末路
簡単な詰将棋である。この問題を解くのに、羽生先生の経験も藤井ちゃんの頭脳も必要あるまい。駒の動かし方を覚えたばかりの超初心者でもすぐに正解がわかるはずである。
前方には、グリーンスライムの大群。後方には、イエロースライムの小部隊。人食いモンスターに挟撃態勢を整えられてしまっては、どうにもならない。いや、最初から勝ち目などなかったのだ。
それでも俺は懸命の棍棒を振るい続けていた。虚しいあがきであることを知りつつ、一分でも一秒でも、死を先延ばしにしようと奮戦していた。
盾は既に投げ捨てていた。棍棒を片手で扱うのが辛くなったのだ。両手で握った棍棒を振り回して、迫り寄るスライムを片っ端から弾き飛ばす。
しかし、無駄であった。肉の壁を部分的に破壊しても、すかさず新手のスライムが現れて、損害箇所を修復してしまうからである。
スライムたちとしては楽な戦いだろう。逃亡さえ許さなければそれでいいのだから。獲物を疲労困憊に追い込み、体力と気力を奪ってしまえば、あとは好きなように料理ができる。
時折「うぎゃああ」とか「ぐげえええ」とかいう苦悶の絶叫が一帯に響き渡り、俺の耳を貫く。記すまでもない。勇者部所属のバカ学生たちの断末魔である。次は俺だ。俺が食われるのだ。死期を悟った瞬間、俺の脳裏に不快な記憶が浮かび上がった。それは「コガネマンの記憶」であった。
俺がかつて務めていた職場に「コガネマン」の通り名(綽名)で呼ばれるおっさんがいた。おっさんはサボリの札付き兼無銭飲食の常習者だった。俺が把握している範囲では、おっさんのことを良く云う人間は、一人も存在しない。迷惑と厄介の塊りのような男であった。
おっさんは副業として始めた「スライム狩り」が当たったことを大層自慢していた。昼休みの休憩室で、その話を延々と展開するのだった。当然の成り行きとして、休憩室を利用する者は、おっさんを除き、誰もいなくなった。あの日の前日まで、おっさんが部屋を独占していた。
あの日とは、コガネマンが「スライムに殺(や)られた日」のことである。後日得た情報だが、おっさんは「スライムの巣」と云われている某病院の廃墟に単独で突入したらしい。本人は「まだ陽が高いから、大丈夫」だと考えていたみたいだが、想定が甘過ぎた。廃墟の中は昼でも薄暗く、場所によっては、夜間に近い状態であった。
結果、おっさんは食い殺された。あちらとしては、餌の方から口に飛び込んでくれたようなものだ。出陣前の景気づけぐらいにはなっただろう。
路面に転がるコガネマンの生首が発見されたのは翌日の早朝であった。おっさんの死顔に「言語を絶する恐怖」が刻み込まれていたという。
不思議なことに、スライムたちは、おっさんの体は食べ尽したが、頭は食べ残したらしい。食わずに塀の外へゴミ同然に放り投げたのだ。理由はわからない。類似のケースは他になく、スライム関連の本やサイトを開くと、必ず出てくる話になっている。我らがコガネマンは「ニッポンで一番食えない男」として、全国に顔と名前を知られることになったのである。
食われるのは、まあ、仕方がない。だが、コガネマンみたいな最期だけは迎えたくないものだと、心の中で、俺は切実に願っていた。
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