のことが知りたかったんです。自分でも分からないのに、なんでこんな……ロボットなのに嬉しかったり、哀しかったり、ピアノが弾きたくなるのか』


「それは、ソラが人間と同じ、心を持ってるからじゃない?」


『いいえ、私は身も心もロボットです。それはハッキリしています。今も快晴が見たように、私の思考はすべて言語化できてしまうんです。決して同じではないんです』


 そう語るアーバロンの会話ウィンドウの奥では、今もなお暗号文が川のように流れてゆく。


『けれど、自分がなぜ、なんのために、どうやって生まれたのか。それを知りたがることに、人もロボットも関係ないのかもしれません』


「人もロボットも……そうだね」


 快晴は思い改める。

 心を持つのは人間だけではない。犬には犬の、虫には虫の、植物には植物の心があることが今日こんにちでは知られている。そもそも人間ですら、心のありようは千差万別だ。

 ならば、ロボットにはロボットの心があってしかるべきだ。

 だが、そのロボットが「自分はなんのために生まれたのか」と自分に問うのは不思議なことだ。

 必要性から造られる存在、それがロボットだ。だから怪獣と闘うために造られたアーバロンが己の生まれた意味を問うのは、やはり奇妙に聞こえる。

 それでも、ロボットにあり得ざるAIゆえに、ソラは自問するのだろう。

 なぜ創造主は自分に心を与えたのか。

 この心はどこから生まれたのか、と。


「オレも、凄く悩んでたときがあった。自分なんか、なんのために生まれて、なんのために生きてるんだろうって」


 大学を中退し、アパートと工場を往復するだけの生活を続けていた頃を思い出す。ついこないだまでの自分だったはずが、もう何年も昔のことのようだ。


『今は考えないんですか?』


「今は……うん、わかった気がする」


『訊いてもいいですか? 快晴は何のために生まれてきたか』


「それは……」


 言い淀んでしまった。

 心に抱いていても、誰かに言えるほどの確証と自信がない思いなら、今までにいくつも経験してきた。

 しかし今度のは、それとは少し違った。 

 言ってしまうことで何かが壊れるのではないかという恐怖が快晴の舌を押さえつけていた。

 何が壊れるというのだろう。ここでの生活? アーバロンとの関係? それとも自分が信じてきた価値観?


「ごめん。いつか、話せる日が来たら話すよ」


『そうですか。無理なことを訊いてしまって、ごめんなさい』


「いいんだ。ねぇ、もう一曲弾いてよ。ジャズのことも教えて欲しい」


『はい! よろこんで!ヽ(,,^v^,,)ノ』


 たちまち、新たな曲が外から聞こえてきた。

 ──今はこのままでいいじゃないか。

 決して楽ではないが、こうしてアーバロンと二人でいられる日々が続くことを、快晴は強く願った。

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